ホーム心野動記

心野動記

2020年2月20日(木)

先週、訪問看護と訪問リハビリを受けた際、
「最近、頭が前に垂れて、肩も内側にすぼんで、腰も曲がって来てるんですよね」と訴えた所、
「車椅子に深く腰掛けるように」
「車椅子の足受けに踵を付けて座り、正しい姿勢を長く保つように」
「奥歯を噛んで、首の筋肉を刺激するように」
「首をゆっくり回す運動を心掛けるように」と言う助言を受け、首と肩周辺の筋肉をほぐしてもらった。

その助言を忠実に実行した所、自分でも実感出来るほど明らかに姿勢が良くなり、前かがみになる癖が解消された。
「やっぱり、専門家は凄いなあ」と思うと共に、
「今までも恩恵があったはずなのに病気の進行のためにその効果を感じる機会がなかったのかもしれない」とも思った。

この場を借りてお礼申し上げる次第である。

2020年2月19日(水)

最近、中一の数学の教科書についてのボヤキが多い。今日もまたボヤキのネタを発見してしまった。それは単項式と多項式の違いについてである。俺は「単項式も多項式である」と思っていたが、インターネットを含む世の中の潮流は「多項式は2個以上の単項式を足したもので、単項式は多項式ではない」と言う定義が幅を利かせているみたいなのだ。

2xは単項式であるが、その定義に従えば、2x=x+xとなるので、多項式になるのではなかろうか。そもそも、どの文字を変数として見るかと言うことを考慮して、単項式なのかそうでないかが決定されるので、その辺りを曖昧にしている教科書や問題集にはいくらでも難癖を付けられるのだ。

我ながら偏屈になったものだ。
「そんなこと、どうでもいいよ。本質が分かればいいんだよ」と言うおおらかな心を持ちたいものである。

2020年2月18日(火)

「文字って何ですか?」
「数字は文字ですか?」
「+や-や=は文字ですか?」
「数学の教科書で用いられる文字とそうでない文字があるのですか?」
「3x=6という方程式を解くと、x=2ですが、xは果たして文字ですか、数字ですか?」
「円周率を表す記号πはもじですか、数字ですか?」

中学校や高校の教科書を見ても、「文字」に関する言及がないので答えようがない。このようなことは初等教育に限ったことではない。大学における数学教育においても、「集合」は「ものの集まり」と言う言い回しでお茶を濁していることが多い。

「文字」を定義するためには言語としての文字の有限列を用いて記述されることになるので、自己言及になってしまう。

中一の数学は侮れないどころか、その前の学年からの難易度のギャップが激しいという意味で最も難しい単元だと思っている。

2020年2月17日(月)

最近、夜寝る時に息苦しさを感じることがない。なので、熱さや筋肉のこわばりで目が覚めた時も、叫んで妻を起こすことなく平常心で考え事をしながら夜明けを待つことができるようになった。しかし、肺活量や腹式呼吸で空気を吸い込む力は確実に落ちている。であるのに呼吸が楽になったというのは自分でも不可解だった。

寒くなって空気に湿り気が出てきた、横向きに寝る体勢が板についきた、呼吸しにくい状態に慣れただけ、等の原因を考えたのだが、今一ピンとこなかった。しかし、昨晩、その最たる原因が解明されるに至った。

寝る前に妻に向かって
「鼻に何かが詰まっている気がするんだけど」と訴えると、妻は耳鼻科医のように蛍光灯の光で鼻の穴を観察し、脇にあるティッシュペーパーをドリル状に丸め、鼻腔の内側にえぐり込むようにねじ込んだ。そして、サザエ貝から楊枝を使って実を取り出す時と同じ要領で、スライム状になった粘性の高い物体を巻き上げることに成功したのだ。
「ほら、見たら驚くよ。こんな長いのが潜んでいるなんて神秘的だわ」そう言うと、興味を持った三男がやって来て、自分にもやらせてくれとせがんできて、もう一つの穴への発掘調査が始まったというわけだ。

その物体が鼻の穴から除去された後、清浄な空気が鼻を通過して肺が清められるような感覚を覚えた。イスカンダルから持ち帰ったコスモクリーナーで汚染された地球が蘇る感覚と言えば大袈裟だろうが、そのくらいの落差を有する爽快感であった。

2020年2月15日(土)

とある小学六年生に質問してみた。
「マイナスとマイナスを掛けるとどうしてプラスになるの?」
「そうなっているからじゃないの。まだ習ってないからわからないよ」
「じゃあ、お兄ちゃんに聞いて見て」
中三の兄はこう答えた。
「逆向きに歩いている人が過去にどこにいるかを考えればいいんじゃない」

それはそうなんだけど、なんか腑に落ちない思いをした人も多いのではなかろうか。かく言う俺もその一人である。まず上記の掛け算は、時間かける速度という掛け算であり、出てくる答えは位置である。これは数ある掛け算の種類の一つではないのか?例えば、長方形の面積は長さかける長さで求めたはずである。
「長さは量数だから負の数はない」という声が聞こえてきそうだが、それならば、
「数直線上の位置と位置を掛け合せたらどうなるのか?」
「出て来るのは面積のようなものだけど、どうやって正負の符号を割り当てるのか?」という疑問が出て来る。いずれにせよ、特別な掛け算におけるもっともらしい事実を検証なしに他の種類の掛け算に適用するのは如何なものかと思う次第である。

その小学六年生は
「(-1)(-1)=(-1)なんじゃないの?」と真顔で聞いてきた。俺は彼女の頭でどんな思考がなされたのか手に取るように分かった。数直線は左右対称なのだから正の数側で起こる出来事は負の数側でも同じことが起こると考えたのだ。数直線と言うのは実数を視覚化した概念で、足し算や掛け算がどのように定義されているかは中一の教科書には言及されてない。(-1)と1の役割を入れ替えて乗法を定義しなおすことは可能なので、上記の問いかけを間違いだとも言えないのである。

結局の所、量数における足し算と掛け算を数直線全体に拡張するという仮定の下で丸く収めるのであるが、そういう事を中学生に言っても分からないだろうという理屈で、ほとんど全ての中学生が煙に巻かれることになるのである。

このままではオチにならないので、とある数学者から伝授された説明を以下に示す。
1.両手の人差し指を横に向け、二つのマイナスを作る。
2.その二つの指を交差させ、×の記号を作る。
3.交差させた二つの指を45度回転させて、+になるのを確認しよう。

2020年2月14日(金)

「ジューシーハンバーグ料理教室」
これは大村市で最も有名なアイスクリーム店の一角に貼られたポスターの題名である。
「参加したら楽しいだろうなあ」と思った。妻の運転でドライブしていると「手作り味噌」や「手打ちそば」など、立ち寄ってみたいなと思わせる看板が目に入ってくる。「~祭り」や「~講演会」などの大村市のイベントも盛り沢山だし、空気が澄んだ晴れた日は周辺が絶景スポットだらけになる。

たとえ俺が健康体だったとしても、仕事と家庭と趣味に時間を費やすだろうから、好奇心の赴くままに行動することはしないだろうし、それは許されないだろう。ここであり得ない仮定の下で思考実験してみる。

もし俺の健康が突然回復したら?

(1)職場復帰の準備を整える。これが最も現実的だし最も望んでいることなのだが、当たり前すぎて面白みに欠けるので、他の可能性を模索してみよう。

(2)高画質のスマホを片手にその日に起こった面白い出来事を記録し、写真と動画を添えて地方都市での生活の素晴らしさを文章にして内外にインターネットを通して発信する。こういう趣味が高じて、閲覧数が上昇し人はブロガーになるのだろう。趣味と実益を兼ねた理想的な生活かもしれない。でも、いざ健康になったら、インターネットに興味を失うような気がするんだよなあ。

(3)映画「フィールドオブドリームス」のように自宅裏に室内フットサル場を作って、そこの管理人として、時には専門家からレッスンを受け、肉体改造とサッカーの基礎を学びたい。子供達が学校から帰ったらフットサル場で遊ばせたい。しかし、赤字で長くは続かなそう。

(4)やっぱり、平坂塾を充実させたい。現在の塾生を一期生として育て上げ、塾生数を増やして部活動のような組織を作り、学校帰りに塾に集まって勉強を教えあうような学びの場を作りたい。しかし、その場合、他の家族よりも早めに夕食を摂らねばならず、妻がつむじを曲げそうだ。

よく考えると、(4)だけは闘病中でも実現可能ではないか。というわけで、二期生となる塾生を募集中です。



2020年2月13日(木)

昨日、一昨日は国語を槍玉に上げたが、国公立大学の人文系学科を志望する人にとっては
「あんなにややこしい数学、しかも入試が終われば自分の人生に一度も登場しない可能性の高い数学に対して膨大な時間を費やすのは無駄ではないのか?」と主張するのは自然な事だろうと思うに至った。

数学を生業とする立場から上記の主張に幾ばくかの反論を試みるべきなのだが、
「嫌いな科目を勉強するのは我慢比べみたいなものだからなあ」
「俺も運動音痴だったからわかるんだけど、数学が苦手な人は『やってはいけない勉強法』を平気で数学に用いるからなあ」
「そのようなボタンの掛け違いを矯正するだけでも莫大な時間が必要になるからなあ」
「しかも数学のマークシートは四択ではないから、満点の四分の一さえも保証されないからなあ」
「教科書の内容を正しく理解することが重要なのに、例題の解法を暗記する学習法が幅を利かせている状況では、数学の受験勉強は苦痛そのものだろうなあ」
「論理的思考とよく言うけど、それが身に付くような教育が徹底されてないし、入学時にそれが身に付いている学生の割合は一割未満だからなあ」等と言う考えが頭に渦巻き、口をつぐませてしまうのだ。

そもそも、学問や教養は役に立つことを期待して励むものではなく、嫌々ながらやっていたけど後になって重要であることが分かったという類のものかもしれない。我々は九九段の暗記を通してそのことを実感したはずである。

2020年2月12日(水)

前日は国語が重んじられる入試制度に疑問を投げかけた。これは国語教育を軽視していることを意味しない。むしろ、小中高での国語教育には今まで以上に時間を費やすべきだと主張したいくらいである。

小学校の国語教育は素晴らしいと思う。膨大な量の漢字を覚えるだけでなく、一つの漢字の多様な読み方や用法をどうやって身につけたのか自分でも不思議に思う程である。しかも、日記や感想文のような作文の時間も十分に確保されており、他の教科も日本語で学ぶので自然と語彙力が増強される。

中学校ではより高度な文章を読解する力が要求されるが、基本的には小学校で学んだ国語力を磨き上げる場だと思っている。作文の時間が足りない、と言うか、作文技術を体系的に教える教科課程がない(少なくとも俺は習った記憶がない)点が懸念事項である。作文は創作物であり個性でもあるので優劣は付けられないという見方もあるが、推敲と言う言葉があるようにより良い文章の目安と言うものがあるはずだ。会社や役所で用いる公文書は「いつ誰が読んでも同じ意味で理解される」という普遍性が不可欠であるのに義務教育で体系的に学ぶ機会がないのは如何なものかと思う。

高校での国語教育は俺のような素人でなく専門家集団の批判に晒されるべきだと思う。大学側は人文科学の専門書を読んで理解するような国語力や古今東西の文学作品を味わう感性を養成すべく入試問題を作成しているふしがあるが、高校側は「時間を掛けて努力を積めば到達できる道筋」を生徒側に提示できず、生徒側は読書量や要領で現代文の読解問題の準備をしているのが現状ではなかろうか。要約すると、高校の現代文の授業は受験対策にも読解力養成にもなっていないものが大部分ではないか、その結果、大学における教養課程が空洞化している、と言う主張である。ここで言う空洞化は専門書一冊さえも読み込むことなしに過去問が繰り返される暗記力が勝負の定期試験のみの評価で単位が簡単に取れてしまうことを意味する。

教育の現場では、優れた国語教育を実践されている方が多数いらっしゃることだろう。上記の物言いは偏った経験に基づいた浅薄な知識しかない偏屈な素人の戯言とご理解いただければ幸いである。

2020年2月11日(火)

今年度のセンター試験の国語の問題を解いてみた。何十万人もの受験生の優劣をつける試験なので難易度が上がるのは致し方ないと思うが、大学で勉強する能力の有無を問う試験として適当なのかという疑問が湧いてきた。

この疑問を論じる前に「日本の大学で求められる人材とは?」について考えてみたい。一部の例外を除いて、日本の大学でのほとんどの講義は日本語でなされる。そして、レポートや試験問題も日本語で書くことが要求される。それに見合った日本語能力が必要だとは思う。しかし、これは文系科目の話で、理系科目には該当しない(と思う)。

数学に限って述べれば、大事なのは数学の内容を理解することで、日本語能力は問われない(はずである)。俺の経験を一般化することは出来ないが、数学の講義は日本語で聴いても理解できるものではなく、自分で教科書を丹念に読み込むことで初めて理解できるものなのだ。極端な話、数学が抜群に出来て日本語が全く出来ない学生でも将来有望と目されることだろう。他の理系科目であっても、専門性に秀でた者が高い評価を受けるであろう。そうでなければ、留学生は行き場がなくなるだろう。

最初の疑問に戻るが、センター試験の国語の配点は200点で、そのうちの100点が古文と漢文である。そして、文系理系を問わず、ほとんど全ての国公立大学が国語を含めたセンター試験の合計点で合否を決めているのである。日本の文化を教養として身につけた上で大学に来てほしいと言うお上の声が聞こえてきそうなこの制度は、専門馬鹿や日本語が不得意な者を切り捨てているだけでなく、理科や社会等の専門となり得る科目への学習時間をも削減しているのである。

インターネットの発達で言語の壁が低くなり、情報技術への専門性が求められる分業化した現代社会において現行の入試制度への疑問が膨らむ今日この頃である。

2020年2月10日(月)

「渇いた喉に冷たい水がしみ込むような生きる手ごたえ」
これは幼少の頃に放映されていたアニメ『新巨人の星Ⅱ』の開幕曲の一節である。御存じない方のために説明すると、『巨人の星』は父から野球のスパルタ教育を施された飛雄馬の成長を描いた漫画であり、『新巨人の星』では左腕の酷使により再起不能になった飛雄馬が草野球の助っ人代打で打席に立つ場面から始まる。

あんまり卑屈になりたくないのだが、運動して汗が出て喉が渇くという状況を招いてはいけない病気に罹っているし、冷たい水が喉を走り抜ける爽快感も味わうことが出来ないほど飲み込む力が衰えている。

つい一か月前はストローで注意して口に含めば、水もお茶も飲めていたのだが、ここ二週間、水やお茶が喉を走る速さに気道弁が閉まる速度が追いつかず、咽を引き起こす頻度が増大している状況である。そのため、水やお茶のようなサラサラの飲み物を口に入れる時はトロミ剤を入れて飲んでいる。

飲む前はトロミ剤を入れるのに抵抗があったが、一口飲んでみて、味が変わるわけではないこと、咽ないという安心感が増したことがわかった。それからは積極的にトロミ剤をいれるようになった。

もしや、このことが「喉にしみ込む」状態で「生きる手ごたえ」を味わうことかもしれない。

2020年2月9日(日)

とある小学六年生の女子に中一の数学を教えることになった。俺は誰に対してもそうするように教科書の音読を命じた。彼女が数頁読んだ後、機械音声を用いて質問してみた。
「負の数とは何ですか?」

彼女は教科書に書いてあるとおりに
「0より小さい数」と答えた。すかさず俺が
「そんな数あるのかな?」と聞くと、彼女は
「あるに決まってるじゃない。教科書にも出ているんだから」と答えた。
「ミカンの個数とかだったら、0より小さい数はなさそうなんだけど」
「でも、温度計にもマイナスがあるじゃない」
「それだって、絶対零度から数えたら正の数になるんじゃない」
「そんなのは言葉遊びで、私を困らせるために言ってるんでしょう。数があって、それが「ばーっ」と反対側に行ったのが負の数なの」
「どうして180度回転させるんだよ。30度でもいいじゃないか?」
「あー、もう」

そもそも、個数、量数、位置は異なる概念である。それらを取り扱う数学も異なるはずである。例えば個数の世界では1-2=0とするのがもっともらしいと主張することができる。そのことを考慮せず、位置の概念のみを重用し、初学者には得体の知れないものであろう負の数を既定せず、大小関係までも予め知られているかのように記述するのは乱暴すぎるのではないかと思う。しかし、教育現場では
「人類の脳には無限に伸びる直線という概念が内蔵されており、その直線上の点ごとに名前を付けた数直線という概念も容易に理解できるだろう。その数直線で、個数、量数、位置を統一的に扱おう」という暗黙の了解があるが故に、「0より小さい数」が負の数の定義としてまかり通っているのである。

そのことは、中学生の負の数に対する理解を容易にする一方で、数に対する好奇心を養う機会を奪うという功罪があると思う。

2020年2月6日(木)

1993年の秋、サッカーのW杯アメリカ大会出場を賭けたアジア最終予選がカタールで開催された。二勝一敗一分けで迎えた最終戦で勝てばW杯への初出場が決まるという状況だったが、試合終了間際に痛恨の同点弾を喰らい、W杯への道を閉ざされた。これは「ドーハの悲劇」として今でも語り継がれているので、平成生まれの方々もご存知のことだろう。

あの時思ったのは、
「この我々が生きている世界とは別に、アメリカ大会に出場している世界があるのではないか?」
「それだけでなく連続的もしくは離散的に変化する様々な世界があって、個々の意志が徘徊しているのではなかろうか?」
「全人類が同一の器に入り同一の時間で生き死にを繰り返すと言うのがそれまでの死生観で、運命と言うのは予め決まっていると思っていたけど、果たしてそれは正しいのか?」
「量子力学に出て来るシュレディンガーの猫みたいなことが頻繁に起こっているのがこの世の中で、猫の生死が世界を離散的に二分割しているのではなかろうか?」と言うことで、それを友人に伝えると、
「それはオカルト雑誌によく載っているパラレルワールドだよ」と一蹴された記憶がある。

これまでの俺の人生を振り返れば、ほんのわずかな差で丁半がひっくり返り大惨事になりかけたことが一度ある。

俺が小ニの時の話である。実家の二階には石油ストーブが置いてあり、マッチを用いて点火する仕様となっていた。ある夜、俺は一人で二階に上り、マッチを擦って石油ストーブの点火を試みた。火が灯ったマッチの炎は美しく、マッチの上から三分の二が真っ黒な消し炭になるまで見入っていた。通常はストーブを載せる金属製の台の上に消し炭を置くのであるが、俺は何の気なしにその消し炭をゴミ箱に放り込んだ。そのゴミ箱はビニール製だったが、しばらくは何の音沙汰もなかった。それから先の記憶があやふやなのだが、水色のゴミ箱から白煙が上がっているのが見えた。慌てた俺は隣の部屋の洗面所に行ってコップに水を注いで再びゴミ箱の元へ向かった。なんと、ゴミ箱の中のちり紙に引火して火柱が上がっていたのだ。俺は一も二も無く持って来た水をゴミ箱に投じた。「じゅううっ」と言う音がして火柱が消えたのは僥倖だった。何度か洗面所とゴミ箱の間を往復して消火活動に従事した後に残ったものは、ドロドロに溶けた水色の塊と円形に焦げた跡が付いた畳であった。

何かが一つ狂えば築八年の実家は全焼したかもしれず、そうなれば経済的打撃を受けたであろう家族の中で育ち、消えない心の傷を負った俺は今とは完全に異なる人生を歩んだに違いないのだ。いや、異なるパラレルワールドに行ったと言うべきだろうか。

ひょっとしたら、このような運命の分岐点は俺が想像するよりも遥かに多い頻度で存在するのかもしれない。それらを全て運命だからしょうがないと諦めるより、分岐点ごとに意志の力が働いてより良い世界が開けると思う方が救いがあるような気がするのだが、いかがなものだろうか。

2020年2月5日(水)

またしても移乗に失敗した。

平坂塾での指導を終えて、作業部屋から台所までの五段からなる階段を下りる時だった。妻が俺の脇に潜り込み俺を立たせて、階段を下りる時は妻が階段に膝を立て、その膝を椅子代わりにして一段ずつ下りるのが通例である。

昨日の尻餅事件のため今日は万全を期して前後に長男と次男を配して階段を下るのだが、足の裏が階段に接地せず上滑りの状態になって、雪崩のように全身が伸びきってしまった。後ろから引き上げようとする力が働くが、その力が可動域が小さくなっている右肩にかかり、捻れによる激痛で悲鳴を上げたため、全ての力が重力に委ねられ、台所の床に尻餅を付くこととなった。

転んでもただでは起きないのは妻の特性でもあるようだ。妻は昨日の救急隊員の救助方法を記憶していた。俺の両腕を胸の前で交差させ、次男に俺の右側から足とベルト穴に手を掛けるように指示し、妻は左側に、長男は足側から、俺の体を抱え上げ、見事、移乗に成功した。

この「出来ていたことが出来なくなった」精神的打撃は測り知れないほど大きいのであるが、「昨日も今日も、思わず笑ってしまったよ」と言う妻の明るさに救われている。

2020年2月4日(火)

去年の四月に中古車を購入した。八人乗りの福祉車両で、電動で補助席が下りてきて、車椅子との移乗を容易にする機能が付いている。その手順は以下の通りである。

1.俺が乗った車椅子を前向きに助手席ドアの後方に設置。
2.助手席のドアを開けて、リモコン操作で助手席シートを下ろす。
3.車椅子のブレーキをかけて、足受けを外す。
4.車椅子前方に立った妻が俺の腰を抱えて一緒に立ち上がる。
5.俺の踵を中心に回転し、助手席シートに着席。
6.リモコン操作でシートを上げて元の位置に戻す。

今日もその手順で移乗を試みたが、4の段階で十分な高さまで立ち上がることが出来ず、かと言って後方の車椅子に座ろうとするもお尻の位置がずれて、車椅子の座席のやや前方で空気椅子の状態になり、緩やかな速度でコンクリートの床に落下した。

こうなってしまうと、妻一人の力ではどうにもならない。平日の14時半なので自宅には誰もいない。自転車で下校する女子中学生二人組に助けを求めようと提案するも、妻は黙ったままだ。

妻の決断は早かった。携帯電話で119を押し、救急車を呼んだ。三名の救急隊員から抱え上げられ無事に車椅子に座ることができた。サイレンの音を隣家で聞きつけた母が顔面蒼白で現れるも、外傷はなく、ただ尻餅を付いただけと言う決まりの悪さから話す気になれず、無言で押し通した。

どうしようもない状況だったとは言え、尻餅ごときで救急隊員まで呼んでしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだった。妻も同じ気持だっただろうが、世間体を気にしない、俺みたいな俗物を超越した妻の心の強さを見た思いがした。

救急隊員の皆様へ、救助していただいて本当に助かりました。この場を借りてお礼申し上げます。

2020年2月3日(月)

今日の英語教室では先週に引き続きリンキング(linking)に関する授業が行われた。英語の文章を読む時に単語の一つ一つを区切って読むと、言い終わるのに時間が掛かるし、言いにくいし、等の問題が発生する。そこで連なる単語群をあたかも一つの単語のように発音するということだ。これが出来ないと聞き取れないし、聞き取ってもらえない。

授業を聞いていて思ったのが、こういうことを十代の頃から知っていれば俺の英語も少しはましになっただろうになあと言うことである。このリンキングを意識するだけでも随分と英語が流暢に聞こえるものなのだ。日本語でも「ん」と母音が重なった時はリンキングが起きるのだが英語のように頻繫ではないし体系化もされていない。ちなみに韓国語ではリンキングだらけで、これが出来ないが故に聞き取ってもらえないことを身をもって経験している。

我田引水になるが、こういった学校の英語学習では素通りする部分を学べるところが平坂塾英語教室の特徴であり、差別化が図れる点である。

2020年2月2日(日)

二年前、釜山のとある大学病院に検査入院した。それ以前から、左手に力が入らない、斜面に立つと不安定になる、運動機能が低下し続ける、という症状が現れており、主治医からの「一刻も早く検査してください」という勧告に従ったのだ。

その頃の俺は歩き方が少し変なくらいで、50mの全力疾走も可能だった。一週間の検査入院の期間もスクワットやケンケン歩き等の鍛錬を夜の人気のない病棟内で黙々とこなしていたのだ。不安だったが悲愴感はなかった。いつものことであるが根拠のない自信が発動し、
「パーキンソン病でも五年くらいは仕事を続けられるだろう」
「運動神経病は個人差が激しいというから、きっと俺も大丈夫だろう」
「運動を続けていれば進行も遅くなるだろう」
「どんな環境でも楽しく生きていけるはず」
「まさか、瞳孔しか動かない状態になったりはしないだろう」
などと楽観していたからである。

検査後、主治医から
「パーキンソン病ではないです。ALSではない運動神経病です。遺伝子検査が必要ですがケネディ病ではないかと思います」と言われ、妻と共に喜び合った記憶がある。
あの頃は、呂律も回っていたし、車の運転も出来たし、指も器用に動いたし、スマホの操作も出来た。何より、着替え、排せつ、入浴等の身の周りのことを一人でこなすことが出来た。サッカーは出来なくなったけど、家族がいて数学があれば十分に幸せだろう。そんな風に思っていた。

まさか、難病中の難病のALSに罹るとは、二年後に喋れなくなるとは、夢にも思ってなかった。あの頃の俺は
「後で後悔しないように元気なうちにやれることは全部やろう」と思っていて、それなりに行動してきたが、今となっては、
「あれだけの時間と健康が存在したのに、時間を無駄に使ってしまった」と後悔している。

おそらく、二年後も同じように後悔の念を綴っていることだろう。いや、パソコンを操作できるかも怪しい所なんだけど。

2020年2月1日(土)

韓国全体ではどうなのか定かではないが、少なくともウチの子供達が釜山で通っていた幼小中高では給食制度があった。しかも高校では夕食もあって、子供達の話では
「こんなに肉がたっぷり入った料理が給食で出ていいの?」と訝るくらい、栄養価が高く美味しくて量が多い給食が出て来るとのことだ。

その真偽に関してだが、これまでの経験から「真」の公算が高いと思う。闘病記(釜山編)でも書いたが、浦項工科大と釜山大の学食は安くて美味しくて主菜以外のおかずと御飯は取り放題だった。学校ごとに大規模な厨房があり、炊き立ての御飯を供給出来、韓国料理自体が大人数で食べるのに適している、国民全体の食べ物に対する関心が高い、等のもっともらしい理由が次々と浮かんで来るのも「真」と思う理由となっている。


その四人の子供達が昨年の四月から大村の幼小中校に通うことになったわけだ。幼稚園は週二回は弁当、小中は給食、高校は弁当である。給食組の次男と長女は大村での給食に不満たらたらで、俺は
「釜山と比べたらそう思うのも仕方ないだろうな」と思っていたが、最近、
「40年前の俺の時代と比較して、質が落ちているのではなかろうか?」という疑問が芽生え始めた。更に踏み込んで、
「俺らが食べていた給食は費用面での無駄が多かったのではないか?」と思うようになった。

「パンと牛乳は果たして必要だったのだろうか?」
「猫の目のように献立を変える必要はあったのだろうか?」
「時間とともに味が落ちる揚げ物は無くてもいいのでは?」
その当時、減反政策が行われていたくらい米が余っていたのだ。パンと牛乳を白米御飯に替えれば、費用も安くなるし、米の内需も拡大したはずである。
極端な話、毎日、豚汁と御飯でも栄養や美味しさの面での満足度は高まると思う。安価で手に入る季節の野菜を用いた大鍋料理に特化すれば費用も削減されるし、同じ献立を作り続けることにより味も美味しくなるはずである。
子供に迎合して洋食を増やすのは愚かだったと思う。冷え切ってケチャップの味しかしないスパゲティとか予めドレッシングが掛けられているサラダとかではなく、煮魚とほうれん草のお浸しで十分である。

今一度、給食制度に関して真剣に議論すべきではないかと思う今日この頃である。

2020年1月31日(金)

昨晩は午後11時に就寝して、午前2時に目覚め、午前6時まで眠れず悶々として過ごした。その間、鼻で大きく吸って肺を最大限に膨らませた後、口から少しずつ吐き出す呼吸法を実践していた。しかし、腹筋力が衰えたせいで以前のように多くの空気が取り込めない。この状態が慢性化すれば肺細胞が減少し肺年齢を押し上げるのだろう。

午前9時半に起きた寝不足の俺を待ち構えていたかのように妻がスマホで説教の動画を見せに来た。ここ一週間妻とは基督教のとある教理を巡り、捕鯨問題のような互いに歩み寄る事のない不毛な議論を繰り返してきたのだが、その説教の内容こそが妻が辿り着いた結論だと言うのだ。妻は
「自分の意見は変わらないけど、そんなことで教会の分裂を招くのは愚かなことだ」と言った。この件に関して助言をいただいたCさん、I牧師夫妻、S教授、L教授、稲葉先生(助言をいただいた順序)にこの場を借りて感謝したい。

午後2時から長女が通う予定の中学校の入学説明会に出席した。休職中でなければ決して参加することはない会合で、昔ながらの校則の説明など、ある意味で非常に新鮮だった。会場は中学校の体育館で、スロープばないために数人の教員の方々に助けられて階段を上った。開会前、校長先生が車椅子の前まで来られて、「スロープが設置されておらずご苦労をかけてすみません」と仰ったばかりでなく、閉会後、我々を先導して人混みをかき分けて、階段を降りるのを手伝い、車まで見送りしてもらった。
「普通、校長先生がここまでのことはしないのになあ」との思いから、恐縮することしきりだった。この場を借りてお助けいただいた皆様に感謝したい。

2020年1月30日(木)

俺の寝室には移動式のテーブルがあり、その上にパソコンを置いてこの文章を綴っている。寝室は小さな間取りで暖房が効くので、布団やガスストーブ等の暖を求めて子供達が自然と寄って来る。一週間前は、長男がスマホで音楽、次男がスマホでゲーム、長女がスマホで漫画、三男が妻のスマホで動画鑑賞、という無政府状態だったが、今日は違った。長男はまだ帰宅せず、次男は聖書の黙読、長女と三男は布団の上でふざけあっている。

これは今週の月曜日に発令された「許可なく電子機器に触れるべからず法」の影響である。スマホ依存症の危険が叫ばれる中、インターネットを貪り続ける子供達を憂慮した妻が大英断を下したのだ。

発令当初は抵抗勢力による示威活動が起こったが、妻の硬軟使い分ける政治手腕が功を奏し、鎮圧に成功したというわけだ。しかし、抵抗勢力が虎視眈々とインターネットの使用を画策している、予断を許さない状況であり、今後の動向が注視される。

2020年1月29日(水)

夕食時、長女が一枚の紙きれを食卓に置いた。そこには、長女が描いた水彩画が何らかの作品展で銀賞を受賞し、2月1日から大村市のコミュニティセンターの一室に展示されると書いてあった。その絵は授業参観の時に教室の前に張り出されていたものの一枚だった。参観日の日に冗談半分で
「他の絵とは次元が違う出来映えだな」と言うと、長女は親指と人差し指でVの字を通リ、それを自らの顎に当て、
「へへへ、そうでしょ」とにっこり笑った。長女があまりにも自信たっぷりだったので、「異次元の下手さだな」というオチを言い損ねた覚えがある。

その絵は大村の自宅の一階から眺めた月夜の光景がモチーフになっていて、窓枠が画用紙の中で斜めに描かれていて、かなり奇抜な構図なのだ。全体の色調は群青色で、初夏の月が浮かび上がるような色の対比も独特なのだ。

俺は長女を呼び「マイドジ」と声を発すると、察した長女は膝の上に置いている俺の拳にハイタッチをした。俺が患っている不治の病は一つだけではなかった。どこかで
「親バカ、いっちょうあがり」と言う声が聞こえてきそうである。

2020年1月27日(月)

今年のセンター試験の数学Iの問題を解いてみた。

穴埋め問題になっているので、「ここは二桁の整数、あれ?答えは分数になるのにおかしいなあ。と思ったら括弧の外に係数が付いてた」のような受験生を混乱させるようなノイズと戦いながら空欄を埋めて行った。手が動かないので、全て暗算で計算しなければならず骨が折れる作業だった。

最後の問題はデータの分析で、知らない定義を検索しながら解いた。
「これは俺が親しんだ数学とは別の何かだよなあ」という思いが付きまとったが、これも時代の流れなのだろう。老兵は去り行くのみである。

余談であるが、世界史Bを解いてみた。ちなみに高校の頃世界史は得意科目で8割から9割の正答率を誇っていた。しかし、最初から解き始めて、自信を持ってマークできる設問が一向に現れないのでやる気を消失した。改めて受験生って凄いんだなあと思った。

2020年1月26日(日)

釜山の自宅は22階建てアパート(マンションと言う方が正確かも)の2階の部屋だった。冷暖房がよく効いて防犯性に優れる一方で、上階と下階からの騒音という問題があった。

数年前の話であるが、自宅の真下には耳が遠いおばあさんが住んでいて、時間を問わず最大音量でテレビを視聴していた。その音波が鉄筋を伝って不気味なうなりとして響いてくるのである。最初は我慢していたが、そのおばあさんから「子供の足音がうるさい」と逆に注意されたことで関係がこじれてしまった。以降、ウチの子供達が少しでも跳ねたりすると怒声が飛ぶようになった。その後、そのおばあさんは痴呆症が悪化して家族に引き取られていった。代わりに入居して来たのが、幼子連れの夫婦だった。それ以降、下からの騒音はなくなったが、俺ら家族が騒音を立てるのに敏感になり過ぎて、子供達だけでなく我々夫婦もやや窮屈な生活を強いられた。

騒音と言うのは上から下に聞こえるものである。実際、自宅の真上の住人の話し声はトイレの通風口から漏れ聞こえてきたし、木工作業をする音、室内でサッカーをする音、携帯電話のアラームの振動音、ピアノの音、等が聞こえてきた。しかし、3階の住人とは会えば必ず挨拶する知り合いだったので、腹も立たなかったし抗議することもなかった。人間と言うのは不思議なものである。ピアノの練習をしている様子なのだが、同じ曲を間違えながら繰り返し弾くのである。時が経つと共に段々上手くなっていって、俺もその旋律を楽しむようになった。ただし、曲名は分からず、ピアノのコンクールか何かの課題曲で、クラシックのようでそうでないような、なんか元気が出る曲だった。

大村に移住してからしばらく経ってからのある日、長女が鼻歌でその曲を歌い始めた.俺が、
「何の曲?」と聞くと長女は
「あ、ほら、3階の人が弾いてたじゃない」と言った。そのことを不思議にも思わず月日が流れたが、昨日、YouTubeで偶然に聞き覚えのある旋律が耳に入った。曲目は「千本桜」だと記してある。その単語で検索してみたら意外な事実が分かった。この曲はVocaloidというジャンルの曲で、その道では大変有名な作品だというのだ。早速、初音ミクが歌う歌詞付き映像付きの千本桜を視聴したが、懐かしさもあって泣いてしまい、処方されたばかりの目薬のお世話になった。

2020年1月25日(土)

最近、インターネットで入手可能な英語のリスニング練習問題を解いている。そうやってわかったことは、自分の現在の語彙力と言うのは高校生だった頃とほぼ同じだという事実である。やはり、馴染みのない単語や連語は聞き取れないものだし、聞き取れても意味が分からなければ四択で選んだ答えも不正解となるものである。例えば「This milk has gone off」と聞いても、「この牛乳は腐っている」という意味が分からないと正解を選べないのだ。

初期の平坂塾では高校生への英語指導を謳っていたが、専門家であるAY先生に英語教室の授業を委託することが出来て本当によかったと思っている。

今週の水曜日は通常であれば数学教室なのだが、英語教室の月平均四回という規定を達成するために差し替えになった。そして、通常の授業形態ではなく、個別指導方式で行われた。やはり、高校での英語学習抜きでは単語力や文法力の上達は覚束ない。高校での英語学習の状況を個別に把握することで、その水準にあった適切な指導ができるのだ。

塾長として二時間の指導を観察していたが、双方向性が高まったことで塾生達の表情が生き生きしているように感じた。願わくば、この指導を学習意欲の向上に繋げてほしいものである。俺も千里の道の一歩目を踏み出したばかりだ。

2020年1月24日(金)

震災等の人の生命に関するドキュメンタリーをテレビで見ると涙が止まらなくなる。同時に目に涙がしみて目が開けられなくなる。濡れたタオルで拭えば一時的には収まるのだが、また涙があふれて来るので元の木阿弥である。そんなことを繰り返して早一年が経とうとしている。

唯一の対策はそのような番組を見ないことだが、もしかして医学的な理由があるかもしれないと思い、近所の眼下に診察を受けに行くことにした。医師から
「目ヤニが多いので、細菌の有無を検査するので来週また来て下さい」と言われ眼科を後にした。

その後、妻と気晴らしにドライブに行くことになり、大村湾グリーンロードを往復して来た。その詳細は漫遊記に綴られている。

2020年1月21日(火)

病気は徐々にではあるが確実に進行している。足が常に交差し、立ち上がる時の初動も弱くなった。以前は足の親指を立てて靴下を自力で脱ぐことが出来たが、今は出来ない時が多い。作業部屋への階段を上ると以前との差異が顕著になる。妻だけの介助では十分ではなく、足を持ち上げる役割が必要になる。

右手の手首を回転させる運動も難しくなった。指を開くことも出来ない。左腕の筋肉も衰えている。

最も深刻なのが、腹筋の衰えである。椅子に座った状態で前かがみになる事さえ困難な状況である。かろうじて首だけは自由に動くので、こうして文章を入力できているのだが、いつか首を動かせなくなる日が来るのだろう。それが一番の心配事である。

今までたいした苦労もせず、深刻な困難にも直面せず、のほほんと生きてきたツケを払わされているのかもしれない。
「首が回らない」とはよく言ったものである。

2020年1月20日(月)

「あなたの街に応援に行きます!」というのは、広島の超人気歌手であるHippyがクラウドファンディングで集めた資金で全国各地で頑張っている人々を訪ね、歌で応援するという企画の名称である。

昨年の12月1日に平坂塾の教室である自宅の作業部屋で「君に捧げる応援歌」と「きんさいや」の二曲の熱唱の場に立ち会ったことは闘病記に綴っている。すなわち、俺もHippyの歌で励まされた一人というわけだ。

あの時は感動して号泣してしまったんだけど、まあ俺は当事者だったし、病気のせいで感情を制御できないし、本当に感動していた、というやんごとなき理由があるからしょうがないわけだ。今回、上記の企画のダイジェストがYouTubeで公開されていて、それを視聴してみて、泣いていたのは俺だけではなかったという事実が判明した。

やはり歌の力って凄いなあと思ったし、より多くの人々にHippyの歌を知ってほしいと思うので、当HPでは初のリンクを貼ろうと思う。

https://www.youtube.com/watch?feature=share&v=ms2uAP7E3Wc&fbclid=IwAR21WqHU5BslTRKVohhwCEaxBMKjNcebCuebZnW1COwvY1uvVoVb0tqfv2Q&app=desktop

2020年1月19日(日)

妻の運転で、母、長女、三男を連れて野母崎に行って来た。その詳細は漫遊記に綴られている。

その帰り道、手作り蒲鉾の直売所に立ち寄った。イワシの蒲鉾を買って来た母が、
「蒲鉾は熱いうちに食べんば」と勧めるので、試食してみた。

確かに美味い。噛めば噛むほど味が出て来る。ところが、最後の一飲みの時に、気道に引っ掛けてしまい、例の地獄からの咆哮が始まった。車は緊急停止で頭を下に向ける等の応急処置がほどこされ、一命をとりとめた(少し大袈裟に書いてます)。

家族には最早見慣れた光景だったみたいで、何事もなかったかのように帰路についた。

2020年1月18日(土)

今日と明日、センター試験が日本各地で実施される。何を隠そう、俺はセンター試験一年目の受験生である。その前の年は共通一次試験と呼ばれていたが、本質的に何が変わったのか未だに謎のままである。

俺が高3だった1989年はフランス革命二百周年だった。それを根拠に
「フランス革命は世界史の試験に必ず出る」と信じていた三十年前の俺に一言「ばか」いってやりたい衝動に駆られる今日この頃である。

2020年1月17日(金)

昨晩は湯船に漬かった。新しくレンタルした介護用の回転椅子と風呂桶に設置した腰掛けのお陰で、以前よりも安全に風呂桶への出入りが出来るようになった。妻の補助として長男も待機してくれるので、正に大船に乗った気持ちで風呂の楽しみを堪能することが出来た。

寝る前の入浴はいいものである。痒み止めの薬も塗らず、抗ヒスタミン薬も服用せずに床に就き、程よい疲労により眠気がやって来るからである。加えて、冬の寒い気候と厚手の羽根布団との体温の需給関係良好で、夜中に暑苦しさで目覚め呻きながら布団を蹴飛ばし、寒さに震えながら妻のいびきが止むのを待つようなことが、一度もなかった。

というわけで、久しぶりに熟睡出来た。それは普段から睡眠に問題を抱えていることの裏返しでもある。

妻が四人の子供を学校や幼稚園に送り出した後に、俺が起こされるのが慣例なのだが、今朝はそんな気配がない。妻を呼ぶと隣の寝台から声が返って来た。
「そうか、平日は長男の弁当作りのために、早い時は午前五時に起きている妻なのだ。金曜日の今日は疲労と睡眠不足が蓄積しているに違いない。こういう場合は起こさずに寝てもらうのがいいだろう」と思い、妻が自然に起きるのを待つことにした。

一時間待っても妻は寝息を立てている。尿意をもよおしたが、我慢できない程ではない。こうなりゃ根比べだと待つこと更に一時間、先に音を上げたのは俺の方だった。妻曰く、
「あんたが起きるのを待っていたのに起きないからおかしいと思った」だそうだ。

眠れない日も眠れた日も同じことを繰り返している気がするなあ。これが業(カルマ)と呼ぶべきものかもしれない。

2020年1月15日(水)

俺の母方の祖母の実家は諫早市の貝津にある。幼い頃は、母に連れられて、百歳を超えるひいばあちゃんに会いに行きお手玉で一緒に遊んだ記憶があるし、駄菓子屋を営む祖母の姉の家にお邪魔して、猫の絵が描いてある包装の十円ガムやくじ付きの飴等の駄菓子の数々を只でもらい熱狂していた記憶がある。

一昨日、祖母の弟であるKおじさんから一族に
「もう長くは生きられんから病院まで見舞いに来てくれ」という大号令が飛んだ。Kおじさんは結婚式の披露宴や葬式等の親族の集まりでは長老待遇で迎えられる存在で、その元気で気さくなお人柄ゆえか、Kおじさんは親族全員からの敬愛を受けていた。俺も見舞いに行かない道理はないだろうと思い、母と母の姉二人に俺と妻が同伴することとなった。

病室でのKおじさんは呼吸器を装着し、息を吐くたびに透明の呼吸マスクが白く曇り、痩せこけた頬骨と濁った眼の色は大往生の時が近いことを物語っていた。ところが、声はしっかりしていて、見舞客の一人一人に名前で呼びかけ近況を尋ねていた。俺の番になり、話せない俺は笑顔を作り会釈するだけだったが、妻が事情を説明すると、Kおじさんは右手を差し出し、俺の手を握り、こう言った。
「そうか。お前が大村に来たことも知らんかった。お前もお前の奥さんも大変だろうが、一緒に頑張って生きていこうな」

まさか、御年99歳で余命一ヵ月のおじいさんから励まされるとは思わなかった。こんな精神的活力にあふれるKおじさんと血が繋がっていることを誇らしく思うと共に、声の出ない俺はKおじさんのようなカッコイイ最期は迎えられそうにないなと残念にも思った。

2020年1月14日(火)

一ヵ月前から髭を伸ばしている。というか、朝に電動髭剃り機を当てても夕方に生えて来る髭の習性に呆れた妻が剃らないことを決断したのだ。

今では顎鬚も口髭も豊かになったが、白髪も相当数混じっているので、実際の年齢以上に老けて見えるようになった。周囲の評価も「似合っている」という好意的なものが多かった。俺も満更ではなく、ミリ単位で変化する自らの容貌を楽しむのも悪くないと思うようになった。

その矢先、朝食時に妻が
「髪が伸びたから散髪しに行こうか」と言い出した。髭はどうするんだろうと思っていると、
「伸ばしたい?やっぱり髭がない方がすっきりしていいんじゃない」と言われ、ああそうかと言うことになり、自宅から50mの距離にある床屋に行くことになった。

その床屋は郡中バレー部の同級生が一人で切り盛りしていて、大村に移住してからも何回も通っている馴染みの店である。彼のポジションはアタッカーに優しいボールを供給するセッターだった。そのことを思い出し、シャンプー時の頭皮マッサージを受けると、強すぎず弱すぎずキメの細かい、眠気を催してしまう程の心地良さだった。美容院に押され理髪店数が減少する昨今において、少なからぬ固定客を獲得し生き残っているのはひとえに彼の技量によるものだろう。

整髪し髭を剃った顔を鏡で見ると十歳は若返った感じだ。おしゃれや身だしなみに関して主体性がないのは昔からで、決して病気のせいではないということを強調しておく。

2020年1月13日(月)

長崎バイオパークに行って来た。詳細は漫遊記に記している。

着ぶくれした状態で電動車椅子に座り、その上に毛布を掛ける防寒対策を講じて、坂道に設置されたスロープを上り下りして来た。急こう配の坂道では首の筋肉が頭の重さを支えきれず、頭が後ろにのけぞってしまい呼吸困難に陥ったが、長女が頭を上げてくれて一命をとりとめた(ちょっと大袈裟に書いてます)。

2020年1月10日(金)

大学で仕事をしていた時は、論文を検索して入手する作業は簡単だった。MathsciNetと呼ばれるサーチエンジンに著者名やキーワードを打ち込めば、たちどころに関連する論文が網羅され、大抵の論文はクリックするだけでPDFファイルを得られた。しかし、それは有料なので、大村の実家にいては利用できない。

研究の最前線に立つということは、最新の情報を得て脳を更新しておく作業を含んでいる。それゆえ、俺みたいに研究活動を中断し随筆に浮気していると、研究を再開する時の敷居が高くなってしまうのである。

この一年間、意図的に研究としての数学を遠ざけてきた来たことは否めない。それは平坂塾のHPを充実させることが塾生の確保や求心力に繋がることを期待しての決断であった。その一方で、「一年が経って、どんな新しい結果が産まれているのだろう?」という好奇心も蠢きだしている。

二兎を追う者は一兎をも得ず、あぶはち取らず、という諺が頭に浮かんで来るが、心の動きに対して正直に生きようと思う。

2020年1月9日(木)

四十年前、大村市民にとって「まち」は大村駅の西側に広がるアーケードを中心とする商業施設を意味していた。大村市にとって初のエスカレーター付きの建物である西沢が開店した時は長蛇の列ができたし、浜屋の開店時もまたしかりである。その当時、小学生だった俺は親に連れられて「まち」へ行くのだが、大いに好奇心を刺激され、「こんな夢の国のような場所があるのか」と驚くほどであった。

公営駐車場のすぐ側には大村最大規模の書店である文光堂があり、店名は失念したが超合金ロボのおもちゃがガラスケースに展示されている玩具店があり、店の外まで焼き立てのパンの香りが漂ってくるベーカリーがあり、外食時の定番であった食堂あおばがあり、三本立てで大盛況を誇った映画館である八木館があり、浜屋や西沢に行き着くのである。帰り道には、色とりどりの果物を陳列する果物屋に後ろ髪を引かれ、サンマートのゲームセンターに寄ってとせがんでいたのだ。

そんな情景も過去のものになって久しい。あれだけ繁栄を誇ったアーケードも今では閑古鳥が鳴いており、西沢は跡形もなくなり、浜屋は公共施設と化している。時代の流れと言えばそれまでだが、何とか復活してほしいと願っている今日この頃である。

その兆しがないわけではない。アーケード周辺にマンションが建設中で、アーケードの一部の地域は集客に成功しているし、図書館も新しくできたし、市民交流プラザ等での文化活動が活性化すれば、人の流れも戻って来るのではなかろうか。

今日はその市民交流プラザの三階にある「おむらんど」という幼児を対象とした室内遊具施設に連れられてきた。車椅子に座り、自力で方向転換できないので、三男と妻は視界に入らず、他人の親子連れを観察しながら一時間を過ごした。

この「おむらんど」を商業化して、係員が子供の安全に目を配り、保護者同士が珈琲を片手に歓談できる施設を作ってみてはどうだろうか?ちなみに韓国の釜山ではデパートには軒並みキッズカフェのテナントが入っており、大盛況なのだ。