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心野動記

2020年1月17日(金)

昨晩は湯船に漬かった。新しくレンタルした介護用の回転椅子と風呂桶に設置した腰掛けのお陰で、以前よりも安全に風呂桶への出入りが出来るようになった。妻の補助として長男も待機してくれるので、正に大船に乗った気持ちで風呂の楽しみを堪能することが出来た。

寝る前の入浴はいいものである。痒み止めの薬も塗らず、抗ヒスタミン薬も服用せずに床に就き、程よい疲労により眠気がやって来るからである。加えて、冬の寒い気候と厚手の羽根布団との体温の需給関係良好で、夜中に暑苦しさで目覚め呻きながら布団を蹴飛ばし、寒さに震えながら妻のいびきが止むのを待つようなことが、一度もなかった。

というわけで、久しぶりに熟睡出来た。それは普段から睡眠に問題を抱えていることの裏返しでもある。

妻が四人の子供を学校や幼稚園に送り出した後に、俺が起こされるのが慣例なのだが、今朝はそんな気配がない。妻を呼ぶと隣の寝台から声が返って来た。
「そうか、平日は長男の弁当作りのために、早い時は午前五時に起きている妻なのだ。金曜日の今日は疲労と睡眠不足が蓄積しているに違いない。こういう場合は起こさずに寝てもらうのがいいだろう」と思い、妻が自然に起きるのを待つことにした。

一時間待っても妻は寝息を立てている。尿意をもよおしたが、我慢できない程ではない。こうなりゃ根比べだと待つこと更に一時間、先に音を上げたのは俺の方だった。妻曰く、
「あんたが起きるのを待っていたのに起きないからおかしいと思った」だそうだ。

眠れない日も眠れた日も同じことを繰り返している気がするなあ。これが業(カルマ)と呼ぶべきものかもしれない。

2020年1月15日(水)

俺の母方の祖母の実家は諫早市の貝津にある。幼い頃は、母に連れられて、百歳を超えるひいばあちゃんに会いに行きお手玉で一緒に遊んだ記憶があるし、駄菓子屋を営む祖母の姉の家にお邪魔して、猫の絵が描いてある包装の十円ガムやくじ付きの飴等の駄菓子の数々を只でもらい熱狂していた記憶がある。

一昨日、祖母の弟であるKおじさんから一族に
「もう長くは生きられんから病院まで見舞いに来てくれ」という大号令が飛んだ。Kおじさんは結婚式の披露宴や葬式等の親族の集まりでは長老待遇で迎えられる存在で、その元気で気さくなお人柄ゆえか、Kおじさんは親族全員からの敬愛を受けていた。俺も見舞いに行かない道理はないだろうと思い、母と母の姉二人に俺と妻が同伴することとなった。

病室でのKおじさんは呼吸器を装着し、息を吐くたびに透明の呼吸マスクが白く曇り、痩せこけた頬骨と濁った眼の色は大往生の時が近いことを物語っていた。ところが、声はしっかりしていて、見舞客の一人一人に名前で呼びかけ近況を尋ねていた。俺の番になり、話せない俺は笑顔を作り会釈するだけだったが、妻が事情を説明すると、Kおじさんは右手を差し出し、俺の手を握り、こう言った。
「そうか。お前が大村に来たことも知らんかった。お前もお前の奥さんも大変だろうが、一緒に頑張って生きていこうな」

まさか、御年99歳で余命一ヵ月のおじいさんから励まされるとは思わなかった。こんな精神的活力にあふれるKおじさんと血が繋がっていることを誇らしく思うと共に、声の出ない俺はKおじさんのようなカッコイイ最期は迎えられそうにないなと残念にも思った。

2020年1月14日(火)

一ヵ月前から髭を伸ばしている。というか、朝に電動髭剃り機を当てても夕方に生えて来る髭の習性に呆れた妻が剃らないことを決断したのだ。

今では顎鬚も口髭も豊かになったが、白髪も相当数混じっているので、実際の年齢以上に老けて見えるようになった。周囲の評価も「似合っている」という好意的なものが多かった。俺も満更ではなく、ミリ単位で変化する自らの容貌を楽しむのも悪くないと思うようになった。

その矢先、朝食時に妻が
「髪が伸びたから散髪しに行こうか」と言い出した。髭はどうするんだろうと思っていると、
「伸ばしたい?やっぱり髭がない方がすっきりしていいんじゃない」と言われ、ああそうかと言うことになり、自宅から50mの距離にある床屋に行くことになった。

その床屋は郡中バレー部の同級生が一人で切り盛りしていて、大村に移住してからも何回も通っている馴染みの店である。彼のポジションはアタッカーに優しいボールを供給するセッターだった。そのことを思い出し、シャンプー時の頭皮マッサージを受けると、強すぎず弱すぎずキメの細かい、眠気を催してしまう程の心地良さだった。美容院に押され理髪店数が減少する昨今において、少なからぬ固定客を獲得し生き残っているのはひとえに彼の技量によるものだろう。

整髪し髭を剃った顔を鏡で見ると十歳は若返った感じだ。おしゃれや身だしなみに関して主体性がないのは昔からで、決して病気のせいではないということを強調しておく。

2020年1月13日(月)

長崎バイオパークに行って来た。詳細は漫遊記に記している。

着ぶくれした状態で電動車椅子に座り、その上に毛布を掛ける防寒対策を講じて、坂道に設置されたスロープを上り下りして来た。急こう配の坂道では首の筋肉が頭の重さを支えきれず、頭が後ろにのけぞってしまい呼吸困難に陥ったが、長女が頭を上げてくれて一命をとりとめた(ちょっと大袈裟に書いてます)。

2020年1月10日(金)

大学で仕事をしていた時は、論文を検索して入手する作業は簡単だった。MathsciNetと呼ばれるサーチエンジンに著者名やキーワードを打ち込めば、たちどころに関連する論文が網羅され、大抵の論文はクリックするだけでPDFファイルを得られた。しかし、それは有料なので、大村の実家にいては利用できない。

研究の最前線に立つということは、最新の情報を得て脳を更新しておく作業を含んでいる。それゆえ、俺みたいに研究活動を中断し随筆に浮気していると、研究を再開する時の敷居が高くなってしまうのである。

この一年間、意図的に研究としての数学を遠ざけてきた来たことは否めない。それは平坂塾のHPを充実させることが塾生の確保や求心力に繋がることを期待しての決断であった。その一方で、「一年が経って、どんな新しい結果が産まれているのだろう?」という好奇心も蠢きだしている。

二兎を追う者は一兎をも得ず、あぶはち取らず、という諺が頭に浮かんで来るが、心の動きに対して正直に生きようと思う。

2020年1月9日(木)

四十年前、大村市民にとって「まち」は大村駅の西側に広がるアーケードを中心とする商業施設を意味していた。大村市にとって初のエスカレーター付きの建物である西沢が開店した時は長蛇の列ができたし、浜屋の開店時もまたしかりである。その当時、小学生だった俺は親に連れられて「まち」へ行くのだが、大いに好奇心を刺激され、「こんな夢の国のような場所があるのか」と驚くほどであった。

公営駐車場のすぐ側には大村最大規模の書店である文光堂があり、店名は失念したが超合金ロボのおもちゃがガラスケースに展示されている玩具店があり、店の外まで焼き立てのパンの香りが漂ってくるベーカリーがあり、外食時の定番であった食堂あおばがあり、三本立てで大盛況を誇った映画館である八木館があり、浜屋や西沢に行き着くのである。帰り道には、色とりどりの果物を陳列する果物屋に後ろ髪を引かれ、サンマートのゲームセンターに寄ってとせがんでいたのだ。

そんな情景も過去のものになって久しい。あれだけ繁栄を誇ったアーケードも今では閑古鳥が鳴いており、西沢は跡形もなくなり、浜屋は公共施設と化している。時代の流れと言えばそれまでだが、何とか復活してほしいと願っている今日この頃である。

その兆しがないわけではない。アーケード周辺にマンションが建設中で、アーケードの一部の地域は集客に成功しているし、図書館も新しくできたし、市民交流プラザ等での文化活動が活性化すれば、人の流れも戻って来るのではなかろうか。

今日はその市民交流プラザの三階にある「おむらんど」という幼児を対象とした室内遊具施設に連れられてきた。車椅子に座り、自力で方向転換できないので、三男と妻は視界に入らず、他人の親子連れを観察しながら一時間を過ごした。

この「おむらんど」を商業化して、係員が子供の安全に目を配り、保護者同士が珈琲を片手に歓談できる施設を作ってみてはどうだろうか?ちなみに韓国の釜山ではデパートには軒並みキッズカフェのテナントが入っており、大盛況なのだ。