2019年3月4日(月)
車を走らせ大村市役所へ。転入届、国民健康保険、就学児童の届け出、子供手当の申請、住民票の交付を待つ時間に慣れない書類業務を一心不乱にこなした。傍らには幼子をあやす妻の姿が。翌日からは長男と次男は学校に通うのだ。午後はその学校に出向き、教頭先生や担任の先生から説明を受け、必要最小限の学用品を買いに大規模量販店に車を走らせる。目の回るような忙しさであるが、日本で新しい生活を迎える妻子のためにと思えば、全ての苦労は喜びであった。その夜は日本の学校を初めて体験する長男と次男の期待と不安をまるで自分のことのように重ね合わせ眠りについた。家族の中で運転できるのも俺だけ、日本語で書類を書けるのも俺だけ、学校の先生と歓談し、子供をあやし、家事を手伝い、時には料理も披露し、嫁と姑の仲を円滑にする俺は正に家族の中心であり必要不可欠な存在だった。
以上は7年前、研究年と言う制度で一年間家族で日本に滞在した時の話である。その時と全く同じ業務をこなしているのだが、7年前との明らかな違いに絶望する自分がいた。
妻は昨年の7月韓国で免許証を取得し、国際免許証を得て日本に来ている。運転が難しいと言われる釜山に慣れた妻にとって走行車線が変わったことは些細な事象だったようだ。
7年の時を経て、妻の日本語能力は格段に向上し、早口で喋る市役所職員の言葉を正確に理解し、誰の助けも借りずに書類作成できるほどだった。
実家の衣食住全ての家事を担い、家族全員の健康と安全に気を配る妻は正に必要不可欠な存在なのだ。
翻って今の俺は、誰かの助けなしでは家の中の移動もままならず、妻の介護なしでは風呂にも入れず、味噌汁やお茶をストローですすり、掛け布団が重すぎて深夜に目覚め、頭が痒くても掻けず、外出するときは縁側からスロープを懸けてもらい車まで移動し、30m以上の移動が必要な場合は車椅子に乗せられ、家事も出来ず、子供もあやせず、妻からは「5人目の子供が出来た」と言われるほど家族の足かせになっているのである。
今日俺が役に立ったことと言えば銀行口座を作る時に本人確認の署名をしたことだけで、市役所でも小中学校でも車の中で妻の帰りを待つだけだった。
風邪ひいた人がしゃがれ声で「大丈夫です」と言うようなもので、まともに話せなくなった俺がいくら強がりを言っても余計に同情を誘う結果にしかならないのだ。そのため、人と会うのが億劫になり、引きこもりがちになる。
ここでは数学ができるということは何の役にも立たない。俺の人生において高い比重を占めていた概念であっても表現できる言葉が無ければ水疱と帰してしまうのだ。毎日のように数学と格闘し学生達と議論していた日常が今は遠い昔のようである。
「韓国で世話になった人々に会えなくて寂しい」
そう妻に告げると、妻は「ほうらやっぱりね」と言いたげな微笑を浮かべた。
以上は7年前、研究年と言う制度で一年間家族で日本に滞在した時の話である。その時と全く同じ業務をこなしているのだが、7年前との明らかな違いに絶望する自分がいた。
妻は昨年の7月韓国で免許証を取得し、国際免許証を得て日本に来ている。運転が難しいと言われる釜山に慣れた妻にとって走行車線が変わったことは些細な事象だったようだ。
7年の時を経て、妻の日本語能力は格段に向上し、早口で喋る市役所職員の言葉を正確に理解し、誰の助けも借りずに書類作成できるほどだった。
実家の衣食住全ての家事を担い、家族全員の健康と安全に気を配る妻は正に必要不可欠な存在なのだ。
翻って今の俺は、誰かの助けなしでは家の中の移動もままならず、妻の介護なしでは風呂にも入れず、味噌汁やお茶をストローですすり、掛け布団が重すぎて深夜に目覚め、頭が痒くても掻けず、外出するときは縁側からスロープを懸けてもらい車まで移動し、30m以上の移動が必要な場合は車椅子に乗せられ、家事も出来ず、子供もあやせず、妻からは「5人目の子供が出来た」と言われるほど家族の足かせになっているのである。
今日俺が役に立ったことと言えば銀行口座を作る時に本人確認の署名をしたことだけで、市役所でも小中学校でも車の中で妻の帰りを待つだけだった。
風邪ひいた人がしゃがれ声で「大丈夫です」と言うようなもので、まともに話せなくなった俺がいくら強がりを言っても余計に同情を誘う結果にしかならないのだ。そのため、人と会うのが億劫になり、引きこもりがちになる。
ここでは数学ができるということは何の役にも立たない。俺の人生において高い比重を占めていた概念であっても表現できる言葉が無ければ水疱と帰してしまうのだ。毎日のように数学と格闘し学生達と議論していた日常が今は遠い昔のようである。
「韓国で世話になった人々に会えなくて寂しい」
そう妻に告げると、妻は「ほうらやっぱりね」と言いたげな微笑を浮かべた。