2023年9月25日(月)
PJR博士、OSM博士、HJM博士が見舞いに来てくれた。有り難いことである。
CEK博士とCHYさんとJSYさんが見舞いに来てくれた。笑顔がまぶし過ぎた。
かつての弟子が大学教員になった。これほど嬉しいことはない。
CHYさんとKGYさんが見舞いに来てくれた。アルファベット文字盤を使って意思疎通した。
銀行に行くこととなった。場所は某大学キャンパス内、目的は定期預金開設だ。そのためには口座主の個人認証が必要と言われ、渋々外出したというわけだ。車での外出には俺の首を支える同乗者が必要になる。大学生になった長男が「金曜の午後は空いている」というので、付き添ってもらった。俺、妻、長男、このメンバーで外出することはめったにない。次男が産まれる前のことを思い出し、車中で感慨に耽っていた。
銀行近くに駐車して妻だけが銀行に向かった。しばらくすると妻が行員を連れてきて個人認証がなされた。それから待つこと30分、時刻にして4時を回るも妻は帰って来ない。長男はスマホで時間潰し、俺は道行く学生たちを観察し、尻の痛みに耐えながら妻の帰りを待っていた。ある考えが頭に浮かんだ。「金曜の夕方といえば教授蹴球会、今、山の上に位置するサッカー場に行けば、メンバーの顔を見れるかも」
銀行から戻ってきた妻に文字盤で「やまのうえ」と伝える。その一言ですべてを理解した妻は「座り直し」をさせた後、山の上に車を走らせた。サッカー場の入口の前に停車した車の助手席からは鮮やかな緑の人工芝が見えた。5年前、俺の体はすでにポンコツだった。完全な健康体だったのは6年前だ。あの頃は桜並木を左右に讃える坂道を走って上っていた。俺が文字盤で「あいさつ」と伝えると、すべてを察した妻がサッカー場に入り、青いユニフォームの一団を連れてきた。久しぶりに見るかつてのチームメイトたちの顔は驚くほど変わってなかった。大半が還暦を迎えているはずなのに元気にボールを蹴っているのだ。
6年分の幸せに対する、羨望、嫉妬、不公平感、それらを通り越して、むしろ、清々しい。俺は俺だ。言葉を発せない俺を前に話は長く続かない。「また、来いよ」と言われ別れたが、心の中で「そんなに簡単に来れないよ」とつぶやいた。
Wさんが見舞いに来てくれた。初めての文字盤会話に根気強く付き合ってくれたWさんに感謝申し上げる。
痛みに悩む身体に 鎖されてしまった心 静かに命を灯して ALSと戦う日々
涙がこぼれる夜も 希望を抱き続ける 運命に立ち向かって 強く生きることが大切
今はまだ足を踏み出せない だけど、明日へと進む 痛みを乗り越えて 勇気を持って生きる
君には、前を向いて 希望を掴んで生きる 勇気を持って、 ALSと戦う日々を。
CEK博士が見舞いに来てくれた。有り難いことである。せっかく科研費を得たのにコロナ禍で海外経験を積めなかったのは非常にもったいない。
CJR教授が見舞いに来てくれた。前回のニアミスの理由はやはり弱りきった俺を直視する準備ができていなかったとのこと。今回はパソコンを通して、これまでの感謝を伝えることができた。時間がかかったけれど。
俺宛に小包が届いた。その中には黒地のTシャツを台紙に白マジックで綴られた寄せ書きが入っていた。妻がその一文一文を読み上げた。聞き終えて去来したのは「願い事、ひとつ叶うなら、あの頃に戻りたい」という歌詞だった。
まだ視線入力装置は導入されていない。前回の記述は、予期される事態を顧みず改革を先送りしていた自身への後悔と戒めである。
指の問題が解決されてから更新を再開する。
CJS博士が見舞いに来てくれた。ありがたいことである
嗚呼、こんなときにSさんがいてくれたら。Sさんは大村にいた頃にお世話になった作業療法士の方である。
棋王戦挑戦者決定トーナメントで羽生九段が伊藤五段を破り決勝進出を決めた。復活の兆しに心が躍る。
棋王戦挑戦者決定トーナメントで羽生九段が伊藤五段を破り決勝進出を決めた。復活の兆しに心が躍る。
昨晩、長女に頭をかいてもらっているとき、長女が泣きそうな声で「数学の今やっているところが難しすぎて全然わからない」というので、「◯◯◯(長女の名前)は天才」というメッセージを送ってやった。
遠藤と守田にはコスタリカ戦では完全休養させて、万全の状態でスペイン戦に挑ませたい。
妻は三食とも栄養満点の流動食を作ってくれるが、そのうちの一食は栄養剤にすることを提案したい。
昨晩ソウルで起きた大惨事に心を痛めている。心肺蘇生を試みる映像が頭から離れないし、いたたまれない気持ちになる。
盲聾唖者だが普通に話せて体も普通に動くのと今の俺の状態のどちらかを選べという究極の選択に頭を悩ませて、眠れない夜を乗り切った。
右手の薬指の反応が遅すぎて自分でも呆れる。
就寝時にあくびが出るとつば専用吸引器が外れてしまう。枕がつばで濡れるのは不可抗力なのだ。
NHKの朝ドラ「舞い上がれ」で、航空学科に入学したばかりの主人公が物理の講義を聴講する場面が出てくる。その講師は地球ゴマを回しながら運動方程式と飛行の原理について語るも、主人公は上の空でノートには人力飛行機の絵が描かれていた。それほど人力飛行機に夢中であることを示す演出なのだろうが、かつて教壇に立っていた者として一抹の寂しさを感じた。
三男の授業参観に行ってきた。三男が通う小学校は自宅アパートのすぐとなりで、エレベーターもついているので、移動で苦労することはなかった。三男の席は廊下側だ。三男は窓越しに遅れて到着した俺と妻に机の上においていた手を開き左右に振ってくれた。
モスクワで爆破テロが起きて放射性物質が検出されたとする。犯人は拘束され「ウクライナの特殊部隊による汚い爆弾を用いたテロだ」と報道される。報復措置としてキーウに汚い爆弾を搭載したミサイルを打ち込むかもしれない。最初の仮定は自作自演が可能である。いくらなんでもそう言うことをする国ではないと信じたい。
アパートの敷地内で見知らぬ子供たちがBB弾を用いた拳銃ごっこをやっていて、それを目撃した妻はやめるように促した。BB弾が眼球を直撃すると失明しかねない。そのため参加者全員がゴーグル着用すべきだし、流れ弾を外部に漏らさないことがルールになる。妻はやめさせたことへの是非を俺に聞いてきたが、「摩擦を恐れずよくやった」と言ってあげたい。
寝そべる時間が増えてきた。重力との闘いは続く。
レビ記には「獣と交わる者は死刑に処す」という記述があるが、昔の人はどれだけマニアックなのかと思った。
聖書通読の難所レビ記をようやく終えた。「今まで何をしていたのか」という声が聞こえてきそうだが。
右手の薬指の反応速度が落ちてきた。クリックしようと思ってから5秒後にようやく反応するという具合である。これは最悪の場合だが、それが現れる頻度が日に日に増加している。
過疎の農村に誕生した女子サッカーチームがテレビで紹介されていた。選手たちはアマチュアで農作業を手伝うことで収入を得ているとのこと。球団が耕作放棄地を格安で買い上げて現地の人の指導のもと野菜や果物を育てる様子をユーチューブで公開して収穫物を仲買を通さず販売すれば手堅いビジネスになりそうだ。介護事業や古民家カフェの経営などの公金を当てにした事業も需要がありそうだ。
九大数学科の3年後輩にあたるF崎君からメールが来た。F崎君はピーターフランクルの大ファンで、大道芸人兼数学者を本気で目指していた。学位取得後、韓国のPOSTECHで研究員として勤務し、日本の大学での就職を狙っていたのだが、若手研究者の就職難という時代の逆風に晒され、結局、見切りをつけるという選択に至った。その後、白血病に罹患して入院して抗がん剤治療を続け、退院したと聞いていた。
今回のメールは「白血病が再発した。しかし、抗がん剤治療をするつもりはなく、緩和ケアで余生を過ごす」という内容だった。
俺はF崎君の気持ちがよくわかる。無菌室に閉じ込められ心身ともに疲弊した状態での一日の価値と通常の一日の価値が同等であるはずがないのだ。俺でも、一日でも元の体に戻れるならばその翌日永眠することになっても後悔することはないだろう。生き方は人それぞれなのだ。
その一方で、「入院してもF崎君はスマホを操作できるだろう。話もできるし、美味しいものだって食べられる。何より治療法がある病気じゃないか」という思いもある。
F崎君には「生きろ」と返信した。
午前のオンライン礼拝後、我が家で家庭礼拝が催され、四組の夫婦が一同に会した。俺は車いすで居間に移動し参加したが、10分もしないうちに痰が詰まるようになり、酸素飽和度が回復せず、無念のリタイアとなった。4年前は料理でもてなし、喜んでもらえたのになあ。
韓国ドラマ「夫婦クリニック、愛と戦争」を視聴した。認知症の父の介護と嫁ぎ先での家事との両立に悩む姉妹の話で、身につまされる思いだった。
俺の妻子は「お父さんの高校時代の成績は学年一位だった」とよく言うのだが、それは事実ではない。定期試験は平均8割を目標としていたし、校内順位が公開される実力試験で一位になったことは一度もない。得意科目の数学であっても、計算間違いの癖を克服できず点数としては平凡だった。
つば専用吸引器のチューブを咥えているときに外されると、チューブ内に溜まった唾液が糸を引いて運が悪ければ顔に降りかかる。
大村高校の制服が来年から一新されるらしい。ついでに前時代的な校則を廃止してほしい。
ニュースのインタビューでロシアの一般市民のおばちゃんが「みんなウクライナのせいよ」と答えたのに衝撃を受けた。
「24日」は「にじゅうよんにち」よりも「にじゅうよっか」と読まれることが多い。ところが、「23日」を「にじゅうみっか」と読むことはない。妻に指摘されて初めて気付いた。
妻に連れられて近所のスーパーマーケットに行って来た。妻が「ほら、見て」と掲げた一本の白菜の値段はなんと12,800ウォンだった。もう行くことはないだろうが、国産キムチが取り放題だった名店たちはどうなっているんだろうと、ふと気になった。
ドラマ「舞い上がれ」に出てくるバラモン凧が五島由来のものだということを知って驚いた。
妻に髪を切ってもらい、体を洗ってもらった。もう足に力が入らず、以前にもまして妻への負荷が大きくなっている。
北朝鮮からのミサイルを迎撃できたがあえて見送ったと報道されているが、果たして信じてよいのだろうか。
野球の村上選手の今シーズン最終打席、敬遠するようなことがなくて本当によかった。相手チームの監督や投手コーチが巨人関係者だったら満塁でも敬遠の指示を出しかねないからなあ。
ウクライナ軍が東部要衝の都市リマンを奪還した。おとぎ話が現実のものに変わりつつある。
アントニオ猪木にはプロレス葬こそがふさわしい。両国国技館中央に組まれたリングに猪木の等身大パネルが設置され、弔問者であるかつてのライバルや弟子たちがそのパネルめがけてプロレスを仕掛け、マイクで罵声混じりの追悼を行うのだ。ハンセンのラリアット、前田のハイキック、藤波とのブリッジ合戦、長州のマイク絶叫、藤原のアキレス腱固め、坂口の締めの挨拶、都内では大規模なプロレス葬反対集会が勃発し、世論を二分するイベントになるのも悪くないだろう。
薄利多売で行列ができる飲食店の主人はメディアから称賛され求道者として扱われるが、従業員は溜まったもんじゃないと思う。値上げして仕事を減らして給料を上げてほしいと思うはずだ。過去20年の日本の平均賃金がほぼ横ばいであることと無関係ではないだろう。
三男が通う小学校の運動会を見に行ってきた。昨日の予行演習が功を奏したのか、炎天下の中でも一時間以上苦しむことなく車いすの上にいることができた。都会の小学校らしくプロのDJが巧みな話術で司会進行し、会場の盛り上がりに一役買っていた。ママ友の方々があれこれ気を使ってくれてありがたかった。三男が俺を見つけたとき「お父さん」と言って曇りのない笑顔で近づいてきたのが本日のハイライトだ。普通でない父を普通に扱ってくれたことにえらく感動した。
朝、起きると妻に「今すぐ外出するか、なにか食べてから外出するか」の二択を迫られた。外出を嫌がる俺を外に連れ出し日光浴させようという妻の確固たる意志のこもった、寝起きで判断がままならず瞬きしか意思疎通の手段がない状態の俺を狙った二択だった。観念した俺は前者を選択し、高層アパートの間から差し込む日差しを浴びてきた。
エクアドルとの代表戦について。アメリカ戦の先発メンバー総入れ替えのBチームだったが、両国の個々の頑張りが感じられる好ゲームだった。
日本は失業率が低く、雇用が守られ、物価も安定している、と思っていたが、それは産業構造の転換が遅れる原因となりうるのだなあ、と昨日のNHKスペシャルから学んだ。
大村教会の稲葉先生が結婚された。お祝いの言葉を直接伝えたかったなあ。
昨日の代表戦について。対戦国のアメリカが弱く見えた。このクラスの相手に普通に勝てるようになった日本の成長を感じる。
T口社長から仕事の依頼が来た。有り難いことである。
現在使用しているスイッチに不具合が発生した。クリックがダブルクリックに置き換わって入力されるのだ。持ち方を変えれば解消できることもあるので、介助者にそれを訴えるのだが、怪訝な顔をされることが多い。
CJR教授から電話が来た。応対した妻によると家の前まで来ているとのこと。妻は慌てて家を出た。俺は韓国語での挨拶を慌てて打ち込んだ。ところが、玄関から入って来たのは妻のみでCJR教授の姿はなかった。妻によると「突然の訪問で遠慮されたみたいよ。さくらんぼジュースのお土産をいただいたわ。みつぐさんの痛々しい姿を見たくないという気持ちもあったんじゃない」ということだった。一目でも会いたかったなあ。
韓国でよく言われるのが「日本は韓国の防波堤」という軽口で、今回の台風のように日本列島に沿った進路を取るときにささやかれる。「韓国は共産圏に対する防波堤」というオチがつくのだけれど。
気管切開手術前、一人で密室にいるのが怖かった。なにしろ、飲み込んだはずのつばが気道に入ると深刻な咽を引き起こすのだ。今も痰が溜まって息苦しくなるので、一人でいる恐怖は大差ないはずだが、耐性がついてきたのか以前よりは平気になった。
国葬でなくとも海外要人の警護には同等の経費が必要になるはずだ。国葬に対する是非はリトマス紙のように政治信条をあぶり出す。
つば専用吸引器につけるチューブは交換式で通常はビニール製のものを使用している。今日の晩、妻が「そのチューブの先端が噛みちぎられている」ことを発見した。慌てたのは妻である。チューブの破片が俺の体内にあるのではと疑い出し、自責の念にかられていた。ニヤついていたのは俺である。昨晩、次男が千切れそうになっていたチューブの先端を引きちぎっていたのを知っているからである。口文字盤では到底説明できそうになかったので、この場で白状する次第である。
CEK博士が見舞いに来てくれた。俺が休んでいる間、妻との話に花が咲いていた。研究も頑張っているようで頼もしいかぎりである。
ウクライナ軍がハルキウ州を奪還したそうだ。これってなにげにすごいニュースなのではなかろうか。
昨晩、妻と三男が熟睡したとき次男が読書室から帰ってきて「お父さん、サッカー見る?」と聞いてきた。眠れなくて悶々としていた俺は渡りに船とばかりに快く承諾し、バルセロナ対カディスの観戦が始まった。ウチの子供たちは親孝行とは何かよく心得ているのだ。
今日は中秋の名月、韓国ではこの日とその前後の三日間が祝日となる。本来であれば、妻の実家に赴き親戚が集まって義母の手料理に舌鼓を打つのだが、コロナ禍と俺の病気のせいでどこにも行けず家族全員いつもと変わらない週末を過ごしている。
つば専用吸引器が寝台で横になるときの必須アイテムとなった。チューブの先端を歯に噛ませるように挿入されたし。
寝台から椅子に移乗するとき一時的に下を向く姿勢になる。首の力がないので、その姿勢の動向は介助者に委ねられる。介助者は俺の脇に腕を差し立ち上がらせようとする。そのとき、たまにではあるが俺が頑なに起きるのを拒むときがあるはずだ。そんなとき俺に何が起こっているかを説明しておきたい。下の歯が上の歯に被さってしまい、元の状態に戻せないでいる。そのまま立ち上がったら歯が砕けそうな気がして鬼の形相で拒否しているのだ。ちなみにその解消法は顔を上向きにすることである。
昨日からつば専用吸引器を使用している。ビニール製の管を口に含むと口内のつばを吸い取ってくれる。「異物をくわえたまま眠れるのか?」という不安は杞憂に終わった。妻の「つば受けのタオルが全然濡れてない」というコメントを聞いて嬉しく思った。
パソコンで作業しているときポインターが動かなくなった。足元に置いてある呼び出し用のアヒルのおもちゃを鳴らそうとするが、足の位置が悪くどうやっても音が出ない。こうなると家族を呼ぶ術がない。結局、40分間、何の作業もできないまま、救助を待ち続けた。
出エジプト記を読んでいる。モーセが生きていた時代は紀元前16世紀頃と推測されている。日本では弥生時代に入る前で竪穴式住居に住んでいた時代である。そんな時代に神は移動中のイスラエルの民に祭祀の道具を純金で覆うように命じる。「金はそんなに簡単に手に入らないだろう」「仮に金が手に入っても設備無しで加工できるのか?」「神が金を好む理由は何なのか?」「調整役のモーセの苦労が忍ばれる」と思っていたら、イスラエルの民は神の怒りを買う牛の像をこさえてしまった。この危機をモーセはどうやって収めるのか、今後の展開が楽しみである。
姿勢は大事である。寝台で横になるとき、足で寝台の端を蹴って傾きを微調整できる姿勢が理想で、これが実現できたら眠れない夜でも耐えられる。その一方で、枕が斜めに設定されると首が固定され、上を向いている方の肩が突っ張り、一時間そこらで寝返り要求することになる。寝ているときにいちいち説明できないのがもどかしい点である。
「数学セミナー」の電子版を読んでいる。しかしKindleのビューワーは拡大率200%の次は400%しかなく、帯に短し襷に長しで困っている。すなわち、200%だと文字が小さくて読みづらく、400%だとスクロールの多用を強いられ、横書き2段組の文面を読むには余計な時間を費やす羽目になる。250%がちょうど良いのだが、これを読んだKindle関係者の方々、どうか善処のほどよろしくお願いします。
旧統一教会はここ韓国でも蛇蝎のように扱われている。それは教団が無視できない影響力を有することの裏返しでもある。そういえば、馴染みの喫茶店で勉強していたとき日本語で聖書の解説をする男と聞く女という場面に出くわしたことが度々あったなあ。
有人月面着陸を目標とするアルテミス計画の一環として、無人探査機の打ち上げが予定されていたが不備が見つかり、打ち上げは延期になった。こういう話を聞くたびに「50年前の技術力でどうやって月に人を送って地球に帰還させることができたのか?」という疑問が湧いてくる。ちなみに飲み会の席で釜山大宇宙航空学科の某教授に同じ疑問をぶつけたところ「わからない」という答えが返ってきた。
数学科の同級生が天に召された。しばらく喪に服すつもりだ。本欄の次回の更新は8月30日以降になります。
またしても藤井王位が伝説を作った。王位戦第4局二日目、豊島九段の封じ手は周囲の度肝を抜く強襲8六銀、藤井王位は冷静に対処、四方に睨みを利かせる5六角打ちからリードを拡大して迎えた終盤、安全勝ちを狙える局面で指した手が膨大な変化を読み切った4一銀だった。歴代最強であろう藤井王位の棋譜をリアルタイムで追えるのはこの上ない僥倖である。
ここ最近、夜に眠りに落ちない。妻の携帯のアラームが鳴る午前五時半に寝返りを手伝ってもらってようやく眠りにつくことができる。それでも2時間弱で目が覚める。午前中は横になっているが眠っているわけではない。体内時計を調節する方法をご存知の方、是非ともご教授いただきたい。
体を洗ってもらった。洗う前には二台の車いすの設置や胃ろうチューブの防水処置、洗った後は胃ろうとカニューレの消毒とガーゼ交換と着替え、すべての行程を終えると2時間が経過していた。有り難い気持ちとすまないと思う気持ちが交錯する日々である。
妻が「後方の車からクラクションを鳴らされた」と言って、交通状況を図に描いて説明し始めた。俺も経験があるのだが、運転中に「パーン」という音を聞くと「なにか悪いことをしたのかな」と不安になり激しく動揺してしまうのだ。妻には「せっかちな人はどこにでもいるから、気にしないで安全運転に努めなさい」というメッセージを送りたい。
プレミアリーグのブライトン対ウェストハムを観戦している。三笘は補欠で、知っている選手はウェルベックとボーウェンしかいないけど試合内容が充実していて十分に楽しめた。只今、後半20分、三笘の出番はあるかな。
久しぶりに外出した。メンバーは俺、妻、次男の3人で初めてと言ってもいい組み合わせだ。あまり乗り気ではなかったのだが、妻と次男の会話を聞いていると幸せな気持ちが湧いてきた。
数学者の間で使用される「雑談」は「自由討論形式の数学の話をすること」を意味する場合が多い。
自虐史観という言葉に象徴されるように、この時期のNHKの番組は軍部の独裁と暴走で引き起こされた悲劇と空襲や原爆や沖縄戦の被害者に関するドキュメンタリーの数々が放映される。しかし、日本軍が犯した戦争犯罪、例えば民間人殺害に関する被害者や遺族の証言を集めた番組とかありそうなのに実際は制作されていないようなきがする。果たして、俺の思い込みなのか、それとも何か理由があるのか、Wさんにお尋ねしたいところである。
長男が体調不良を訴えて学校を休んだ。妻は「症状が似てるからコロナかも。受験日の直前にかかるよりも今かかったほうがいいかも」と言っていた。母は強し。
義父母が来てくれた。「健康にお過ごしですか?」「バスは混んでいませんでしたか?」「足腰の調子はどうですか?」「釣りはまだされていますか?」「妻が料理を準備していますよ」健康であったらよどみなく出てきたはずの言葉が今はまばたきだけになってしまった。
目が悪くなったのかメガネが合わなくなったのか定かではないが、ノートパソコンの画面に映る文字が見えづらくなった。フォントの拡大はスクロールの煩雑さを引き起こすので、読みづらさは解消されないままである。
妻が「映画かドラマを見てみる?」というので、韓国ドラマ「愛と戦争」をリクエストするも「あまりにも下世話だ」ということで却下された。それならばと、「カサブランカ」をリクエスト、受理されるも、妻は「三男の宿題を見なきゃ」と言って別室に移動、せっかく呼び出した長女も十分も経たないうちに居睡を始め、三男の「豚を起こす」というちょっかいに怒りだしそのまま礼賛、俺は地に落ちたリスニングと追いつけない韓国語字幕という二重苦の中、独りで、おそらく5回目となる、名画を鑑賞し終えた。「ジュラシック・パークにすればよかった」という後悔は先に立たずである。
横になるときは呼吸器を装着し、座っているときは外すようにしている。呼吸器なしでも苦しくなるわけではないが、一時的に呼吸器が外されると「呼吸が減衰していく」ような不安に駆られる。その不安が抑えられず、足元に据えられたアヒルのおもちゃをけたたましく鳴らしてしまうのだ。
雑誌「数学セミナー」の電子版が今月から出版されるらしい。数学界には一般の数学ファンに影響を及ぼす個性的な人材が少なからず存在する(と思う)。そういう方々がユーチューバーとなり、動画を配信し始めたら数学の裾野の拡大に貢献するだけでなく、藤井フィーバーに沸く将棋界のように世の中に数学を身近なものとしてアピールできる絶好の機会になるだろう。「本業で忙しいのにそんな暇があるわけない」という声の大合唱が聞こえてきそうだが、そこは出版社のような機関が元締めとなり、動画編集などの業務を請け負い、数学セミナーをプラットホームにして、対談や講演の動画を配信していくのはどうだろうか。登録者数が100万人を超えたら、スポンサー企業もつくかもしれないし、斜陽産業と言われる出版業界が生き残るための道標となるかもしれない。
長女が事あるたびに「大村の友達に会いたいなあ」と言っている。ちょうど夏休みで旅行にはうってつけの時期なのに、コロナ禍が収束に程遠いのが恨めしいなあ。
アントニオ猪木のインタビュー映像がテレビで流れた。闘病中にも関わらず、お茶の間のファンを元気づけようと気丈に振る舞う猪木の姿に胸を打たれた。プロレス中継を毎週欠かさず視聴していた小学生だった俺には猪木は至高のヒーローだった。サーベルを振り回すタイガー・ジェット・シンの腕を折り、垂直式脳天落としを得意技とするディック・マードックに延髄斬りを叩き込み、反則技を連発するバッドニュース・アレンにインディアンデスロックを決め、観客を煽った後、鎌固めそして弓矢固めに移行する様式美、ハルク・ホーガンのアックスボンバーを喰らい場外に落ちて失神、そんな猪木の一挙手一投足に魅了された。大学生の時、猪木の講演会に参加して闘魂注入のビンタを食らったことも良い思い出となっている。
インタビューの最後はやはり「一、二、三、だ~」で締められ、直後に猪木の入場曲の合奏が始まった。俺は猪木に届けと「イノキ、ボンバイエ」と心の中で叫び続けた。
もう足に力が入らない。起こして姿勢を保つ機械とか開発されないかなあ。
友人からこのこと(https://news.yahoo.co.jp/articles/6b40b469f928852226ce8f7fe804a20467dfad37?page=3)について意見を求められた。ワールドカップの出場国数を1.5倍にするという保守的なサッカーファンならば噴飯ものの決定がなされた。引用した記事でも指摘されているように、本大会の試合の質の低下、常連国にとっての予選の形骸化という問題がある。そこで提案したいのが以下の案である。
1.48カ国を16と32に分ける。
2.前者はグループリーグ進出確定国で各大陸予選上位国に割り当てる。
3.後者はノックアウト形式でグループリーグ進出を賭けて戦う。ただし同大陸国間の対戦はなし。
4. あとはこれまでの32カ国フォーマットと同じ。
この方式だと本大会出場を決めても1試合で敗退する可能性を秘めているので、強豪国でも血眼になって予選上位を狙ってくるだろう。アジアの場合、アジア1位の座を賭け、日本、韓国、サウジ、イランで真剣勝負が繰り広げられることだろう。これまで以上に白熱舌試合が楽しめるという寸法だ。本戦でも下剋上を狙う新興国とフィルターの役割を果たす常連国都の真剣勝負が期待される。
この案に賛同される方はFIFA会長の耳に届くようにあちこちに本記事を拡散していただけると有り難いです。
ペロシ下院議長の台湾訪問に対する報復措置と見られる中国の軍事演習の海域を見て驚いた。台湾を取り囲むように6箇所の海域で実弾演習を行うそうだが、そんな位置に中国軍が自由に往来できるというのが驚きの理由だ。中国軍が台湾に上陸して陸地戦になれば物量に劣る台湾はひとたまりもないだろう。であるからこその制海権の確保が生命線だと思っていたのに、その前提はただの願望だった。
以前にも増して唇が動かなくなった。そのため口の動きで言いたいことを読み取ってもらうことが困難になってきた。
1ドル110円前後で取引されていた円が今では130円前後まで価値を落としている。ニュースでは原材料価格の高騰と円安が重なり物価高を引き起こしていると報じるが、輸出産業はウハウハな状況なのではなかろうか。庶民の物価高に対する負担が輸出産業関連企業の利益になっている構図を覆い隠すために報道機関に根回ししていると考えるのは穿ち過ぎだろうか。
胃に食物が入ると唾が溢れ出し頻繁に痰吸引を頼むことになる。すると椅子から滑り落ちて態勢が悪くなり、「立たせてから座らせて」と頼むことになる。その一連の過程で疲弊してしまい「寝て休みたい」と頼むことになる。そのため、椅子に座っている時間が激減している。
昨晩、長女の部屋から「こほん、こほん」という咳の音が聞こえてきた。妻曰く「林間学校から帰って来たばかりだからね。コロナかもしれないから、呼んでは駄目よ」とのことだ。明くる日の朝、次男が熱を出して学校を休んだ。二人とも各々の部屋で隔離されることになった。検査の結果、長女は陰性、次男は陽性。軽症なのが救いだが、コロナとの戦いはまだ続きそうだ。
昨日の日韓戦は韓国の放送局制作のものを視聴していた。その解説委員が日本の選手の所属チームや特徴を紹介していたが、「普通はアナウンサーが資料読みで選手紹介するものなのに、よく勉強しているなあ」と驚くとともにそのプロ意識の高さに舌を巻いた。
昨日の中国戦について。眠気をもよおす退屈な試合だった。香港を6対0で下し、代表に対する期待が高まった中で迎えた日曜のゴールデンタイムで放送された試合で、この体たらくである。香港戦の先発メンバーを総入れ替えしても中国には勝てると森保監督は判断したのかもしれないが、笛吹けども選手は踊らず、引いてきた相手に無意味なパスを繰り返し、得点の可能性を全く感じさせない展開に終始してしまった。その結果として、代表の価値は低下し、出場した選手の評価も下がることになった。森保監督の立場では「ベストメンバーが揃わない東アジアの国々との代表戦は練習試合に過ぎない」のだろうが、チケット代を払って観戦しに来ているファンや選手を供出するJリーグ関係者は「常に勝利を欲し愛される代表」を希求しているはずだ。このあたりのズレが予選突破という結果を残しても監督批判が止まない理由だと思う。次戦は韓国戦、勝てば汚名返上だが、ボロ負けする可能性は十分にある厳しい戦いである。