2020年1月8日(水)
突然であるが、本日をもって闘病記を終了する。
本日以降の俺の動向は新設の心野動記(こころのうごき)にて綴られる。
「左ジャブは目を狙え、相手が怯んだら喉ぼとけ目がけて右ストレートだ」
「先輩、どうして喉なんですか?」
「瞬間的に顎を引くから拳が顎の先端を捉えるのさ」
もう30年前のことだから時効だと判断し公開するが、当時の芦原会館福岡支部では、実践の生々しい状況を題材に指導が行われていた。その先輩の右ストレートは凄まじく、九産大、福教大、福大、九大から来たプロ志望者を含む猛者達を服従させるのに十分な威力とキレであった。
稽古中に組手はあるのに試合はなく他流派主催の大会への出場がご法度の芦原会館では、初級者は顔面パンチがない、所謂、極真ルールでの組手で突進力を磨き、黒帯を取得して顔面パンチの攻防に練習時間を割くのが既定路線だった。
初心者だった俺は、件の先輩から肩関節をグラインドさせてパンチの初動を得る反復練習の指導を受け、蹴り足から始まり腰の捻りにやや遅れて回転する肩関節から伸びる射程の長い右ストレートで、打ち終わった反動で自然に元の姿勢に戻る打ち方を習得することが出来た。
長くやっていると、有段者でなくともボクシングの真似事をさせられたりもする。こと防御に関しては、I上先輩、M先輩、I田先輩から指導を受けた。そこで分かったことは、お互いのパンチが当たる距離で相手のパンチに反応して防御するのは至難の業ということだ。想像してみてほしい。両腕を顔の前に立てても隙間だらけである。こちらの視界に映るのは拳の大きさくらいの点で、ジャブは速度を変えて放たれ、ストレートは槍のように中心線を打ち抜いて来るのである。フックは視界の外から来るので、お手上げである。
ところが、当時、一世を風靡したプロボクサー達は事も無げに顔を移動しパンチをかわし反撃に転じているのである。俺は目を皿のようにして彼らの試合を見入った。彼らの圧倒的な攻撃力が抑止力として働き、足を使い間合いを維持することで、防御力を上げている側面もあるが、あのリングの上に立っているボクサー達は先天的な部分で一般人とは見えている世界と感じている時間が異なるのだ。そして、気が遠くなるほどの反復練習で習慣化された身のこなしと対応力、禁欲的なロードワークで仕上がる瞬発力と持久力を兼ね備えた肉体、格闘技ならではの闘争心と痛みや苦しみに耐える精神力を培って試合に臨んでいるのがプロボクサーという人種なのである
前置きが長くなった。
昨日、二人のボクサーが闘い、判定で決着がついた。彼らは1ラウンドから至近距離で打ち合い、二人が持つ才能が共鳴し合うかのように防御技術を披露しあい、数々の強敵をマットに沈めてきた攻撃力を最終ラウンドまでぶつけ合っていた。
敗者は伝説の幕を下ろし、勝者は、デュラン、レナード、...、パッキャオのような時代や地域を越えて記憶される伝説の一部となる資格を得た。神々しいばかりの昨日の試合は俺の観戦歴の中でも断トツの名勝負だった。