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視線入力時代

重要

2025年2月13日をもって、ミラーブログに完全移行しました。
本欄は更新しません。

下記のホームページで視線入力時代を更新します。
https://hirasakajuku.blogspot.com/

2024年8月21日(水)

指が動かなくなったのが五年前、パソコンが使えなくなると絶望していたが、そのときに救世主となったのがエアマウスだった。首の力が健在だったので、パソコンの業務を滞りなくこなすことができた。大村にいた頃、視線入力を試す機会があったが、どう考えてもエアマウスのほうが速そうだったので導入には至らなかった。首の筋肉が衰え始めて、様々な不便と不具合が噴出することになる。エアマウス時代末期は文字が打てず、画面の右半分にポインターを移動できず、YouTubeの広告をスキップできず、自動再生される動画を視聴するだけの無益な時間を過ごすだけだった。本欄の更新も妻の代筆によるものである。それだけに今回の視線入力機器の導入は新たな希望を与えるものだった。おそらくエアマウスを使用することはないだろう。五年間、勤続し、救世主であり続けたエアマウスと紹介していただいた鈴木先生に感謝の意を伝えたい。

2024年8月22日(木)

「エアコン、つけておく、消す?」という妻の問い掛けにエアコンの部分が聞きとれず、無反応の状態になり、気まずくなった。コロナを発症してから左耳の聴力が落ちたことがその原因だ。「病院に行こう」と妻は言うが、何かの拍子で耳抜きが起こり、鼓膜の奥で「バリバリ」と音がして聴力が回復してしまうのだ。これでは苦労して病院に行っても異常なしと診断されるのがオチだろう。ところが、朝目覚めると、左耳の調子が悪いのだ。そんな毎日を繰り返している。

2024年8月23日(金)


お盆期間に、サイパン島での攻防戦、特攻隊、原爆関連のドキュメンタリーがNHKで放送された。「なぜ、もっと早くに降伏しなかったのかなあ。前途有望な若者達の命がいとも簡単に奪われたことに憤りを感じる」というのが例年の感想なのだが、今年は別のことを考えた。

現在の国体が保証されるとわかっていれば喜んで降伏しただろうが、その当時はそんな未来予測はお花畑と一蹴されたことだろう。むしろ、天皇家が解体され、日本各地の神社も取り潰しになり、公用語は英語になり、ローマ字表記で教科書が執筆され、武力の空白を突かれて北海道はソ連に占領されていたかもしれないし、支配層は外国人で占められ、日本人は労働者階級に固定され搾取され続ける。というのがよほど現実的だし、それまでの歴史に詳しい人なら、そうなる世界線も視野に入ったはずだ。

そんな状況で軍部の決定に異を唱えることは不可能に思えてきた、というわけだ。

2024年8月24日(土)

NHKの連続ドラマ「虎に翼」を批判してみた。

  1.  主人公の寅子の謝罪が条件反射的に頻発されるので、本当に謝りたい時でも安っぽく見えてしまう。法曹関係という職業柄、事態を吟味して納得してから謝罪するものではなかろうか。
  2.  戦後、日本国憲法が発布されたとき、法曹関係者は天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたはずだ。それまでの拠り所が崩壊し、全ての法律を再検討する羽目になったのだから。いつもは「はて」と疑問を抱く寅子だが、男女平等が謳われたという理由で現憲法を何の疑問もなく受け入れるのは不自然だ。
  3.  裁判の後に裁判官と出席者と会食する場面が複数回現れるが、「実際の法曹の世界は学閥による癒着と忖度が横行しているのでは」と勘繰ってしまう。

次回に続く。

2024年8月25日(日)

4. 寅子は裁判官なのに判決を下す場面が一度も出てこない。弁護士を主人公とするドラマが大半なので、裁判官の苦悩や葛藤が描かれるものと期待していただけに残念でならない。

5. 寅子は一人娘の前で「変わる」と宣言したのに新潟転勤後も相変わらず仕事優先の生活を続けている。見知らぬ土地で小学生の娘を鍵っ子にするとかありえんだろう。

6.星航一に父性が全く感じられない。先立った前妻への愛情も皆無だ。でなければ、先妻の思い出が詰まった家に寅子を同居させたりしないはずだ。

7. 寅子の恩師への態度、カフェバー灯台の所有権、あの時代での性的マイノリティへの物分りの良さ、家庭内裁判の不公平感、猪爪家の嫡男争い、等の釈然としないことが満載だ。

2024年8月26日(月)

「なぜ若手の議員が立候補していないのか?」

立憲民主党の代表選挙に出馬が有力視される顔ぶれを眺めてそう思った。連日のようにメディアが関心を持って報道してくれるのだ。たとえ当選の見込みはなくとも、知名度の向上と新陳代謝が進んでいるという党のイメージアップにも貢献するはずなのに、そんな絶好の機会をふいにしてるとしか思えない。もっと言えば、討論番組で揶揄される「政権を取る気がない」という批判を裏付けるものとなっているし、所詮は有力議員を当選させるための互助会なのかなあという気がしてくる。

ちなみに支持政党は持ってない。

2024年8月27日(火)

交通事故は頻繁に起こるが、自動車会社は生産規制をかけたりしない。それと同様にネット犯罪が頻発してもSNS運営会社は規制をかけて犯罪を一掃しようとはしない。

しかし、膨大な額に及ぶ詐欺事件や電子マネー強盗、身代金を要求するランサムウェア、一生ネット上に残る児童ポルノ画像、自殺者まで出る誹謗中傷行為、等を放置するわけにはいかず、なんらかの対策が求められる。

それでは、それらを摘発するマンパワーや資金がどこにあるかと言うと、どこにもないという現状だ。

ここで提案したいのが、ホワイトハッカー養成を目的としたSNSの創設である。犯罪に関与してそうな疑わしいサイトを摘発するとポイントがたまり、ファミコンゲーム「スターラスター」のようにDragonflyから始まる階級を上げて行くフォーマットで、摘発リストは他のSNS運営会社に売ることで利益を得て、階級を上げたプレイヤーへ報奨金にする、金額が大きい重要犯罪で犯人の身元まで突き止めた場合には名誉と富が手に入る仕組を作れば、ネット社会の自治に貢献できるのではなかろうか。

2024年8月28日(水)

六月某日、次男の誕生日。長男は、模擬試験の結果に落胆する次男に、百万ウォン分の札束が入った封筒を差し出してこう言った。

「インターネット講義やスタディカフェ代に使えよ。合格したら返さなくていいから」

長男は時に親の想像を超える行動をとる。長男は一昨年に大学に入ったが、志望校でなかったことと兵役が在宅勤務になったことが重なり、再受験を試みている。模擬試験もよくできたそうで、余裕があったのだろう、落ち込む弟に喝を入れたかったのかもしれない。

今日づけで、本番である修学能力試験当日まで75日を切ったらしい。去年も受験生だった次男は自宅浪人中である。二人とも背水の陣で挑むのだが、ヤングケアラーというハンデを抱えている。介護される身としては二人の合格を祈るのみだが、結果はどうあれ、健康でいてくれればそれでいいと思っている。

2024年8月29日(木)


視線入力機器はパソコン、モニター、角度調整機能が付いた支持台、視線を感知する棒状のセンサーで構成される。仰向けに寝ている俺に合わせるようにセンサーがくっついたモニターが角度調整される。俺の視線の所在がモニターに投影される。キャリブレーションボタンを視線でなぞると微調整が施され、感度が良くなる。モニターはパソコンの画面を約1.5倍に拡大して映し出す。モニターに直径4センチほどの円が出現してそれを視線で操り、クリックしたい場所に移動する。そのまま静止していると円のそばに太陽マークが現れ、円内を虫眼鏡のように拡大してくれる。その拡大された円の周りに8種類のコマンドが表示される。その中の一つがクリックで、拡大された円内で視線を動かすことでクリックの微調整が可能になる。文字を打ちたいときはクリックの代わりにキーボード呼び出しのコマンドに視線を合わせれば良い。モニターの下半分を覆うキーボードが現れて視線でアルファベットを選んでいく。変換候補がキーボードの上部にいくつか表示されその内の一つに視線を固定すると確定となる。リターンキーを使わない分、省力化になっている。

この入力ソフトが高額で700万ウォンで販売されている。自治体からの補助金を利用したので2割負担ですんだ。家族に何かしてもらったとき「ありがとう」と伝えられるだけでも140万ウォン分の価値は十分にあると思う。

追伸) YR教授が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年8月30日(金)

「サッカースペイン代表の未来は明るい」

ユーロ2024とパリ五輪の日本対スペインを見た後の感想だ。エアマウス時代末期の俺を哀れに思ったのか、次男がユーロとコパアメリカを随時観戦できるネットサービスを契約してくれた。そのおかげで一日一試合のペースで観戦することが出来た。しかし、期待に反して眠くなるような試合が続いた。特にイングランドは、ケイン、ベリンガム、フォーデン、サカという夢の攻撃陣がいて、この試合運びかよと憤ることばかりだった。フランスとドイツもまた然り。唯一の例外がスペインだった。

両翼を担うニコウィリアムスとヤマルが素晴らしかった。パスはよく繋がるけど決定機は少ないし試合にも勝てないというのがスペインの定評だったが、この二人の躍動がチームに推進力をもたらし、スペインのサッカーを面白くて勝てるものに変貌させていた。

五輪の日本戦でも前からプレスをかけ、相手が苦し紛れに蹴ったロングボールを回収する戦術が確立されていた。日本も久保とオーバーエイジがいればという言い訳があったが、それを言い出したら、ニコとヤマルも出てくるので、もっと酷い結果に終わったかもしれないのだ。そう考えるとカタール大会で日本がスペインに勝ったことが奇跡的に思えてきた。

 

2024年8月31日(土)

長女に頭をかいてもらった。長女は仮面ライダーオタクだ。今日も出演俳優に関するファンミーティングの話かなと思って聞いていると、話題が学校の話に移り、勉強の悩みを打ち明けて来た。守秘義務があるのでここで明かすことはできないが、俺なりに全力で向き合い、全力で質問し、全力で答えた。久しくなかった父親体験だった。これも視線入力の恩恵だ。締めの言葉で「仮面ライダーにDMで聞いてみたら」のオチも付けることができたし、今日は良い一日だった。

2024年9月1日(日)

長崎県は離島が多い。

眼が疲れたので続きは次回に。

2024年9月2日(月)

そのため県採用の教員は壱岐、対馬、五島の離島地域で一定年数の勤務が義務付けられている。この制度により人材の流動化が促され、教育格差の解消に一役かっている。このことを日本全国に適用して過疎化や少子化の対策を提示してみよう。


各都道府県で過疎地域を指定して、それ以外の居住地に住む30歳以下の国民に3年間過疎地域に住むことを義務付ける。義務と言っても、強制力はなく税制上の優遇措置や不利益もしくは社会的圧力によって実行率を上げていく。端的に言うと、東京23区の若者は田舎暮らしを経験して来いという趣旨である。この制度が何をもたらすのか。

次回に続く。

2024年9月3日(火)

大企業は過疎地域に研修所を作って新卒社員をそこに住ませてリモートで勤務させるだろう。中小企業はそんな余裕はないから3年間の義務を終えた若者を採用しようとする。すると幼いうちに過疎地域に住むという選択をする家庭も出てくるだろう。大学の分校や専門学校も過疎地域に移転して来るかもしれない。田舎では車が必要になるから自動車の国内需要を喚起するはずだし、地方も建設ラッシュが起こり、持続可能な経済発展が見込まれるだろう。とにかくこの制度により人間の大移動が起こり、新たな国内需要が生み出され経済発展するということだ。

次回に続く。

2024年9月4日(水)

経済効果はさておき、重要なのは都会の若者が田舎の良さを知ることだ。過疎地域は空き家だらけだから家賃は安い。都会の便利さを捨てるかわりに低コストで生活できること、更に、仕事が無さそうな過疎地域にビジネスチャンスが広がっていることに気付くことだ。例えば、老人ばかりの地域でスマホ教室を開くとかライドシェアの仕事をするとか介護事務所を立ち上げるとか都会で流行りのスイーツを提供するカフェを開くとか、都会の情報を伝えるだけでも生きていくための収入は得られるだろう。それは同時に過疎地域が都会の文化を知ることで、特産品のネット販売や観光地の宣伝、地域の魅力を発信、農作業や農村の暮らしを海外富裕層に体験してもらうことの案内、などの地方創生に繋がる 可能性を秘めている。

2024年9月5日(木)

上記の制度を31歳以上60歳以下で3年、61歳以上で3年、のように拡大していく。前者は9年働いて有給で1年休む、大学教員がサバティカルと呼んでいる制度が一般企業に波及することを目標としている。後者は子育てを終えた世代が地方に移住して住宅のダウンサイジングを促し、高齢者に地方でお金を使ってもらい経済を活性化させることを目標としている。そうすれば過疎地域の自治体は競って移住環境を整えようとして、総合病院や老人ホームが建設されるだろう。同時に都市部では空き家が生じるので、これから子育てを始める世代に家賃の低下などの恩恵が見込まれるだろう。

次回に続く。

2024年9月6日(金)

都市生活は魅力に溢れている。娯楽は多様だし、商業施設も充実している。原始的な幸福、結婚して子供を産み育てる、よりも、楽しく刺激的なこと、自己実現を可能にする仕事が見つけやすいのが都会の特色だ。晩婚になりがちなのは致し方ない。子育てにも家賃という障害が立ちはだかる。地方出身の男女が結婚して子供が生まれた場合、東京近辺に住もうとすると家賃20万~30万円くらいはかかるだろう。二人目が生まれたら、また更なる出費を覚悟しなければならない。共働きで、実家の助けなしで子供を保育所に送り迎えして家事に育児に仕事に追われる生活を経験したら「子供はもういい」と考えがちになるのは自然なことだろう。要するに現代の都市生活は子沢山の家庭と著しく相性が悪い。

次回に続く。

2024年9月7日(土)


一方で、都市にも地方にも原始的な幸福を至上のものと考える人は一定数いるだろう。そんな人々に移住の機会を提供すること、都市部の広い住宅を格安で賃貸できる可能性を提供することがこの制度の骨子であり、少子化対策として期待される。その場合、自治体や行政の支援で、例えば、一流シェフが給食を作る街、小学生でも英語を話す街、スケボーが出来る街、元日本代表がサッカー教室を開く街、総合格闘家を養成するためのメガジムがある街、のように特色を出していけば、自然と人が集まり、多産が当たり前の育児がしやすい地域が形成されるのではなかろうかと夢想している。


次期総理大臣がこの制度を政策目標として掲げることはやぶさかではない。

2024年9月8日(日)

義理の妹について書く。15年前、彼女は悪霊にとりつかれた。その真偽は定かではないが、少なくとも俺にはそう見えた。妻によると、彼女は独り言を繰り返し、彼女とは別の人格が出てきて行動も支配されるとのことだ。ある聖職者が彼女の前で祈祷をしたとき、その悪霊が彼女の口を借りて喋っている現象が現れた。普段の彼女とはかけ離れた悪霊の喋りを聞いて、「こんなことがあるのか」と恐怖に震えた。ほどなく彼女は精神病院に入院することになった。見舞いに行ったとき、まるで監獄のような施設と生活に驚くとともに、「ろくに診療をしないまま強い薬が投与され、治るどころか廃人になってしまうのではないか」という不安が拭えなかった。かといって、退院させるわけにもいかないし、己れの無力さを嘆いた。


それから10年後、彼女は公務員試験に合格して、市の職員としてフルタイムで働き、彼女の両親、すなわち、俺の義父母をあらゆる面で支えている。発病当初の混乱を思い出すと、奇跡のような現在の状況だ。

突然、そのことを思い出したのには理由がある。NHKのドラマ「Shrink」で双極症で精神病院に入院する場面が放送されたからだ。そのドラマを見て、数値化しにくい精神世界に挑む精神科医に畏敬の念を抱くようになったし、当時の精神科医に対しての偏見を改めなければと思った。薬があったから彼女は苦しみながらも生きることができて、再起の機会を待つことができたのだから。

 

彼女の手を握り、目を見て、「辛い時期をよくぞ乗り切った」と称賛したい衝動に駆られた。それは物理的に不可能なので本欄に綴るに至ったというわけだ。

 

2024年9月9日(月)

就寝時、暑くもない、寒くもない、足も伸ばせるし、いつでもアヒルが押せる状態、体のどこも痒いところはなく、鼻の通りも良い、つば吸引のチューブも口内で吸着することなく、かといって、口外に飛び出ることもなく、必要十分につばを吸い上げてくれる、目も涙で潤むこともない、痰も詰まってない、推定酸素飽和度が97はある、要するに、完璧な状態だ。なのに、なぜ肝心の眠けが襲って来ないのか?こういうときが最もタチが悪い。結局、誰も起こせないまま時間だけが過ぎて行った。推定時間は午前4時、このまま朝を迎えるのかと思っていたら、本当に一瞬で外が明るくなった。どうやら、熟睡していたようだ。普段は思い出せない夢の内容も、今日は鮮明に記憶している。

数学科の同級生二人を連れてドライブしていた。運転手は俺だ。そのうち、同級生の一人が酔いつぶれて眠ってしまい、自宅まで送り届けようと思ったが、住所がわからないから、もう一人の同級生に起こしてくれと頼む夢だった。不思議なことに、覚えている夢の中での俺は健康体で、自由時間が出来るとラーメン屋とか雑誌室に行こうとするが、本懐を遂げることなく夢が終わってしまう。今回も閉店間際の洋食屋に入りコーヒーを注文するが飲めずに終わった。


今、見ている夢はなかなか覚めてくれそうにないなあ。




2024年9月10日(火)

先週土曜日に放送された「新プロジェクトX」の再放送を視聴した。オープニングで「日本発のアプリが世界を席巻」と出た。「そんな企業があるのか」と興味津々だったが、番組終盤で「アメリカでの利用者数は頭打ちでアメリカ事業の累積赤字は数百億円に上る」と出てきて、大いにずっこけた。


バブル崩壊前は有利な立場にいたはずなのに、「これからはハードではなくソフトの時代になる」と言われていたのに、東芝が半導体事業から撤退し、OSでもTRONを潰されウィンドウズの軍門に下り、蓄電池も太陽光発電も中国に抜かれ、頼みの自動車もEV化の荒波に晒されている、IT分野は常に後手後手に回っている感じで、国をあげて人材育成しようという意欲が乏しい、アニメも個人の才能に頼るばかりでディズニーのような分業化を推進して一大産業に育てようという気配が皆無だし、AI分野もトップの研究者が「日本は周回遅れ」と公言している。


失われた30年の間、サッカーは強くなったし、経済もそれなりに発展したのだろうけど、他国はもっと頑張っていたことを実感した。いつもは開発者の喜びと未来への希望を与えてくれたのであるが、今回は悲哀に満ちたプロジェクトXだった。


2024年9月11日(水)

血液検査の結果が出た。全ての項目で正常値の範囲に収まっていて、「これが私の成績表よ」と妻はご満悦だった。妻は医食同源を強く信じていて、俺がALSを発症してから今日まで健康に良い食事とは何か症状を改善する食事は何か、を模索し続けて来た。


胃瘻を造設して三年が経つ。この間、一度たりとも口に食べ物を入れたことがない。「味だけでも」と思うこともあったが、噛み砕いて飲み込むことが出来ない、その後の口内処理が大変そうだ、歯の衛生にもよくない、という理由でその行為を避けてきた。テレビで料理やグルメ情報があれば、その味を想像しながら視聴している。それで十分満足だし、食欲という煩悩から解放されてよかったとさえ思うようになった。


それでも、ごく稀に「こうなることがわかっていたら、あの時、食っておけばよかったなあ」と後悔の念に駆られることもある。その中の一つが妻の得意料理だったイカ入りのネギ焼き(韓国語でヘムルパジョン)だ。ちなみに日本の超有名グルメ漫画の影響で「チヂミ」と呼ばれることが多いが、韓国でその名を出すと、「何故、そんな地域限定的な名称を使っているの?」という反応が返ってくるので覚悟されたし。韓国の食堂のメニューには「パジョン」のみで「チヂミ」は見たことがない。

 

妻はある時期から「油は健康に悪い」という理由で一切へムルパジョンを作らなくなった。新鮮な長ネギを生地に浸してフライパンで揚げるように焼くと衣がパリパリに仕上がって酢醤油と合わせると絶品の味わいだった。今となっては確かめる術がないのが返す返すも残念だ。

 

2024年9月12日(木)

トランプ氏とハリス氏の討論会を視聴した。トランプ氏が「不法移民者が一般市民の飼う犬猫を喰っている」というので、ギョッとしたが、司会に「そういう報告事例はありません」と否定されていた。そんなフェイクニュースを流しても支持者を減らすことのないトランプ氏は、ある意味、法と社会を超えた存在だと思った。

2024年9月13日(金)

昨日開催された自民党総裁選挙に立候補した9人の演説会を視聴した。以下はその感想である。

高市氏は政治資金問題に時間を割いていた。

小林氏は色々言いすぎて焦点が定まってない印象。

林氏は話がうまくて実務に裏付けられた安定感があった。

小泉氏の情に訴える演説はピカイチ。実務経験に乏しいのが残念。

上川氏は若く見えるけど最年長。外相の大役もそつなくこなしていた。

加藤氏は所得倍増計画を披露。

河野氏は非常時に国民を支えるために財政の健全化を主張。

石破氏は安全保障に関して熱弁をふるう。

茂木氏は経済の発展により増税ゼロを実現できると主張。


追伸)先々週、過疎化対策を提示したが、もっとも重要な段落が欠落していた。9月2日の日記に追加したので参照されたし。

2024年9月14日(土)

最近はChatGPTに時間を費やすことが多い。例えば、先々週に書いたホワイトハッカーをSNSで養成する提案について尋ねると、理路整然(に見える)とした文章とレイアウトで評価と課題を提示してくれる。そこから派生する疑問にも答えてくれるし、知識が広がるのを感じる。問題点を挙げると、当たり障りのない模範解答ばかりなので、独創的アイデアは期待できないことだ。しかし、裏を返せば、公文書作成などのお役所業務にはうってつけなのだ。企画書を書くときも課題が整理できる。今まで作文に費やしていた時間がChatGPTの使用で劇的に短縮されることが予想される。

喩えて言うなら、初入閣を果たして某省庁の大臣になった瞬間、どんな質問にも懇切丁寧に答えてくれる霞ヶ関の優秀な官僚を部下として従える、ような感覚だ(入閣したことないけど)。


追伸)YHJ博士、OSM博士、LSAさんが見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年9月15日(日)


地球は自転している。月は地球から見ると自転していない。地球の自転周期は一定で、自転軸は公転面にたいして垂直ではなくやや傾いている。そもそも公転面は一定なのだろうか。他の惑星や衛星はどうなのだろうか。太陽系内の惑星なら観測可能だが、それ以外の惑星は光を発しないので、観測できないのでは。


様々な疑問が巻き起こったが、学校で習った記憶がない。仕方なくChatGPT大先生に聞いてみた。驚くべきことに火星の自転軸は数万年単位で大きく変動するらしい。この記述を鵜呑みにするのは良くないが、好奇心の叩き台になるのも事実、中高生や学生はバンバンChatGPTを活用して学会の定説を頭に入れ、行く行くはその定説を打ち破ったり立証したりしてほしい。

2024年9月16日(月)

応援している力士がいる。今場所小結に昇進した平戸海だ。新入幕の頃から長崎県出身ということで贔屓にしていたが、まさかこんなに強くなるとは夢にも思わなかった。小兵ながらも相撲は正攻法で上位陣にも臆することなくぶち当たっていく様子は爽快だ。先々場所は立ち合いからの速攻で大の里を寄り切った。中日を終えて五勝三敗、勝ち越して三役に定着してほしい。大関は無理かなと思うが、そんな俺の浅はかな予想をことごとく覆して来た平戸海の今後に期待したい。

2024年9月17日(火)


小学校以来の友人はある特殊能力を持っていた。過去未来のどの日付を指定しても、その日付の曜日を当てることが出来た。来年の今日9月16日は365=7*52+1なので、水曜日だとわかるし、去年の同日は2024年は閏年であることから、-366=7*(-52)+(-2)なので日曜日だとわかる。すなわち、一年分のカレンダーを記憶していれば計算で求めることが出来る。しかし、その友人は頭の中に100年分のカレンダーが投影されているかのごとく瞬時に答を返すのだった。果たして、彼が有する脳内カレンダーに上限や下限があったのか。今となってはその友人とは音信不通で知る術もない。


件のChatGPTによると、グレゴリー歴が制定されたのが16世紀で、それまでの曜日との整合性を保つために10日間が削除されたそうだ。閏年の規則もこの時に制定された。ちなみに、2100年は閏年ではないらしい。

昨日は秋夕で、韓国では旧暦でお盆と正月を祝う。あいにくの曇り空で中秋の名月は拝めそうにない。ならばと、曜日が何故7日なのか、月の満ち欠けの周期から来ているのか、そう言えば、彼は元気にしてるだろうか、と思いを馳せてみた。


2024年9月18日(水)

NHKのニュースで「一ヶ月に一冊も本を読まない人の割合が六割」と報道されていた。ただし、漫画や雑誌は除くそうだ。しかし、職場や学校で実用書や教科書を読むはずだから、おそらくそれらも除外されているのだろう。

次回に続く。

2024年9月19日(木)

ずいぶんといい加減な統計だなあと思う。文芸春秋は雑誌なので一冊とはならないし、絵本はどうなるのか、一冊分読み切れなかったら0冊になるのか、流し読みでも一冊になるのか、一ヶ月をどの月に設定するかで結果は変わるのでは、などの疑問が湧いてくる。好意的に解釈すると、余暇や情報収集においてスマホが本の地位を奪ったということなのだろう。余暇の過ごし方は人それぞれだし、「近頃の若者はけしからん」と説教するつもりも毛頭ない。ただ読書文化が廃れていくことに一抹の寂しさがあるし、読書の意義を考えた時に頭の中のもやもやが消えない。

次回に続く。

追伸) レバノンのポケットベル爆破事件が本当にイスラエルの仕業であれば、G7はテロ支援国家だと非難されても文句は言えないと思う。

2024年9月20日(金)

そのもやもやの正体を突き止めるべく、俺の読書歴を紐解いてみよう。


小学生の頃、読書は夏休みの読書感想文の宿題や授業の一環である図書室での読書のように、俺にとっての読書とはやらなきゃいけないから仕方なくやるもので、自ら好んでやるものではなかった。その証拠にその当時読んでいたはずの書籍の題目が一つも出てこない。書店でおねだりするのは漫画ばかりで、寝床の周りはたまりにたまった漫画本の要塞が築かれるほどだった。転機が訪れたのは中二の頃、棚に無造作に放置されていた文庫本を手に取った時だった。


次回に続く。

2024年9月21日(土)


宮本輝作「避暑地の猫」、それが大人向け小説との最初の出逢いだった。別荘を管理する4人家族と所有者夫妻との葛藤を描いた作品で、不穏な空気が漂う中、最後に謎が明かされるというミステリー形式で、読後に腰が抜けそうになるほどの衝撃を受けた。愛する者全てを失った主人公、その不条理な結末と反道徳的行為が散りばめられた過程と心理描写は、当たり障りのない児童文学や「敵に勝つ」という単純明快な少年漫画にない刺激に満ちていた。端的に言うと、エロ本よりもエロい世界があることに気付いたということだ。


次回に続く。

2024年9月22日(日)

二匹目のドジョウはやはり棚の上にいた。司馬遼太郎作「国盗物語」、最初に出会った本格的歴史作品である。下克上の戦国時代を舞台にのし上がっていく斎藤道三が主人公で、現代ではありえない世界を擬似体験しているような浪漫と爽快感があった。この後、宮本作品と司馬作品を中心に読書歴が積み上げられていく。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

次回に続く。

2024年9月23日(月)

実家の洋間には土産物を展示するキャビネットが据えられている。その下部には観音開きの扉が並んでいる。その中には両親が訪問販売の口車に乗って買わされたとしか思えない、ライフ社の科学シリーズや世界文学全集や日本史全編が誰も手に取る様子がないことを物語る埃が積もった状態で陳列されていた。俺は中三になり一人部屋を家族の誰もが往来しない一階の隅に与えられた。


その部屋で家族が寝しずまった深夜に読書をする楽しみを見つけた俺は、洋間の件の書籍を読んでみようと思い立った。手に取ったのは唯一名前を知っていたヘルマンヘッセの「車輪の下」だった。記憶が定かでないが、おそらくは、井伏鱒次とか志賀直哉とか森鷗外のような日本の文豪の作品を先に読んで見たが、難解すぎて挫折したものと思われる。

「車輪の下」は訳者が優秀だったからか、成人してから読んだ「罪と罰」に比べたらはるかに楽しく読めた。受験生が受験に失敗する話だが、悲愴な感じは全くなく、むしろ放浪の場面が冒険心に満ち溢れていて、わくわくしながら読んでいた記憶がある。


2024年9月24日(火)

読む速度は遅く、一晩に50頁ほどだった。しおりは使わない主義で、内容が思い出せるところまで遡って読んでいた。「車輪の下」の次は「デーミアン」で、その次は三島由紀夫作「美しい星」だった。正直、読むのが苦痛だったが、後年、一連の三島作品を読む上でのパワーリストとして作用した。それから、芥川龍之介作「羅生門」を含む短篇集、太宰治作「人間失格」と推移していった。「人間失格」はあまりにも退廃的で救いが全くない結末で、読まなきゃよかったと後悔した。


高校に入ると、朝の補習と放課後の部活でヘトヘトで夜、布団に潜り込むと「やっと寝れる」という幸福感でいっぱいになり、読書は後回しになった。余談になるが、柔道部の練習はかなりキツかった。柔道では部員総当りの乱取りが必須で弱い奴ほど疲れる仕組みになっている。俺は唯一の初心者で最軽量だったから上級者にかからないとわかっている技をかけ続けなければならない立場で、練習後は疲労困憊になるのが常だった。そんな状況でも司馬遼太郎作「坂の上の雲」の全巻を読破した。高校時代に他にも読んだかも知れないが記憶に残っているのはこれのみだ。


2024年9月25日(水)

そう言えば、本田勝一作「アラビア遊牧民」を始めとするルポルタージュ作品も読んだなあ。


大学に入って、福岡で一人暮らしを始めた。朝6時半に起きなくていい生活、日曜日を含む毎日柔道をする生活が当たり前だった俺には、時間とやりたいことがあり余っている福岡での生活が楽しくて仕方がなかった。毎日のように本屋兼レンタルCD屋に通って、お金が貯まったときに買う本を品定めしていた。抱腹絶倒のエッセイで名を知られつつあった原田宗典作品も一通り読んだ。宮本輝作「青が散る」では、一周回って「ポンクに勝つ」という単純明解な少年漫画のストーリーを小説で味わうことができた。一連の三島作品では「恋に落ちる男女の機微を描かせたらこの人の右に出る者はいないな」と思ったし、それが必要最少限の筆量でなされているのが不思議だった。


でも悲しいかな、飽食の時代にはどうしても味の感動が薄れるものだ。学生時代に様々な本を読んだはずだが、飢餓時代だった十代前半に味わった感動には遠く及ばなかった。

2024年9月26日(木)

学部の専攻課程に進級してから俺の読書は暗黒時代に突入する。その理由を説明するためにいくつかの、一見読書とは関係なさそうなことに触れる必要がある。

二年後期から全ての講義が数学科目となり、難易度も増大した。講義を聞いても理解不能だったし、「わからないことが当たり前、わからなくても大丈夫」という免疫だけが増大していった。俺は「講義は役に立たない。理解するには結局自力で教科書を読むしかない」と思った。学生にそう思わせるためにわざと受講生の実力を考慮しない講義をしていたのか、とは思えない。大学教員になったから言えることだが、学生の理解度と剥離した授業は教員の怠慢もしくは「これくらいわかって当然だろう」という無自覚な思い込みが原因である。本来、講義とは自主学習では得られない、その分野に精通した者だけが知る本質を伝えるのが目的だと思う。しかしながら、俺が受けた講義は、自分が書いた教科書を一言一句違わず板書したり、「レポートは体裁が大事です」と言って数十頁の写経を命じたり、初回から定義もしてない接空間を使って説明し出したりで、数学が好きで数学科に来た学生を次々に数学嫌いに変えていった。そんな教官達の中にも例外は存在した。その例外の中でもわかりやすく好奇心を掻き立てる講義をする教官が唯一存在した。後年、俺はその教官を師と仰ぐことになった。

次回に続く。

2024年9月27日(金)

数学の教科書は小説のように気軽には読めない。そうでない人も中にはいるだろうが、少なくとも俺は読めない。ただし、ここで出てくる「読める」は理解する、すなわち、書いてあることの真偽を検証する作業で、字面だけ追うことを意味しない。まず定義が出てきて、その意味を理解するために、例や命題を通して「ああ、こういうことを扱いたくて、こんなことを定義するんだ」という感覚が生じて、また他の例を見て「あれ、思っていたのと違うなあ」という試行錯誤を繰り返して、定義が意味することへの感覚の精度を高めていくのである。その作業を全く感覚が生じない状態で読み進めていくこともよくある。理解するための道筋が見えれば頑張れるのだが、どこまで行ってもぬかるみということもよくある。だからこそ理解したときの喜びと感動も格別で、一度味をしめると、二度目を欲し、帰納的に数学にハマっていくのである。

次回に続く。

2024年9月28日(土)

4年生になると、指導教官の前で専門書の内容を説明するセミナーが始まった。同時に大学院の入学試験の準備を始めた。これまでに履修した数学科目の教科書を読み返した。苦労したのは杉浦光夫著「解析入門」だった。教養部で学んだ内容だが「自分は何もわかってなかった」ということがわかった。こんな調子だから相当の労力と時間を費やした。次第に読書の優先順位が下がって行った。

次回に続く。

2024年9月29日(日)

大学院に入る直前に京都での研究集会に参加した。驚いたのは一年上の先輩が発表していたことだ。俺が抱いていた先入観では「数学というのは歴史がある学問だから、その歴史の分だけ下積みが長く、教授クラスにならないと発表できないもの」と思い込んでいた。ところが、現実に目の前で起こっていることははるかに俺の想像を超えていた。一年後に自分が定理を発見してあの場所に立てるとは到底思えなかった。喩えて言うなら、俺の先入観は現代の日本で、現実は数百年前のブラジルだった。その心は、ちょっと郊外に出ると密林が広がっていて開拓した分だけ自分が所有する畑になることに類似していると思ったからだ。実際、整備されていると思っていた数学の世界はわからないことだらけで、既存の枠組みの中でも大小様々な未解決問題が転がっていた。俺はその世界に大いなる浪漫を感じた。セミナーでの発表の準備は大変だったが、やりたいこととやらなきゃいけないことが一致していたので楽しかった。端的に言うと、小説よりもエロい世界が広がっていることに気付いたということだ。

次回に続く。

2024年9月30日(月)


読書暗黒時代が始まった。学生時代、イスラエル、韓国、台湾でのポスドク時代、釜山大数学科に就職、日本の本屋に行けないことが要因となって、ますます読書から遠ざかった。というより、公私共に多忙で読書とスポーツ観戦を含む室内の趣味に時間を割く余裕がなかった。転機は40代前半に訪れた。アマゾンを使って気軽に日本の書籍を購入できる環境が整ったことと学科長の任期が終わったことが重なって、再び読書への気運が高まった。


そこで読み始めたのが塩野七生作「ローマ人の物語」(全15巻)だった。特にユリウスカエサルが出てくる巻の面白さは他を圧倒していて、作者のカエサルへの思い入れが伝わってきた。ローマ帝国の政治形態は現代の某大国を彷彿させた。キリスト教の弾圧から国教になるまでの歴史を学ぶことが出来てよかった。ハドリアヌス帝の多様性と領土拡大の戦略を知った。

 

でも悲しいかな、読書は再び超暗黒時代を迎えることになる。

 

2024年10月1日(火)

ALSの兆候が現れ始めたのが45歳の夏、つまづいたり、膝が折れた状態で転んだり、筋肉が痙攣したり、日に日に症状は悪化の一途を辿って行った。翌年には板書が出来なくなり、その冬には箸を持てなくなり、本の頁がめくれなくなった。この時点で、紙でできた本との断絶が始まった。スマホは困った時に助けを求める命綱でもあったが、筋肉の衰えと共に使えなくなった。パソコンの操作はエアマウスの導入で事無きを得た。

しかし、悲しいかな、アナログ人間の俺は紙とペンの助けなしでは数学の新しい概念を理解することができなくなってしまった。そのことは研究者仲間と疎遠になる原因となった。数学の研究を通して濃密な時間を過ごした彼らからの激励は「今、こんなことをやっているんだ。お前も一緒にやらないか」と言うに決まってる。それに呼応出来ない自分が情けなかったし、弱い姿を見せたくないという心理も働いた。俺は読書のみならず人生において最も時間を費やして来た数学との決別を強いられた。元々、乏しい理解力を時間を割くことで補っていた。そんな俺が数学を続けようとすれば、引きこもって数学以外のことを考えなくなるだろう。そんな生活に見合った成果が得られるとは到底思えなかった。

追伸)昨日の王座戦は名勝負だった。1分将棋でも逆転の糸口を探し続ける藤井、その藤井を土俵際まで追い詰めた永瀬、最後の最後で藤井が仕掛けた巧妙な罠に引っ掛かり、逆転を許す結果となったが、永瀬には七冠の藤井に追いつくという気概を感じた。

2024年10月2日(水)

エアマウス時代初期はパソコン上で論文や電子書籍を閲覧することができた。青空文庫とは著作権が切れた文学作品が無料で読めるウェブ上のサイトだ。俺は吉川英治作「三国志」を読み始めた。しかし、症状が進行するにつれて、座ってパソコンに向かう時間が減っていった。三国志は途中で挫折した。その頃はスクロールさえ難儀な状態だったからだ。


電子書籍さえ読めなくなって気付いたことがある。紙の本を読むという行為はなんと贅沢で幸せな時間を与えてくれるものだろうということだ。冒頭の統計に違和感を感じた理由でもある。面白いことは人それぞれ、時代が変われば嗜好も変わるということだ。

視線入力が出来るようになって、三国志の続きを読み始めた。視線入力は目を酷使するので遅々として進まないが、「千里の道も一歩から」の格言を信じて読破しようと思う。あわよくば、いや、もしかしたら、数学も戻って来るかもしれないではないか。

2024年10月3日(木)

NHKの朝ドラ「おむすび」を批判してみた。


  1. オープニングの楽曲、背景のアニメ、それらの融合が完璧だった前作「虎に翼」と比べて、本作のオープニングは格段にもの足りない。クレジットが見にくいのも不満。
  2.  小学生が海に落とした帽子を拾うために四月の海に制服の上着を着たまま飛び込むとか、必然性が無さすぎる。それがドラマの設定と言われればその通りだが、あまりにも現実と離れると感情移入出来なくなる。
  3.  博多ギャル連合のメンバーが4人しかいないのは設定が破綻していると思う。いつの時代でも流行りのファッションはモテるかどうかに大きく左右される。4人しかいないというのはそれだけ需要がないことを意味している。東京で流行っていて福岡は過渡期という設定でもなさそうだし、流行の最先端にいる恍惚感が奇抜な格好を貫く最大の動機なのだから、メンバーの4人は痛々しく見える。それがドラマの設定だと言われると反論できないのだが。
  4.  形が歪な農産物を破棄するのは生産調整の意味合いもあると思う。豊作のときに収獲せずにトラクターで農産物を踏みにじるのは値崩れを防ぐためだ。それなのに主人公の祖父は商店街で叩き売りを始めてしまう。後で、農協や商店街の八百屋の人から怒られないか、こっちが心配になる。
  5. その祖父がスナックで「見た目でクズとかありえない」と道徳めいたことを語るが、間引きをして害虫を駆除するのが当たり前の農業従事者はそういう上っ面なことは言わないと思う。これは俺の想像でしかないという予防線を張っておく。

2024年10月4日(金)

NHKの朝ドラ「おむすび」を批判してみた、続き。

6. 祖父が叩き売りをしている時、「伊都は卑弥呼のゆかりの地」みたいなことを言っていた。卑弥呼の居住地には諸説があって、機内説が有力とされる。卑弥呼がいなくても、伊都は伊都国として中国の文献に登場するほど豊かな歴史を持つ地域なのだ。それなのに、安易に卑弥呼と紐付けて、伊都の歴史を矮小化するのはいかがなものかと思う。その後に行くスナックの名称も「ひみこ」で悪質な刷り込みの意図を感じる

7. 書道部の風見先輩は「俺が書道の素晴らしさを教えてやる」みたいなことを初対面の主人公に向かって言う。それを他の女子部員の前で言うのは配慮に欠けていると思う。他の女子部員を蔑ろにしているかもしれないし、贔屓にされた主人公がバッシングされる可能性があるからである。そもそも、書道家として成長過程にある風見にとって普及は二の次だろう。そんな風見に恋心を抱く主人公もどうかしてると思う。恋は盲目という設定だったのかも知れないが。

8. スナックひみこに出張して女主人の髪を切ってやる主人公の父は不貞を疑われても仕方がないと思う。

9. 主人公はティッシュ配り中に倒れた知り合いを助けるために、風見とのデートを反古にする。そもそも、風見は主人公に書道の展覧会の楽しみ方を教えるために来たのだ。主人公が説明もなしに突然「用事を思い出しました」と言われれば途方に暮れるしかなかったであろう。困っている人を助けるために新たな困っている人を産み出す主人公には脱帽である。

2024年10月5日(土)


Netflix配信のドラマ「極悪女王」を視聴した。以下はその感想である。

80年代の日本の女子プロレスを再現した作品。俺がプロレスに熱中していた期間の物語で、テレビ中継があれば男女共に見ていたし、プロレス雑誌を通して女子プロレスの動向も把握していた。長与千種は長崎県大村市の出身で、同郷ということで注目していた。彼女は男子の技を取り入れ、女子プロレス界では革命的な存在だった。技の思い切りがよく、突貫小僧的なファイトは華があって、実力派のライオネス飛鳥と組んでクラッシュギャルズとしてトップに君臨しているのも合点がいった。その最大のライバルがダンプ松本で、竹刀を振り回して凶器攻撃を繰り返してまともな技の応酬を避けるので、長与千種を応援する立場としては大いにストレスが溜まったし、ダンプ松本は憎しみの対象となった。今、振り返ると、男女の枠を超えてのナンバーワンの悪役レスラーはダンプ松本ではなかろうか、それくらい存在感があり、人々の憎しみを買っていた。


本作は、実名で上記の人物が登場し、当時を知る者が見てもどちらが現実でどちらが虚構なのかわからなくなるほどの再現度を誇っている。しかも、当時知り得なかった経営陣や女子プロレス団体内の裏事情も満載で、プロレスファンの好奇心を鷲掴みにする内容となっている。出演者の演技も素晴らしく、昭和のプロレスの情念がぶつかり合う試合を表現できていたと思う。プロレスファンの俺としては大満足の作品だった。当時を知らない、必ずしもプロレスファンでない人の感想を聞いてみたいものである。




2024年10月6日(日)


NHKの朝ドラ「おむすび」を批判してみた、続きの続き。


10. スカートの上部をまくり上げてスカート丈を短くする技法は、まくり上げた部分が見えないような着こなしのときのみ使われるのでは?シャツインの制服だとどうなんだろう?もしかして、内側に巻くのだろうか?


11.主人公が高校に入学したのが2004年、高校生が自転車通学する際にヘルメット着用は義務でもないし、奨励されてもいなかった。あれだけ髪型を気にしていた主人公が好んでヘルメットをかぶるとは思えない。


12. 主人公の6歳上の姉は入学早々退学したらしい。その場合、期間が短いから教員の記憶に残りにくいと思われる。にも関わらず、入学式の当日、主人公の担任の先生は主人公の姉について言及し、希望に燃える新入生を落胆させる。伝説のギャルと称される姉ならば、筋を通すのが信条のはずだ。そういう状況で、親が支出したであろう入学金、制服代、教科書代をふいにする行為をするとは考えにくい。だとすれば、姉が退学になる然るべきエピソードがあるのだろうか?そもそも、高校生でもないのにギャル連合の総代だと話が違ってくるのではなかろうか?


13. 主人公が助けたギャルは母子家庭で貧乏だと明かしていた。付け爪も友達からのお裾分けらしい。糸島から天神まで地下鉄で往復すると千円近くかかる、プリクラ代、携帯電話の通信料、金髪の維持費、それらの経費もお裾分けなのだろうか?NHK的には援助交際のような不健全なアルバイトは禁止だろうから、ティッシュ配りのようなアルバイトが必要になるのだろう。付け爪を外せば、もっと割りのいいアルバイトがあるのになあ。


14. 主人公がそのギャルを病院に連れて行ったとき、ギャルは保険証を携帯していたのだろうか?節約した生活をしている彼女がすんなり病院に行くとは到底思えない。


追伸)竜王戦の挑戦者になるだけでもすごいことなのに、藤井は挑戦者佐々木のはるか上にいた。


2024年10月7日(月)

世の中には思ってはいても言えないことがある。例えば、旧安倍派の幹部議員は、

「派閥の慣習に従っただけなのに、なぜここまで責任を追及されなきゃならないのか。元々はパーティーを開いて自分たちで集めた金なのに、一年一人あたりで計算したら微々たる額なのに、他の派閥もやってるのに、なんで俺だけ党員資格停止なの?これまで党のため国のために奔走し尽力して来たのに、どちらかと言えば被害者なのに、政治生命が絶たれるに等しいこの仕打ちはないだろう。オヤジがいた頃は検察も見て見ぬふりだったし、統一教会とつるんでもお咎めなしだったのに、あの銃弾で全てが狂ってしまった。そもそも、政治的会合には領収証や参加者を公にしたくないときもあるんだよ。そういうときは自腹を切るけど、そうすると、金持ちが有利になるだろう。それを少しでも是正するためのキックバックなのに、マスコミや野党は鬼の首を獲ったかのように叩く、叩く。高速道路で杓子定規にスピード違反を取り締まらないのには理由があるんだよ。それなのに違法だ、違法だと騒ぎ立てやがって。大体、企業は接待費名目で無尽蔵に公費で飲み食いできるのに、財界人を動かしていく立場の政治家が肩身の狭い思いをさせるのは国益に反すると思わないか?お前らの言う政治改革で国が傾くこともあるんだよ。企業の接待費だって、利益追求のために必要と言うが黒字分を減らす税金対策だろ。そのお金は本来社員の賞与や株主ヘの配当や設備投資に回るはずの公金なんだよ。それを一部の役員が湯水のようにドンペリとかロマネコンティに費やすんだ。不公平だ、けしからんと思うだろ。公務員の公費での飲み食いが制限されるなら、企業の接待費も制限されるべきだろう。しかし、そんな法律ができたら、飲み屋は大打撃を受け、結果として日本の国内総生産を縮小させるだろう。世の中は綺麗事だけで回っているわけではないんだよ。わかるかね、君」

なんてことを考えているかもしれない。でも、口に出したら袋叩きになるから言えないんだよなあ。

2024年10月8日(火)

プラスチック容器に土を入れ、捕まえて来た蟻の集団を容器に放てば、やがて土の中に巣を作り生活し始める。餌となる昆虫の死骸を投入すると蟻の大軍が死骸を巣の中に運び入れる様子が観察できるだろう。容器を振って大地震を起こすこともできるし、水を注いで大洪水を起こすこともできるし、餌を与えないことで大飢饉を起こすこともできるし、気にいらない蟻がいたら指で潰すことで死神にもなれる。蟻にとっては生殺与奪の権利が与えられるという意味で飼い主は神のような存在であろう。しかし、蟻の知能では飼い主である人間を正確に認識することはできないだろう。つまり、蟻の思考をはるかに超えたところに蟻にとっての神が存在するが、その神と崇められる飼い主は他の人間にとっては神でもなんでもない。

そのことを踏まえて、我々が神と崇めるものの正体について考察する。人類の生殺与奪を握り、知能がべらぼうに高い何かがいると仮定しよう。果たして、それは本当に神なのだろうか?聖書によると「神は自らに似せて土をこねて人間を作った」らしいが、神とは人知を超えたところにあるので、聖書に書かれているという理由で神の外見を推測するのは憚られる。我々の想像が及ばぬところの議論なので、答えも出しようがないが、牧師先生にお伺いしたいと思っている。

2024年10月9日(水)

俺には視力、聴力、思考力が残っている。それらは意外に大きいことがわかった。俺の体の機能の重要度を評価する。a、b、c をそれぞれ視力、聴力、思考力の重要度として、x、y をそれぞれその他の残存機能の重要度、ALSによって失われた機能の重要度とする。このとき、a、b、c、x、y は正の数で、a+b+c+x+y=1 を満たす。視力、聴力、思考力のどれかと引き換えにALSを治してやると言われたら、ちょっと考えるだろうが、悪くない取引だと判断して同意するだろう。しかし、どれか二つと言われたらいずれの場合も断るだろう。仮にALSが治って視力と聴力を失ったとする。それは話せるヘレンケラー状態だ。一人でトイレに行くことはできるが、子供たちの成長した姿を見れないし、妻の声も聴けない。それなら今の方がマシだ。このことから次が成り立つ。細かい計算は省略するが、結論は健康体の六割を越える機能が残っていることが証明された。そう考えると「俺の人生まだまだ捨てたもんじゃねえなあ」と思えてくるから不思議なものだ。



追伸) 当初は数式を書いていたが、html ファイルとの相性が悪いようなので削除した。





2024年10月10日(木)

昨晩、食道と胃の間に圧迫感を感じた。痛みはなく、消化が悪いわけでもない。ただ苦しいだけで一眠りすれば治ることはわかっていた。というのも半年に1回の頻度で起こる俺にとっては馴染みの症状だからだ。しかし、その一眠りが来ない。そのうち寒気がしたので妻に頼んで毛布を2枚重ねてもらった。心配した妻が俺の額に手をあてた。「熱はないけど脂汗が出てるよ」と言われた。そう言われてもどうすることもできない。妻はお祈りをした後、寝入ってしまった。長男と次男の物音が聞こえたのでアヒルを鳴らして呼び出してこの夜3回目の寝返りを頼んだ。寝返りは眠気を誘発する効果がある。ついには3時間の睡眠(俺にとっては長い睡眠)を得られ、圧迫感も消えていた。妻のお祈りが効いたのかもしれない。

2024年10月11日(金)

完全食とは生きていくために必要十分な栄養素をバランス良く含んでいる食品のことである。例えば、赤ん坊にとっての母乳であったり、人工的に作られたsoirent のような食品が挙げられる。

ニュースでは、時間を節約したい若者は完全食を活用していて、味に工夫をこらしたより食べやすい完全食も開発されていて、市場規模も増大していると報じられていた。それに関して完全食歴4年目に入った俺の見解を述べる。

常温で長期間保存できる完全食は将来訪れるであろう食糧危機ヘの切り札になると思っている。その費用も一食あたり五百円前後だから大量生産により大幅な改善が見込まれるだろう。

そんな未来の話でなくても、食事のときの誤嚥防止のために保育園や老人ホームでは導入を検討すべきだと思う。手足が不自由な老人に食事をしてもらうのは作る側も食べさせる側も多大な神経と時間と労力を使うものである。介護職員の人手不足が叫ばれる昨今、朝昼は流動完全食を摂取して、夕食は余った時間と労力で美味しい食事を提供すれば、食生活に対する満足度は上がるのではなかろうか。加えて老人ホーム職員の負担も激減するはずだ。大事なことは、完全食ヘの抵抗感を減らして、入居者と保護者の同意が形成されることだ。食は人生の楽しみだが、毎食のように美食を楽しむ人は案外少ないと思う。それならば、一般家庭でも家事の負担を減らし十分な栄養素を摂取できる完全食を活用する機運も上昇していくだろう。菜食主義やビーガンの行き着く先は完全食ではなかろうか。

2024年10月12日(土)

テスラ社が汎用ヒト型ロボットを商用化するらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=cfwPnqPR8UA

動画には単純な箱詰め作業の様子が出てくる。これなら日本のライン生産で使用されている産業ロボットの方が性能は上だと思いがちだ。しかし、汎用と謳うからには、あらかじめプログラミングされた動作ではなく、あらゆる作業を学習を通して習熟度を高めていくのだろう。2年以内に販売予定で、その価格は500万円前後らしい。

すごいなあというのが素直な感想、十年後くらいには価格も手頃になって介護ロボットとして我が家に常駐しているかもしれない。難しいことはしなくていい。そばにいて、俺が苦しい表情を浮かべたら痰吸引をしてくれるだけでいい。そうすれば、俺の生命は守れるし、妻も外出できるようになる。

2024年10月13日(日)

1998年4月から一年間イスラエルに滞在していた。間借りしていた家の大家さんは労働党支持者で、オスロ合意を順守して中東和平を実現しようという政治理念を持っていた。彼女はハレディムと呼ばれる超正統派ユダヤ教徒を忌み嫌っていた。ここでハレディムというのが何者かを説明する。彼らの大半は就労せずユダヤ教の教典に殉ずる生活を旨としている。主な収入は政府からの補助金で、ヨルダン川西岸地区のようなパレスチナ人居住地に入植すると増額される仕組みになっている。イスラエルの人口の15%を占め、今後も更に増え続けることが予想される。


次回に続く。

2024年10月14日(月)

大家さんは大学で司書として働いていた。彼女の車に乗せてもらうこともしばしばで、自ずと政治や社会について議論、というより俺が質問して彼女が答えて延々と主張を連ねることが大半で、英語が苦手の俺には絶好の学習機会でもあった。そのせいなのか、俺の交遊関係にハレディムの人は一人もいなかったし、話す相手も中道的な人ばかりで狂信的な人は皆無だった。ただし、大家さんの話によると、俺の上司のZAさんは極右らしいから、深い話ができるような関係を築けなかっただけなのかもしれない。


当時、リクードと呼ばれる保守強硬派が議席数を増やしつつあった。そのリクードを率いるのが若かりし頃の現首相ネタニヤフだった。大家さんはこの人物も厳しくこきおろしていた。

次回に続く。

2024年10月15日(火)

イスラエルは民主主義国家であるとともに宗教国家でもある。そして、ハレディムは政治に強い影響力を持っており、男女共に徴兵されるお国柄故に若者の国防意識は非常に高い。パレスチナ人はイスラエルの存在自体を否定している。実際はそうでなくても、オスロ合意があろうとも、軍に入隊した彼ら彼女らは「パレスチナ人はイスラエル人の生活をテロによって脅かす敵」と教育されるのだろう。イスラエルは圧倒的な軍事力に物を言わせて、敵対するイスラム国家を蹂躙して来た。その歴史も若者に伝えられる。その結果、民主的な選挙で優位に立つのは対外的には好戦的かつ狂信的に見える人々なのだ。


俺がいた頃は、かすかではあるが、イスラエルには中東和平を実現するために共存して行こうという希望が残っていた。しかし、去年の10月7日以降の殺戮により、完全にその希望は失われてしまった。それどころではなく、新たな憎しみの連鎖が始まり、永遠にその呪縛から逃れられないような気がしてくる。


大家さんは何を思うのであろうか。

2024年10月16日(水)

ワールドカップ最終予選日本対オーストラリアを観戦した。以下はその感想である。

2位以内に入れば予選通過であることを考慮すると満足すべき結果だと思う。試合を通して豪州に攻撃機会を与えなかったし、崩された場面もなかった。オウンゴールを献上した後の反発力も示せたし、左のサイドアタッカーは三苫だけではないことも示せた。それらを鑑みると、内容もよかったと評価すべきだと思う。

32年間日本代表を見続けた者からすると、昨今のサイドアタッカーの隆盛ぶりは非常に感慨深い。個人能力で劣る日本人は組織で守って組織で攻めるのが鉄則で、両サイドバックが攻撃の中核を担っていて中盤の選手との連携で相手を崩すという複雑な攻撃が当たり前だった。本田が主力の時代までそれは続いた。流れが変わったのはロシアワールドカップ予選の頃で、原口や乾の台頭により予選通過や本戦での快進撃がもたらされた。
は、三苫に広大な背後のスペースを突かれるリスクを避けようとして、相手チームの守備陣は深めの最終ラインを敷かざるを得ない。そうすると中盤がスカスカになり、相手陣内でも余裕を持ってパス回しが出来る。基本的にスリーバックにゴールキーパーを含めたパスカットされるリスクが極めて低いし、三苫がボールロストしてもサイドの深い位置だから相手の逆襲が実る確率は低い。しかも、両翼の三苫と同安は守備意識が高いし、遠藤と守田が組むダブルボランチは鉄壁で、スリーバックも富安と伊藤の不在を感じさせないほど安定感と力強さに満ちている。

この調子だとすんなり予選通過しそうだなあ。厳しい予選で味わうあのヒリヒリ感、そういう死闘を共に経験することによって生じる代表への途方もない愛情のことを思うと複雑な気持ちだなあ。


2024年10月17日(木)

俺が小学生だった頃、祖母が「お年玉は銀行に預けなさい。利子がついて増えるとよ」と言った。俺はにわかには信じられなかった。何もしないでお金が増えるなんて、しかも1万円預けたら600円の利子がつくらしい、両親に尋ねても同じ答えが返って来た、当時の俺にとって600円は大金だった、漫画本とチョコフレークを買ってもお釣りがくるではないか、そのお釣りでチロルチョコを買おう、それなら祖母の言う通りにしようかな、と思考が推移して、数日後に預金手帳を手にすることになる。

しかし、お金が必要になっても自由に引き出せるわけではなかったし、利子が消えるのも嫌だった。大人になってわかったことは「利子がついても、子供にとってお金の価値はその利子より速く低下する。すなわち、6年生には600円は大金でなくなる」という事実だった。

祖母の提言は俺の人生に多大な影響を及ぼした。倹約を第一とする生活を心がけるようになったし、物を購入する際に価格が適正かどうか確認する癖がついた。それらは正の影響と思うのだが、今、この状況になってみると、「贅沢は出来るうちにしておいた方がいいわ」と思うようになった。ALSを発病してから一年目、車の運転も出来たし、食べることも問題は無かったし、夏休みで時間もあった。あの時、奮発して家族旅行を決行して、プール付きのホテルに泊まり、子供たちを遊ばせて、美味しいものを食べに行ってたら、どんなに楽しい思い出になったことだろうか。

お金の価値は上がったのか下がったのかあるいは変わってないのか、秋の夜長に思考してみた。

 

2024年10月18日(金)

髪を洗ってもらうとき、寝台から車椅子に移乗して呼吸器と共に浴室まで移動して上体を倒してシャワーを浴びていた。途中で痰が詰まったら吸引をして、終わったら俺も妻もヘトヘトになるほど大変な作業だった。今やそれは過去の話になった。というのは、妻が寝たまま洗髪用品を購入したのに始まり、今日がその初実験の日だったからだ。幸いにも実験は大成功で、寝台に寝たまま呼吸器を付けたままでシャワーで水を流し、妻も俺も疲弊することなく洗髪を終えることができた。やっぱり、シャンプーした後、指の腹で頭皮をこすってもらうのは気持ちがいいなあ。病みつきになりそうだ。

2024年10月19日(土)

超低金利時代が続いているが、資産がある人にとっては高金利時代が望ましいのではなかろうか。円安が進行して下げ止まりの昨今であるが、輸出関連や海外資産が豊富な企業の社員を除いた大多数の日本国民にとっては世界基準で見た資産が目減りしている感覚ではなかろうか。金利を上げれば、日米の金利差が縮まるので為替は円高に振れる。その一方で、金利が上がると、住宅の買い控えや企業の設備投資の鈍化などが起こり経済活動を停滞させる要因となると言われている。


なんだか全体のために個人が犠牲になれと言われている気がするのは俺だけだろうか。日銀の「しばらくは金利の引き上げは行わない」という決定に異を唱える人はいないのか。今回の総選挙の争点になったりしないのだろうか。やっぱり経済は難しいなあ、と思わせて、大企業の都合がいいように金融政策の舵を取る作戦ではなかろうか。

2024年10月20日(日)

NHKの日曜討論で立憲民主党の幹事長が「GDPは輸出マイナス輸入…」と言っていたが、俺の聞き間違いだろうか?その後、出演者の誰も訂正しなかったし、何事もなかったかのように次の討論に移って行った。

衆院選まであと一週間かあ。

2024年10月21日(月)

今日は2週間に一度の訪問看護師さんが来られる日だ。少しでも身なりの整った夫を見せたいという心理が働いたのか、妻は前日に俺の爪を切り当日に両足の垢スリ、洗髪、ドレッシングと呼ばれるガーゼ交換を施した。

看護師さんは体温、酸素飽和度、血圧を測った後、胃瘻周辺のドレッシング、カニューレ交換、それを固定する紐の交換、喉のドレッシングを終えた。なお、カニューレとは気管と人工呼吸器とを繋ぐプラスチック製の器具のことだ。

このようにして、人工呼吸の安全と衛生が維持されるのである。

2024年10月22日(火)

この前外出したのは今年の5月、ということは丸5ヶ月自宅に引きこもっていたことになる。梅雨の時期が長かった、猛暑が続いた、蚊に刺されそうだ、風が強い、という理由で、せっかくの妻からの外出の誘いをことごとく断り続けて、今日に至っている。外に出て、遠くを見て、風を肌で感じ、色々な刺激を受けたい、とは思うが、そこに至るまでの準備の大変さや道中に息苦しくなった記憶を鑑みると尻込みしてしまう。

今月の29日、三男の授業参観に出席することが当面の目標だが、決まった時間に準備して外出するのは困難なんだよなあ。

2024年10月23日(水)

一日の大半を寝台の上で過ごしている。しかし、一日の平均睡眠時間は4時間弱だ。最近は消灯11時で起床が7時半なので、4時間半くらいは布団の中で悶々としている。以前はこの時間が恐怖そのものだったが、今は呼吸器の警告音やアヒルの鳴き声や歯軋りによって誰かが助けに来てくれるという安心感がある。たまに寝返りのタイミングがうまくいって6時間眠れることもあるが、次の日は全く眠気が来ないので良かれ悪かれだ。

疲れて泥のように眠っていた昔はよかった。


追伸)YouTubeでダンプ松本引退試合を視聴した。ドラマ「極悪女王」でも同じ場面があったが、その再現度に驚くとともに本物の迫力と情念のぶつかり合いに感動した。

2024年10月24日(木)

外出して来た。天気がよかった。区役所敷地内の公園で過ごしていた。突然、息苦しくなった。酸素飽和度を測った。通常は97以上だが、今回は92だ。その場で痰吸引することになった。吸引器を持参して来たが、先端に付けるビニール製の管が見当たらない。それを聞いてますます苦しくなった。急いで家に帰ろうとした。妻が宅浪中の次男に電話して、その管を持ってくるように頼んだ。中間地点で合流して痰吸引を行った。幸いにも酸素飽和度は95まで回復した。今回はこれで打ち止めかと思っていたら、妻はせっかく準備したのだからアパートの敷地内で日光浴をしようと言った。俺は同意した。それから一時間くらい日光浴をして、家に帰った。息苦しくて終始仏頂面の俺だったが、心の中では妻と次男に感謝していた。

2024年10月25日(金)

次男の髪型が変わった。妻によると次男は近所の美容室に行ったとのことだ。実は俺も同じ美容室を利用していた。その店名はシンデレラ美容室、内装も外観も店名と同様に野暮ったく、主人兼美容師と助手1名、カット用の椅子は二台、予約なしで入っても30分以上待たされることがない、こじんまりとした美容室だ。

今のアパートに引っ越したのが17年前、それから11年通い続けた常連だが、初めて入店したときの印象は最悪だった。何しろ、美容師が散髪中に携帯電話で話し出すし、落としたハサミをそのまま使うし、それまで通った理髪店や美容室では起こらなかったことが起こった。ただし、仕上がりは良かった。過程より結果が重要、その価値観に従ったが故に通い続けることになった。

5月に外出したとき、偶然、その美容師と遭遇した。妻は俺の病気を説明して、その美容師は何か言ったが、俺には聞こえなかった。場所はアパート敷地の出入り口で緩やかな上り坂になっていた。彼女は車椅子の後ろに立ち、妻とともに車椅子を押し始めた。

懐かしいな、あの美容室でも椅子の後ろに立って髪を切ってもらったんだ、眼鏡を外して髪を切るので鏡越しに彼女の顔を見れないのも同じだ、と束の間のシンデレラ気分を味わった。

2024年10月26日(土)

毎年この時期になると慶州月光歩行大会を思い出す。慶州は新羅(紀元前57-975)の首都で、宮殿、寺院、古墳などの遺跡を有する韓国を代表する観光地である。

大会は夕方に出発、市内の名所を巡る全長66kmのコースが舞台で、終着点の締め切り時間が翌朝の正午、月光を浴びながら野山を歩き続ける、ロマンチックであり、苛酷な催しである。


次回に続く。

2024年10月27日(日)

大会の参加者の集合場所は市内の陸上競技場だった。そのトラックを埋め尽くしている人々の人数は五千を超えそうだ。参加者を表すワッペンを渡され、出発の合図が鳴り、人の波が動き出した。

川沿いの歩道を夕陽を眺めながら歩くと気分が高揚して来る。「一時間で4kmのペースで行けば時間内に完走できそうだ」と余裕しゃくしゃくだった。普門リゾートに入ったあたりで疲れを感じ始める、時刻は午後11時、出発地からの距離は20kmである。

舗装されながらかな山道が続いた。街灯も民家もない、月明かりを頼りに歩いていると、この大会の意図と意義が視覚化された気分になる。前日に2時間サッカーしていたことが祟って、足の筋肉のあちこちが痛み始める。時刻は午前4時、出発地からの距離は35kmである。

次回に続く。

2024年10月28日(月)

一人で参加していたわけではない。山登りの類の行事よりサッカーに全力投球したい、山登りは嫌いじゃない、しかし突然の便意に備えとなるトイレが確保されてないと不安だ、という心理が働いて自ら山登りを企画することはない。今回はCJS博士の熱心な誘いがあったが故に参加したのだ。CJS博士の背後には、数学科の先輩教授で環論と登山の専門家で、CJS博士の指導教授であるHC教授がいた。数学科に同期赴任したJIH教授と俺はHC教授、CJS博士に誘われるまま、断れぬまま山行歴を重ねていった。
CJS博士は自分の体力に見合った20kmコースでのエントリーなので35km地点以降には上記の3名が残っている。山道が終わり、明るくなり始めた午前6時、44km地点に休憩所が設けられ、朝食が提供されていた。俺は貪るように飯を頬張り汁物を胃袋にかきこんだ。すると睡魔に襲われ体が鉛のように重くなった。HC教授は「もう行かなきゃいけない」と腰を上げた。俺はとどめを刺されたような気分になった。立ち去るHC教授を追いかける気力は残っておらず、おそらくは同じ気持ちを共有していたであろうJIH教授と目が合うと「もう無理だ。ここで棄権する」という言葉が飛び出した。そこからJIH教授の車が停めてある出発地までバスの送迎サービスがあることも作用したのかもしれない。JIH教授も棄権することになった。

完走は出来なかったが、この大会の以前と以後で山登りを通して苦楽を共にした4人の歴史として積み重なる良い思い出となっている。もしかしたら、それこそがHC教授とCJSが熱心に若手教員を山登りに誘っていた理由で、山登りの魅力の一つなのかもしれない。

2024年10月29日(火)

三男の通う小学校の授業参観に行ってきた。俺が通っていた小学校とは時代も場所も違うことはわかっている。そのことを踏まえて色々な違いを書き留めておく。車椅子用のスロープが設置されている、保護者は土足で校内に入れる、エレベーターが設置されている、教室の正面上に国旗が掲揚されている、大型電子スクリーンが設置されている、学級の児童数は25名くらい。

参観したのは歴史の授業で児童たちは班ごとに分かれて発表していた。児童たちは総じて緊張した面持ちで発表していたのに三男はニコニコというかヘラヘラというか終始笑いながら発表していた。恥ずかしかったのだろうか、父兄が来て嬉しかったのだろうか、帰って来たら聞いてみよう。

2024年10月30日(水)

ALSを発症したばかりの頃、ネット検索を繰り返し自分の将来を憂いていた。なにしろ5年以内に寝たきりになって呼吸器を付けて延命か死を選ぶか、なんてことが書いてあるのだ。自分はリハビリを懸命にやってその時を遅らせてやる、病気の進行は個人差が激しいと書いてあるじゃないか、まだ手足は十分に動く、俺だけは例外だ、と思っていた。その願望も虚しく発病から四年後に胃瘻を付け、その半年後には呼吸器を付けて延命していた。それまでは、先人のツイッター(当時はXではなかった)やブログをよく見ていたが、呼吸器装着を境に先人たちの書き物と距離を置くようになった。自分のことで精一杯だったし、自分の未来を覗き見るようで気が滅入るし、他の患者から頼りにされたとき返信できなくなる危惧、が主な理由だ。

次回に続く。

2024年10月31日(木)

現在、患者として峠を越えた状態の俺は視線入力という強力な援軍を得て、上記の理由が全て解消されるに至った。そこで、「ALS ブログ」で検索してみたところ、ヒットしたのは写真で日々の様子を綴ったものと更新頻度が低いものばかりで、以前活躍していた有名人のブログにはたどり着けなかった。

探し方が悪かったのだろうか。今はSNSが中心でブログとかは流行っていないのだろうか。もしかしたら、俺がエアマウス時代末期に陥ったように発信するのに疲れ果てたのか。

俺は先人たちから情報を得ていたし、負けないように発信していかなければという気概を持っていた。返信が出来るようになった今、これまで避けていたALS患者との交流を再開したいと思った。

2024年11月1日(金)

視線入力中に突然焦点がふらついて固定できなくなる状態に陥ることがよくある。理由は不明だが、首の向きを微調整すると正常に戻る。問題は独力では解決できないことだ。

思えば、視線入力のお試し体験のときも同じ現象が起きた。妻に代わってもらうと妻は俺が苦労してもできなかった作業をいとも簡単にやってしまった。俺は視線入力の適性がない、もう諦めようと思った。しかし、それは思い違いだった。

全国のALS患者で視線入力を導入してない方に言いたい。視線入力は俺でもできる、他の意思伝達装置より永く使えるし有利な点が多い、試してみる価値は十分にある、と。

2024年11月2日(土)

我が故郷である大村市に私営バス会社を作る計画を立ててみた。

  1.   世界に先駆けて自動運転バスの商業運行を目指す。法整備も含めて2030年までの設立を目標とする。やはり世界初というのは夢があるし、資本金も集まりやすい。人口が中規模で運転マナーが良いとされる大村は実験するのに適している。
  2.  国道34号線を基本路線として、松原と医療センター間の往復で黒字化を実現する。従来のバスは便数も少ないし、大村駅近くのバスセンターを経由するのでそれを跨いだ目的地に行くとき時間がかかるという問題があった。
  3.  顔認証技術で料金を回収。キャッシュレスを実現すると共に乗降時の時間短縮に繋げる。電子決済に疎い方々には後日請求書を送って回収。
  4.  停留所は人が集まりやすい商業施設や病院の近くに配置する。例えば、八幡丸、郡中、かとりストア、ドンキホーテ、パールレーン、農協、大波止、市役所、大村高校、医療センター。
  5.  携帯電話と停留所の電子掲示板で運行状況や目的地までの到着予定時間がわかるようにする。
  6. 30分に一台運行として、一往復の乗客数が200人、平均300円の料金、午前6時から午後9時までの営業で計算すると、1日の売上げが180万円、一ヶ月の売上げは5400万円、広告費も見込めるので、月6000万円の売上げで、運行費用が2000万かかるとして、残りは4000万円。ということは平均給与40万円で100人が雇える。

2024年11月3日(日)

103万円の壁を巡って世間が騒がしい。物価も上がったのだから壁を引き上げてほしいという声が高まる一方で、そうすると税収減を招き社会保障費を賄いきれなくなるらしい。103万円を越えた額に比例して所得税を連続的に課税すれば働く意欲を損なわず税収もそこまで減らないと思うのだが、それは素人の思い付きなのだろうか。調べてみると、扶養控除や社会保険料の関係で様々な額の壁があるらしい。おそらく、財務省で働いている優秀な官僚は対案や新しい税制を提示できるはずなんだよね(知らんけど)。でも、それが国会で通ると、税収は減るし、仕事は増えるはで、一つもいいことが無さそうだ。政局にも繋がるこの問題がどのように解決されるのか興味深い。

2024年11月4日(月)

日曜日の朝、耳が聞こえなくなった。正確に言うと、つば吸引の音が口と耳の中で響き渡り外部の音が聞こえにくくなった。妻から話しかけられても内容がわからないので返答に窮した。外部の出来事が自分の意思とは無関係に流れていく、そんな感覚、母方の祖母と義母が耳が遠かったのを思い出し、その心情を擬似体験しているかのようでもあった。

寝たきり生活を続けていると耳に通ずる器官に水がたまり難聴気味になりやすいと聞いていた。いつものように座れば治るという読みもあった。しかし、朝食を入れてオンライン礼拝が終わる正午まで待つ必要があった。

目論見通り、座って一時間が経った頃、耳の中でバリバリという音がして正常な状態に戻った。

寝たきりで変化に乏しい生活だと自分でも思うが、心の動きは存在している。

2024年11月5日(火)


「年の離れた姉妹、というより叔母さんと姪に見える」通りがかりで朝ドラを目にした妻が口にしたつぶやきだ。ドラマの中での姉妹の年齢は24と15、役者の実年齢は35と25だから、的確な指摘ではある。

妻は優しい顔立ちだが、それとは裏腹に芸能人に対してのコメントは厳しい。

2024年11月6日(水)

NHKのドラマ「宙わたる教室」を批判してみた。

1) 定時制高校の科学部が学会の高校生コンペで優秀賞を受賞した事実を元にした小説をドラマ化したものらしい。

2) 第1話の視聴率は2%台らしい。

3) 小林虎ノ介の演技が良い。キャラがブレないのがいい。

4) 回を重ねるごとに人間関係が広がっていく楽しみがある。

5) 脚本がしっかりしていると役者も生きるし感情移入しやすいことがわかった。

2024年11月7日(木)


闇バイトによる強盗事件が相次いでいる。当初は「強盗したら捕まるだろう。何故、そんなに割りに合わないことをするかなあ」と思っていた。しかし、逮捕されるのは実行犯ばかりで首謀者はおろか指示役さえも特定できない状況だ。しかも、実行犯の仕事は細分化されていて、指示役に個人情報を握られて脅されて犯行に及んでいる。

このことは反社会的勢力でない一般市民でも自らの痕跡を残すことなく闇バイトを雇って大金を得ることができるということを意味する。例えば、高校生が金欲しさに闇バイトの募集を企てたりできるということだし、暴力団が闇バイト犯罪集団を組織化することもできるということだ。

闇バイトの募集は俺でもアクセスできるような公共の場に掲示されているらしい。おとり捜査とかいたずらメールを送って募集活動を妨害するとか、警察や警察に協力するNPO団体を組織して対策を模索するべきではなかろうか。

2024年11月8日(金)

長女の誕生日にLINEでメッセージを送った。長女からの返事は「感動した。…」だった。

2024年11月9日(土)

本欄でも度々登場する酸素飽和度、今回はその計測器(パルスオキシメーター)に関して綴ってみよう。

コロナ禍で大々的に報道されたので御存知の方も多いだろう。ホッチキスのような形状で指を挟むだけで脈拍と血中の酸素濃度を測れる器機だ。ChatGPTによると、血液中のへモグラビンが酸素と結びつく割合が酸素飽和度で、赤外線の照射によって体を傷つけることなしに測定出来るそうだ。これは医療界では革新的な発明らしい。

俺も痰が詰まるたび、息苦しくなるたびに使用している、安全確保に不可欠なアイテムと化している。正常であれば95~99の酸素飽和度が90未満になると危険水域であり、何らかの対処が求められる。

そういえば、気管切開前の三年前、あの時も計測器に命を救われたのだった。

次回に続く。

2024年11月10日(日)

2021年12月某日、その日の午後は大学に退職願を提出、BSJ教授の訪問の予定があった。午前中、パソコンを操作するためにソファに座っていた。「いつもと違う。頭がぼーっとするし、そこはかとなく息苦しい」と心の中でつぶやいた。その不安の原因が喉の奥で蠢いていた。痰である。その痰を巻き上げるだけの筋力は残ってなかった。そのまま待っていても事態は好転しない。どころか、痰の量が増え、その分だけ呼吸ができない。慌てて妻を呼んだ。外出の準備で忙しいと言う妻を「そばに居て」と呼び止めた。不審に思った妻は酸素飽和度を測り始めた。計測器の液晶画面はオレンジ色に光り、89の文字が点灯している。それまで決して現れなかった数字に狼狽したのだろう。妻は「救急車を呼ぼう」と言い出した。俺は呼吸苦に打ち勝つ自信がなく、涙目で妻に同意した。


次回に続く。

2024年11月11日(月)

救急隊がやって来た。なすがままにストレッチャーに載せられ、エレベーター内では垂直に近い角度に立てられ、救急車内部に入るときにはストレッチャーの脚が折れ曲がり、滑車に連結されるようになっている。苦しみながらも「よくできているなあ」と思った。付き添うのは妻だ。病院に行く間、酸素注入と吸引がなされ、呼吸苦から解放された。病院に着くと、コロナ検査を受けるように指示され、別室で検査結果を待って、俺も妻も陰性だったので、晴れて病院内の救命室に入ることができた。

次回に続く。

追伸) NHKのドラマ「団地のふたり」最終回で出てきた二人紅白歌合戦がキレキレだった。もう見れないのが残念でならない。

2024年11月12日(火)

治療も何もないまま時間だけが過ぎた。しばらくして現れたのは医師で、彼女は気管切開手術を受けるように勧めてきた。後日、妻は声を失った俺を憐れんで「何故、あの時手術を受けたのか。他の選択肢はなかったのか」と後悔していたが、結果的に医師の「このまま退院させては次の呼吸困難が起こったときに生命の危険がある」という判断は極めて適切だった。大村の医療センターの医師なら、マニュアル通り「気管切開して延命するかどうかをご家族と相談した上で決めてください」と言っただろう。マニュアルを越えた人道的進言が俺の命を救ったと言っても過言ではない。


次回に続く。


追伸)CJK、LUM夫妻が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年11月13日(水)

麻酔の後、目覚めたら手術は終わっていた。多くの医師、看護師、患者が往来する部屋の寝台に寝かされていた。どうやら、喉に穴が空いているようだ。声は失われた。息をするときは鼻を経由しないので、臭いが嗅げない。不思議だったのは呼吸器なしでも自家呼吸できることだった。困ったことは助けを呼べないことだった。病院の寝台は硬い。寝台に接する部位が痛んだ。足の位置を変えれば解消するのになあと思えど、誰かがやって来るわけでもなく、通りすぎるだけだ。俺は精一杯の悲しい顔を作り、往来する人々にアピールしたが、視線を合わせてくれる人は居なかった。


そうやってどれほど時間が経ったのだろうか。心配そうな表情で現れた妻は正に救世主だった。


次回に続く。

2024年11月14日(木)

入院生活が始まった。気管切開後、人工呼吸器を装着した。医師によると、苦しくなければ呼吸器は外しているのが望ましいとのことで、いささか拍子抜けした。妻が吸引と喉周辺の衛生管理についての講義を受けた。気管切開の最大の利点は痰吸引しやすくなることだ。口から気道まで吸引チューブを入れる作業には専門性が必要になる。一方で、気管切開された状態だと、気管にチューブを差し入れるだけなので、容易であり、痰吸引できる人員の確保に苦労することはない。一方で、その代償として、声を失うことと24時間体制の介護が必要となる。

次回に続く。

2024年11月15日(金)

24時間体制の介護と言われると、介護する側が患者を凝視し続け異変を見逃さないようにしていると思いがちだが、実際は、というか俺の場合は異なる。誰かが自宅にいて、俺だけが自宅にいる状態を作らないという意味では24時間体制なのだが、介護者は別室で好きなことが出来るし、夜寝るときも全員眠りについている。ただし、痰吸引等の用事があるときには俺がアヒルのおもちゃを鳴らして家族の誰かが駆けつけるようになっている。


退院するときも救急車で自宅に帰った。それから、家族と声を失った俺との擦り合わせ作業が始まり現在に至っている。

2024年11月16日(土)

サッカーワールドカップ最終予選の日本対インドネシアを観戦した。

インドネシア現地の盛り上がりに驚いた。五輪予選でも準決勝で韓国を破っているし、今回の最終予選でもサウジアラビアとオーストラリアに引き分けている。やはり代表チームの奮闘はその国のサッカー環境を激変させる力を秘めている。日本がこれまで辿ってきた道でもある。30年後にインドネシアがワールドカップ常連国になることも十分あり得る。

試合序盤はインドネシアの守備の頑張りが目立った。雨、アウェイの雰囲気、守備の綻び、インドネシアが番狂わせを起こす気配が漂っていたが、次第に日本のパスが繋がり始め、インドネシアの前線からの守備意欲を削ぐように守備ラインと三苫との安全なパス交換がなされた。ずいぶんと中央がゆるくなっているな、こんなにボランチが余裕を持ってボールを受ける試合は珍しいなあ、と思っていたら先制点が入った。

最終スコアは4対0、日本の予選突破はほぼ確実となった。守田と鎌田が良かった。

2024年11月17日(日)

NHKの「のど自慢」を見て閃いた。のど自慢では45分間に20組の出演者の歌とインタビュー、2組のゲスト歌手のフルコーラスの歌という構成になっている。これは驚異的だ。カラオケボックスで大人数の宴会を行うとき、一時間で10曲くらいが限界だろう。しかし、のど自慢では鐘という強制終了装置によって上記の構成を実現している。もし宴会で特定の個人が鐘の権限を握り、鐘一つの強制終了を繰り返したら、宴会の雰囲気はよくないだろう。そこで提案したいのがAIによる鐘とインタビューである。のど自慢のフォーマットは全国津々浦々に知られているので、鐘一つでも笑顔でインタビューに応じ「おじいちゃん、長生きしてね」というコメントで締め括れば場の雰囲気も盛り上がるに違いない。

歌が短すぎるという指摘には設定を変えて1分以上とかサビの部分が過ぎてから終了というようにすれば解決されるだろう。スナックでは大勢の客がさばけるし、一体感も生まれるし、大助かりだと思うのだが、いかがなものであろうか。

2024年11月18日(月)

兵庫県知事選挙で現職の斎藤元彦氏が当選した。2ヶ月前、NHKのニュースやヤフーの引用記事ではパワハラ疑惑の極悪人として報道されていたし、県会議員の全員が解任要求に賛成して、斎藤氏の支持母体であった日本維新の会からも辞任を求められ、正に四面楚歌の状況で迎えた知事選だった。

当選後、ネットニュースを見ると、「オールドメディアが敗北した歴史的な選挙」みたいな感じで、パワハラなどなかったかのように斎藤氏の改革と有権者の意識の高さが称賛されている。

俺は「口、ポカーン」という感じで、何が正しくて何が間違っているのかの判断に自信が持てなくなった。メディアが人々を操るのは造作もないことだ、かと言って、ネット情報が正しいとはいえない、客観的事実のみを抽出して自らの判断を下す、というのも容易ではなさそうだ。

2024年11月19日(火)

103万円の壁に関する与党案提出のために自民、公明両党による協議が開かれるらしい。

ここで財務省の「税収減を最小限にとどめたい」という圧力に屈し、国民民主党案の「壁を178万円に引き上げる」を下回る案を提出すれば、国民民主党は納得しないし、与党の支持率は回復しないだろう。かと言って、178万円で提出すると国民民主党の手柄になり、これまた支持率上昇には繋らないだろう。

だとすれば、答えは一つ、「178万円を越える額、例えば200万円に壁を引き上げる」案を提出するのである。

「それはちょっとやりすぎだろう。税収減を補う財源があるのか」という批判が野党とマスコミから押し寄せるのは織り込み済みで、すかさずダチョウ倶楽部の定番ギャグのように手の平を返して、主導権を委ねれば壁の額は落ち着くべきところに落ち着くのではなかろうか。

2024年11月20日(水)

NHKのクローズアップ現代で医療事故が同じ医師によって繰り返されることを問題視して、その原因の一つが地方における医師の人手不足があるという話だった。

以前にも書いたが、日本医師会はオンライン診療の普及を推進するべきだと思う。患者側は病院に行く費用、時間、手間を省略できるし、医師側は診療所経営のリスクを軽減できる。何より離島などの僻地に住む人々に多大な恩恵をもたらすはずだ。それでは採血などの検査ができない、重病が見逃されるかもしれない、という批判が出てくるだろう。しかし、それはオンライン診療を利用する側が判断すればいいこと、風邪をひいて処方箋だけもらいたいとき、経過観察で問診だけで終わりそうなとき、はオンライン診療で済ませ、重病が疑われるときは病院に行って検査を受ければいい。

そうすると、診療所の需要が減るだろうから、その分の人材を外科などの手術を生業とする職種に誘導して、労働時間の削減を図り、給与面でも優遇して更なるシフトを促せばいい。

実は韓国も同じ問題を抱えていて、ユン大統領が二千人の増員を医学部に命じた所、医学部教授の反発とストライキに遭い、国会議員選挙で与党が敗北したことを受け、増員計画は頓挫してしまった。

日本ではデジタルトランスフォーメーションが叫ばれているが、既得権益の崩壊に繋がりかねないオンライン診療は俎上にも乗っていない状況だ。

日韓両国とも医師側は強大な力を有しているようだ。




2024年11月21日(木)


11月某日、或る男の誕生日。

アイスケーキにロウソクがともされ「センイル、チュカハムニダ」と韓国語でのハッピーバースデーの大合唱が始まった。すかさず、或る男の妻が「日本語で歌おう」と言い出し、歌い直すと、長男が「英語じゃないか」と突っ込みを入れた。

そう言われたら、改良が得意で洋楽を「あちち、あちち」と魔改造したこともある日本人が何も手を加えなかったという事例は稀有ではないかと思った。

2024年11月22日(金)

サッカーにおいてオフサイドの判定は時に勝敗を左右するほど重要だ。近年、テクノロジーの導入によって、ミリ単位でオフサイドの位置にいるかどうかが解析できるようになった。足が一歩だけ出ていたとか、胸がほんの少しだけ守備選手の後ろに出ていた、という解析結果の映像を見た人も多いだろう。それを見るたびに思うのが、「数年前ならオフサイドじゃなかったよなあ。むしろオフサイドだったら物議を醸すよなあ。そもそも肉眼でミリ単位の判定が出来るわけない。数年前までは主審の主観に委ねられていたということか」である。

テクノロジーの導入によって公平性が担保されたことは喜ばしい。しかし、肉眼で判定できないというのはサッカーのスポーツとしての欠陥性を示していると思う。

次回に続く。

2024年11月23日(土)

草サッカーならば、オフサイド無しかあからさまな場合以外はオンサイドにするのが一般的だ。あからさまの定義が問題になることもあるが、そこはサッカー経験者もしくはその集団で政治力がある者の判断に委ねられる。

オフサイドを廃止したらどうなるかをChatGPTに聞いてみた。ラインディフェンスやゾーンプレスのようなオフサイドルールを前提とした戦術は使えなくなる。ゴール前に人が密集する展開になりがちで、その分、中盤がスカスカになり、見る側の好みが分かれる試合展開になるそうだ。

個人的にはオフサイドルールは廃止してもいいと思う。というか、オフサイド無しのワールドカップを見てみたいぞ。その場合、専門技能に特化した選手を揃えられる国が有利だろうから、フランスとイングランドかとも思うが、ドリブルで突進してフリーキック奪取という戦術もあるからブラジルとアルゼンチンかな、攻め急がないでひたすらパスを繋ぎまくるスペインか。結局、現行のルールでの強豪国が勝ち上がりそうな気がするなあ。

2024年11月24日(日)

実家に帰省するたびに会っていた友人の訃報が入ったのが一昨日の夜、昨日はお通夜、今日は葬儀、ただただ悲しい。

2024年11月25日(月)

俺の母校は富の原小学校だが、心の母校は五年生まで通った竹松小学校だ。雨の日も風の日も雪の日も1.5kmの通学路を歩いて登下校して来た。

夏の暑い日の下校時、児童たちは涼を求めて通学路途中に位置する竹松住民センターに立ち寄った。そこはキンキンに冷房が効いていて、冷水器があり、児童向けの図書室がある、正に砂漠の中のオアシスだった。

俺が四年生の時、将棋に興味を持ち始めた頃、住民センターの図書室には、「将棋入門」と「次の一手」が置いてあった。それらを借りに列に並ぶのは俺だけではなかった。貸出カードを見ると、どうやら俺以外に二人の将棋愛好家がいるようだ。そのうちの一人がKYだった。

次回に続く。

2024年11月26日(火)

KYの顔の輪郭は下ぶくれというか、なす型というか、良く言えばムーミン、悪く言えばカバに似ていた。そのため、KYの仇名は「カバ」で愛称は「カバちゃん」だった。本人も不満な様子はなく、その呼び方を受け入れていた。ちなみに俺はKYの名字を呼び捨てにして、KYは俺の名前を呼び捨てにした。

五年生になるとKYと同じクラスになった。お互いの家に遊びに行き将棋を指す仲になった。ただし、女子の親友にありがちなどこに行っても何をするのも一緒という関係ではなかった。俺もKYも自分の領域があったし、全方位的にクラスの男子と付き合っていた。全部がそうとは言えないが、野郎の付き合いは大体そんなものだ。

次回に続く。

2024年11月27日(水)

KYは農家の末っ子だ。大家族で育つ過程で鍛えられたのだろうか、大人と対等に対峙してユーモアを交えて会話する術を身につけていた。無口な長男だった俺にはKYの話術が驚異的な特殊能力に見えた。

KYの性格は何事にも動じないというか、かなりマイペースな所があった。家に遊びに来た時、KYが俺の漫画本を読みふけって止まらなくなったのは一度二度ではなかった。俺の「せっかく遊びに来たのにそれはないだろう」という心の叫びが虚しく響いた。さすがに、度が過ぎるときは注意するようになったが、知り合って間もない時期には大いに戸惑った。

次回に続く。

2024年11月28日(木)

中学に入るとKYと将棋を指すことはなくなった。俺が強くなりすぎたからだ。お互い部活で忙しかったが、たまに会うときはバドミントン等の運動に興じた。ちなみに運動音痴を努力で補っていた俺に対し、KYは天性の俊敏性と運動神経を有していた。

高校に入ると、俺は柔道部、KYは山岳部に入った。部室が隣だったのと柔道部の同級生の一人が山岳部のユルい雰囲気に憧れていたために、部同士の交流もしばしばあって、ロードワークの日には合同で同じコースを走って競い合った。そんなある日、ロードワーク終了後、大村公園に行こうとなった。山岳部の連中は石垣をロープなどの安全装置無しで登り出す、灯油を霧吹きして火を吹く、という大道芸を繰り出し、マウントを取ってきた。柔道部も負けてはならないと提案されたのが部対抗のひまわり合戦だった。誰がどう見ても柔道部の有利は明らかだった。なにしろ平均体重に大きな差があり、普段から押したり引いたりの動作を練習しているのだ。しかし、開戦の火蓋が切られると、その予想は音を立てて崩れていった。その立役者がKYだった。持ち前のスピードを生かしてひまわりの花びら部分の陣地を進め、時にはひまわりの種の部分で待ち構える柔道部の重量級の猛者共に体当たりを喰らわせその反動を利用して陣地を進める、という離れ技を演じた。
その日以来、KYは事あるたびに語り継がれる伝説となった。

次回に続く。

2024年11月29日(金)

大学に入ると、車の運転免許を取得し た。お盆と正月は実家に帰省して、同級生との旧交を温めるのが常だ。金がない大学生が夜遅くまで遊ぼうとすると必然的に車でのドライブになる。KYに電話すると、やはりKYはドライブを提案して来た。KYは知り合いから譲ってもらったという廃車寸前の車を駆っていた。その車で迎えに来てもらい夜のドライブが始まった。

ちょっとそこまでのつもりが気がついたら遠方に着いて帰宅時間が深夜になることは往々にして起こり得る。この日もその例に漏れず、長時間のドライブ後、深夜3時頃にやっと見慣れた国道が現れた。ふと車が4車線の左中央に寄り始めた。俺は「飛行機の滑走路みたいだな。トップガンみたいでテンション上がるなあ」と歓声を上げた。間もなく、車は2車線の中央線に寄り始めた。俺は「深夜で他の車は見当たらない。とはいえ、中央線越えはさすがに危険だろう」と考え、肘で運転席のKYを小突いた。するとKYは「ごめん、寝とった(寝てたの方言)」と言った。

この出来事は事あるごとに、KYをからかうネタとして使うことになる。


次回に続く。

2024年11月30日(土)

KYは山岳部だけあって自然現象に詳しかった。夏のある夜、KYに勧められるまま五ヶ原岳の展望台に実家の車を走らせた。KYが言うには「今日は流星群が大量に飛来する日なんだ」らしいのだ。俺はそれまで流星群などは見たことも聞いたこともなかったので、「どうせ流れ星が数回観測されるだけだろう」と思っていたが、その予想は見事に覆された。東西だか南北だかわからないけど、空の両端と中空を結ぶ軌道に流星が時に複数個が連なって流れて行き、その壮大な天体ショーは飽きて帰路につくまで途切れることがなかった。度肝を抜かれた俺は数学科の同級生を連れて五ヶ原岳に案内したが、星は一個も流れず、流星群が希少な自然現象であることを身を持って知った。

俺は大学に入る前までスキーをやったことがなかったし、興味もなかった。教養部キャンパスで乱立するテニスサークルと同様に男女交際を目的としたチャラいスポーツの代表格に位置するのがスキーという認識だった。しかし、半ば強引に富山でスキーをさせられてからはその認識が大いに変わった。先ずリフトで山の上に行けるのがいい。次に雲の上を浮遊しているような爽快感はスキーならではだ。そのことに気付いたのは数学科の卒業旅行で二回目のスキー体験でボーゲンを卒業してからだ。俺はスキー未経験のKYを車中泊二泊の弾丸スキーツアーに誘った。驚くべきことにKYは初日でボーゲンを卒業して、パラレルとはいかないまでも、ターンを自由自在にこなしていた。バランス系の競技にKYは滅法強かった。


次回に続く。

2024年12月1日(日)

俺は1998年4月から一年間イスラエルに仕事で滞在していた。その年の年末、KYから「遊びに来るからよろしく」というメールが来た。KYは長崎大学経済学部を卒業後大村市役所に就職していた。確か一年目か二年目だったはず、それなのに師走の忙しい時期によく休みが取れるなあと思った記憶がある。

俺の心配をよそにKYは小学校からの同級生のTと共にエルサレム空港に降り立った。ちょうど同じ時期に大学院の後輩のSもイスラエルに遊びに来ていた。確か、KY、T、Sも初めての海外旅行だったはずだ。いくら俺という知り合いがいるとは言え、ハードル高すぎるんじゃないのと思った記憶がある。イスラエルに入国するとき半端ない時間の入国審査が課せられる。

俺の場合もホスト教授からの招待状を見せても納得してもらえず、スーツケースを開けるように命じられ、下着まで確認されてやっと通過できた。

英語ができない彼らの行く末を案じていたが、案の定彼らは到着予定時間よりはるかに遅い時間に入国ゲートに現れ、その顔は憔悴しきっていた。その表情が俺を見つけた瞬間、安堵を伴った笑顔に変わるのもかつての俺と同じだった。俺は長時間空港で待たされたことは忘れ、久しく話してなかった日本語を話せる喜びに溢れた表情を浮かべていたはずだ。


次回に続く。

2024年12月2日(月)

俺の下宿先をベースキャンプにしてのイスラエル観光が始まった。俺が普段往来しているRanaana の目抜き通りでさえ、彼らにとっては観光地だった。俺が半年前に経験した感動を彼らが時間差で受けている様子だった。「銃を抱えた女性がやたら多いなあ。白亜の家が並ぶ地域は高級住宅街かな。柔らかな日差しのもとでオープンテラスでくつろぐ時間は最高だ。スーパーに入るときでも金属探知機をくぐらなきゃいけないのか。グレープフルーツとかトマトとかパンパンに張っていて見るからに美味そうだ」みたいな感想もかつての俺が感じたことだった。

下宿の周辺を案内した翌日、日本人同学年四人組は北部に位置するガラリア湖に向かった。湖畔の野外レストランでワインを飲みながら名物のセントピーターフィッシュを四人で食した。座はかなり盛り上がって、店員さんとの写真撮影とかの観光地あるあるを観光客気分丸出しで楽しんだ。

次回に続く。


追伸)CYJ教授が御夫人と息子さんを連れて見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年12月3日(火)

一行はエルサレムに向かった。旧市街を歩き回った翌日、俺は仕事があったので、残り三人の自由行動の日とした。日付は12月24日、キリスト教圏では祝日だが、ユダヤ教を国教とするイスラエルでは平日だった。不在だったので詳細は定かではないが、彼らはキリスト生誕の地であるべツレヘムに赴き、キリスト教のミサを見学して来たそうだ。べツレヘムはパレスチナ自治区で、俺も足を踏み入れたことがない領域だ。ガイドブックに載っている観光地とはいえ、英語が心許ない海外旅行初心者の彼らには荷が重いはず、どんな思考回路で行こうと思ったか尋ねると「KYの言う通りにしたらとんでもないことになった」という声がTとSから上がった。当のKYは涼しい顔で中東風の布を頭に被り、葉巻を燻らせていた。

その翌日、一行はエルサレムからバスで3時間かかる死海に向かった。中東とは言え、12月は冬であり、肌寒い。ところがKYは死海に飛び込み、お約束の死海に浮かびながら新聞を読むポーズでの写真を撮影させた。

死海からの帰りのバスの時間が合わず、非正規の乗り合いバスで狭谷と砂漠を眺めながら帰路についた。その翌日、TとKYは日本に帰り、俺とSはシナイ半島に向かって南下した。


次回に続く。

2024年12月4日(水)

2001年6月、俺は婚約者(もちろん現在の妻)を連れて大村を訪れた。その目的は実家の家族に彼女を紹介して結婚式の日取りを決めることだった。その当時、彼女は日本語を話せなかったし、今回が初めての海外旅行だった。俺の家族との対面を果たした翌日、俺はおにぎりやアボカドサンドを作ってピクニックに行く計画を立てた。KYに電話すると、即座に話がまとまり、KYの交際相手のY(現在のKYの妻ではない)を呼ぶことになった。俺もKYも交際相手を紹介するのはその日が初めてだった。俺ら4人は一台の車に乗り込み目的地である「いこいの森」に向かった。驚いたのはKYとYのコミュニケーション能力だった。共通言語がないのにも関わらず彼女をキョンキョンと呼ぶなどして融和を図っていた。後日、妻はその日を回想して「初めてできた日本人の友達だったからね。有り難かったし、とても楽しかった」と語っている。

ピクニックの後、KYの提案で蛍を見に行くことになった。それまで俺は蛍の実物を見たことがなかった。テレビで見る蛍は清流の向こう岸に数匹が光を放ちながら移動して暗闇に消えていく類のものだった。せっかく足を運んでも一匹も現れず徒労に終わることも十分起こり得る。俺はさしたる期待もせず案内されるまま駐車場から水辺までの道を駆け上がった。そこにはすでに大勢の人が待機していて、日没寸前の夕日を眺めていた。辺りが闇に沈むと、ムックリと何かが光りながら飛び交い始めた。光りの正体はもちろん蛍だ。問題はその個体数である。数匹レベルではなかった、大量発生という言葉が相応しいほどあちこちで群舞していた。感動していたのは俺だけではなかったはずだ。喩えて言うなら、サッカーなど見たことがないと言うカップルがワールドカップカタール大会決勝アルゼンチン対フランスを現地会場で生観戦するようなものだ。

蛍たちに祝福されて俺と婚約者はその翌月結婚式を挙げる。ちなみにKYの結婚式はその十年後である。


次回に続く。


追伸)昨晩、非常戒厳が宣言され、兵役中の長男は招集された。もし釜山で市民デモが起こり、軍と市民が衝突ということになれば、暴動を鎮圧するために上官の命令に従い長男は発砲したかもしれない。何事も起こらなくて本当によかった。



2024年12月5日(木)

俺はお盆と正月に妻子を連れて帰省していた。猛暑と極寒で幼子を連れての外出には不向きな時期だ。そのためKYと会うときは専ら実家の洋間で菓子パーティーか実家の庭で七輪バーベキューだった。

2011年、KYが10歳年下の女性Fさんと結婚した。その約10年後、待望のKY夫妻の第一子が産まれた。この時俺はALSの症状が進み、釜山にいた。KY夫妻の慶事に心踊ると共に「よかったなあ、KY」という思いが湧いてきた。その2年後、KY夫妻の第二子が誕生した。KYのデレデレした顔が浮かんだ。この時俺はエアマウス時代末期でメッセージを送れる状態ではなかった。俺の母にKYの子供たちを紹介している写真を見て、「幸せいっぱいだなあ、KY」と信じて疑わなかった。

KYの訃報が共通の友人YRからのLINEメッセージで送られてきた。KYに何が起こったのか、どんな最後だったのか、謎のままだ。視線入力を導入してから何度も連絡する機会はあったのに全て後回しにしたことが悔やまれる。KYに

「遺されたFさんとお前の子供はどうすればいいのか」

「たまには友人を頼ってくれよ」

「生きてさえいれば、いくらでも這い上がれるのに」

「お前は大馬鹿野郎だ。そう言われて悔しかったら言い返してみろ」

と伝えたい。しかし、どこからも返事は返って来ない。



2024年12月6日(金)

ユン大統領が非常戒厳を宣言したとき、軍のトップが「大統領、それはさすがにまずいんじゃないでしょうか?」と意見を言うのは越権で、粛々と命令に従うのがあるべき姿なのだろう。そうでなければ文民統制は維持できないし、軍のトップが最高権力の座に就く余地を与えてしまう。

如何に民主主義を標榜しても民主主義を国是とする教育を受けていても、軍隊だけは民主主義とは対極に位置する上官の命令は絶対という主義で動いている、なる事実を確認した三日間だった。


追伸)緒形直人と言えばドラマ「予備校ブギ」の浜辺で海に向かって先生役の田中美佐子に告白するシーンが印象的すぎて、俺の頭に刷り込まれていたが、朝ドラマ「おむすび」では緒形拳を彷彿させる渋いおじさんを演じていて、その対比に驚いた。

2024年12月7日(土)

明日のUFC310のフライ級タイトルマッチが楽しみだ。

2024年12月8日(日)

負けた。ショックが大きすぎる。

2024年12月9日(月)

俺の生活は様々な工夫で成り立っている。

以前は股間の痒みが頻発し、手が動かない俺は我慢して痒みに耐えるか、抗ヒスタミン薬を処方してもらう、の二択だった。しかし、円筒形の枕を脚に挟むという工夫によって股間の痒みは激減した。おそらく、風通しが良くなり、蒸れなくなったのが理由だろう。


次回に続く。

2024年12月10日(火)

つば吸引チューブは生活必需品だ。これが何かのはずみ、例えば、欠伸で外れると、唾液が垂れ流しになり、枕を濡らすことになる。夜、家族が寝静まったときにこれが起きると、「たかがつばくらいで起こすのも何だしな」という心理が働いて、かと言って、溢れ出るつばを止める術もない。

転機は新型コロナにかかり病院に搬送されたときに訪れた。入院を覚悟して、つば吸引器を持参して救急車に乗ったのだが、軽症であったため廊下で隔離されて明け方に救急車で自宅に戻ることになった。その間、マスクを着用していたのだが一度もつば吸引チューブが外れることはなかった。気付いたのはそのときだ、就寝時にマスクを着用すれば前述の問題が解決するのでは、ということに。幸いに、気管切開後人工呼吸器を付けているので、マスク着用時に息苦しさを感じることもない。

これが奏功し、以前よりもはるかに安眠する時間が長くなった。


次回に続く。

2024年12月11日(水)

以前、本欄にて「右の耳が聞こえにくい」と書いた。それから治ってまた聞こえにくくなる生活だったが、最近はよく聞こえる毎日を送っている。その工夫が何かと言うと妻が事あるごとに鼻吸引をしてくれることに他ならない。おそらく、耳と鼻は繋がっていて鼻水が滞留すると耳に影響を及ぼすものと思われる。


次回に続く。

2024年12月12日(木)

気管切開前は仰向けに寝ると息苦しくなった。そのため就寝時は常に横向きになっていた。その名残りで丈の高いふわふわの枕を使用していた。気管切開後、仰向けに寝れるようになった。逆に横向きに寝るのがしんどくなった。ある日の健康番組で「高い枕は頚椎を圧迫し不眠の原因になる」と言っていた。「そう言われてみれば確かに首が苦しくなる」と思っているのを見透かされたかのように妻が「今日は枕を変えてみる?」と聞いてきた。何事にも変化を好まない俺だったが、その日ばかりは魔法がかかったかのように妻の提案を受け入れた。

偶然かもしれないが、その日はよく眠れた。以降、就寝時にはバスタオルを折り畳んだ丈の低い枕を使用している。


追伸)竜王戦第六局を藤井が制し、竜王戦四連覇を達成した。敗れた佐々木の健闘も称えたい。

追追伸)ユン大統領の今日の演説は非常戒厳を宣言するときに語るべき内容だった。

2024年12月13日(金)

政治改革関連のニュースを見て、ある疑問が湧いてきた。それは「日本の政治家がインスタライブで投げ銭を受け取るのは合法なのか?」ということだ。インスタライブが政治活動ならば、寄付である投げ銭は政治資金と見なされるだろう。そうなると収支報告書が必要になり、一定金額以上の投げ銭には記名が必要になるはずだ、知らんけど。

条件を満たせば合法となれば、政治家はパーティーなんか開かずとも十分な額の政治資金をSNSを利用したライブ活動で集めることができるのではなかろうか?たとえ知名度がない政治家でも選挙区に根ざした陳情を熱心に聞いてあげるあるいは聞いたふりをすればおのずと資金は集まるものだ。ライブ方式にも工夫を凝らして、メッセージボードを逐次印刷して紙に書いた文章として残せば陳情のしがいも出てくるだろう。

有能な秘書やブレーンを雇うにはそれなりの資金が必要になるものだ。政治資金を規制することばかりを考えるのではなく、集まった潤沢な資金を有効に使ってくれと思うのは俺だけであろうか。


2024年12月14日(土)

1984年はポップス史における特別な年らしい。俺が中学生になった年でもある。誰もが背伸びして自分を大きく見せたがろうとする年代だ。小学校時代のスクールカーストがリセットされる絶好の機会だ。そこで尊敬を得る手段は腕力でも知力でもなくセンスだった。制服姿で会う日常なので、私服でファッションセンスを競うのは割に合わない。髪型や変形学生服で競うのも校則リスクや上級生から睨まれるリスクを伴う。そうなると「どんな音楽を聴いているか」は重要な指標となるのは想像に難くない。


次回に続く。

2024年12月15日(日)

見栄っ張りの俺は「果たしてどんな音楽を聴けばセンスが良いと言われるのか」を考えた。テレビで流されている情報、例えばベストテンやトップテンのような音楽番組では差別化できない。その当時はアイドル全盛時代で、稚拙な歌唱力で売れ線の楽曲を歌う作られた偶像のファンだと公言することが憚られる雰囲気があった。しかし、クラシック音楽は自宅にステレオはおろか一枚のクラシック音楽のレコードもない家庭環境では諦めるほかない。そこで目をつけたのが洋楽だった。

俺はラジオの前で聴き耳を立てて、土曜日の13時から始まる洋楽ヒットチャートの気に入った曲をエアチェックすることから始めた。

次回に続く。

2024年12月16日(月)

俺は見栄っ張りなだけで音楽に詳しいわけでもなく情熱を燃やすというわけでもない。英語の歌詞を聴いてもサビの部分が空耳で聞こえるだけだ。かと言って、聞きたくもないのに無理矢理ラジオを聴いているというわけでもなかった。その頃の洋楽はメロディーに溢れていた(ような気がする)。きっかけはデュランデュランの「リフレックス」、カルチャークラブの「カーマは気まぐれ」、シンディーローパーの「ガールズジャスト‥‥」だった。この年はマドンナの知名度が爆発的に上昇した年で、マイケルジャクソンが「スリラー」のプロモーションビデオを出して視覚でも音楽を楽しむ時代の先駆けとなっていた。映画のサントラも「ゴーストバスターズ」、「ネバーエンディングストーリー」、「フットルース」という充実ぶりだった。ワムも「ケアレスウィスパー」に続いて「ウェイクミーアップ…」、「フリーダム」、「ラストクリスマス」をリリースして全盛期だったし、スターシップの「セーラ」、クイーンの「ラジオガガ」が出て円熟期を迎えていた。忘れてはいけないのがスティービーワンダーで一連の名曲を出し始めたのがこの年だった。グロリアエステファンの「コンガ」も耳に残っているし、ボンジョビもこの年から売れ始めたし、シンディーローパーも「シーバップ」、「タイムアフタータイム」を出して全盛期だった。

思い付くだけでもこれだけ多くの現代でも語り継がれるスーパースターと名曲の数々が競合していたのが1984年なのだ。偶然にもこの年から洋楽を聴き始めた俺だが、それは幸運な出来事だったと心から思う。

2024年12月17日(火)

三菱UFJ銀行の行員が貸金庫から十数億円相当の金品を窃盗した問題に対する銀行側の謝罪会見が報道されていた。いくつかの疑問が生じたので以下で列挙してみた。

  1. 犯人は40代の女性行員で、懲戒免職されたそうだ。実名は公表されたのだろうか?
  2.  防犯カメラが設置されていたが、誰かが確認する体制がなかったらしい。そういう防犯システムは防犯の専門業者に委託するものではなかろうか?
  3. 被害者ヘの補償や慰謝料は支払われるのだろうか?
  4.  他の銀行の貸金庫はどうなんだろう?
  5.  大手の一流銀行とは言え、結構いい加減だなと思った。

2024年12月18日(水)

ETV特集の再放送で優生保護法の経緯が紹介されていた。優生保護法とは障害者や精神疾患者に強制不妊手術を施すことを奨励する法律だ。この悪魔的国家犯罪とも言える法律は法の下の平等を謳った現憲法が施行されてからの国会で全会一致で成立した。以降、2万5千人に強制不妊手術が施された。この間、被害者とその家族は風聞や差別を恐れ被害の声を上げられずに生きてきたという。

遵法精神という言葉があるが、その遵法精神のために医師も何の疑問も抱かずに手術を遂行できたのだろう。被害者も「法として定められているから」という理由で明らかな差別を受け入れたのだろう。

我々は法治社会に生き、その恩恵も十分に受けているとは思うが、「この法律はおかしい」と疑いの目で見ること、それを大衆に偏りなく知らせるメディアの役割は重要だと改めて思った。

2024年12月19日(木)

次男が友達四人を連れて旅行に行くそうだ。時期は1月下旬、場所は大村周辺、釜山から福岡までの交通手段はフェリー、宿泊は俺の実家、贅沢はしない貧乏旅行らしい。

ちなみに五人での旅行は不便なことが多い。タクシー一台では移動できないし、電車や食堂の座席も四人掛けが基本だし、四人だったら上手くいくのになあと思うことが多い。

さて、旅行慣れしているとは到底思えない次男のためにフェリーが午前6時に博多埠頭に到着してからの過ごし方を指南してみる。

  1. Wifiが繋がっているかを確認。
  2.  西鉄バスで天神まで移動。料金は誰かがまとめて払い後で清算する。あらかじめ交通カードを購入しておくと尚良い。
  3.  天神地下街のコインロッカーに全員の大きな荷物を預ける。鍵は厳重に管理。
  4.  身軽になってコンビニで朝食。卵サンドが美味しいらしい、知らんけど。無難なのはおにぎり。
  5. 天神バスセンターまで徒歩で移動。午後5時台の大村インター行きの切符を予約。回数券を購入。到着予定時間を実家に連絡。
  6.  天気が良かったら、警固公園、中央公園を巡って中洲周辺を見物。天気が悪かったら美術館や博物館に行く。
  7.  昼食は事前に調べた店で食べる。デザートはデパ地下で思い思いのものを購入。地下鉄で大濠公園に行って野外で食べる。
  8.  残りの時間は買い物に当てる。
  9.  実家では夕食が準備されているはずなのでお腹を減らしておく。

2024年12月20日(金)

103万円の壁を巡っての自民、公明、国民民主の三党の攻防を見て、大相撲の貴景勝と熱海富士が千秋楽で優勝をかけて戦った取り組みを思い出した。真っ向勝負を期待していた観客を裏切るかのように大関で先輩でもある貴景勝が立ち合いで変化して勝利した。その中継の解説者は「変化について行けない熱海富士が悪い」と前置きした上で「大関は優勝と引き換えに大切な何かを失ってしまった」と貴景勝を酷評していた。


壁は123万円に引き上げられたが、三党合意の「178万円を目指す」には程遠い上げ幅だ。国民民主が来年度予算案への協力撤回を盾に抗議するも教育費無償化を予算案に盛り込むことを条件に協力を申し出た維新の横槍で三党合意は骨抜きになりそうな勢いだ。


次回に続く。

2024年12月21日(土)

壁の引き上げは単なる減税ではなく人手不足を解消し最低賃金や物価の上昇幅に見合う所得の引き上げを狙った経済対策で、国民の期待も高まっていた。それに冷水を浴びせるような与党の決定が残念でならない。たとえ赤字国債を刷ることになろうと大衆迎合と揶揄されても国民民主の一人勝ちであっても、与党には「国民が動けば政治は変わる」という夢を見せて欲しかった。


予算と引き換えに失った大切な何かの代償は来年の国政選挙に反映されるだろう。


追伸)次男と旅行に行く友達は三人だった。

2024年12月22日(日)

KBSで韓国版のど自慢を視聴した。仕様が異なるので単純な比較はできないが、のど自慢に参加していた韓国の歌い手は日本のプロ歌手水準の歌唱力と娯楽性を有していた。音程やリズムや声量などの声楽的な歌唱力もさることながら、観衆に訴える力がすごいと思った。

韓国でカラオケに行くと、みんな歌が上手いし、盛り上げ方を知っているもんな。正直、歌のうまさにおいて日韓には圧倒的な差があるという印象だ。

NHKののど自慢は下手な人やステージに慣れてない人が一生懸命歌うから面白いんだよなあ。一緒に見ていた妻は「日本と韓国との違いが明白に現れている事例だ」と評していた。


追伸) PJR博士が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年12月23日(月)

名作と言われる「カムカムエブリバディ」の再放送を見ていて、少々気になったことがあった。以下でそれらを書き留めておく。

  1. 稔の戦死までの脚本は完璧に近い出来だった。
  2. 稔の戦死後、勇が安子に金を渡して家から出て行くように促すのだが、安子のためを思っての行動とは思えない。いくら姑にいびられようが、お手伝いもいる豪邸で子育てする方が楽と思うのが自然なはず。勇がすべきことは彼の母を諌めることだろう。
  3. 安子が乳飲み子の娘と大阪で暮らし始めるが、三年間、雉眞家と音信不通だったのも不自然だ。いくら安子が拒んでも可愛い孫娘に会いたいという気持ちが勝るはず。
  4.  安子が娘を乗せた自転車を運転している時にオート三輪と衝突する。事故の後、オート三輪の姿はなく負傷した安子と娘だけ残っている。ということは轢き逃げなのだが、それも不自然だし、時代背景を考えるとオート三輪の数は少ないだろうから犯人を特定するのは容易なはず。
  5.  事故の後、安子は立ち上がり気絶するのだが、そんなに長い時間意識がないのも不自然だ。
  6.  娘は額に一生消えない傷を負うのだが、包帯の様子からそんな重症には見えない。

2024年12月24日(火)

今日は長男の兵役出勤最終日だそうだ。よくわからないのだが、兵役終了日は明後日らしい。兵役について賛否両論あるだろうが、長男にとっては良い影響があったと思う。そう言えるのも戦争が起こらなかったこそだ。

2024年12月25日(水)

今日はクリスマス、日本では平日だが韓国では祝日だ。我が家ではクリスマスプレゼントを贈る習慣があったのだがいつの間にかなくなった。小学校五年生の三男はプレゼントがないと不平を言うこともないし、そもそも期待もしていない。

韓国のプロテスタント系の教会では「イエスキリストの誕生日をお祝いする日なのにサンタクロースが主人公になってしまっている」と教えているところも少なくないそうだ。言われてみればその通り、しかし本場の西洋社会ではサンタクロースを前面に出しているような気がするなあ。今度、牧師先生に聞いてみることにしよう。

2024年12月26日(木)

一昨日は38度の熱が出て入院騒ぎになったが、すぐ熱は下がり事なきを得た。


昨日は就寝時に体調不良に陥り妻にそのことを伝えた。妻は俺の額に手を当て脂汗を確認すると「消化不良かも」と診断を下し、電動寝台を折り曲げ俺を座らせた。妻は「夕食の冷凍サバが原因かしら」というと、胃瘻チューブを開放しその先端を寝台下の瓶に突き刺した。妻がチューブをこすると胃液が流れ出し瓶に溜まって行った。妻は瓶に溜まった胃液を俺に見せた。それは茶色で100ccほどだった。しばらく待ってから妻は梅ジュースを持って来て胃瘻に注入した。それから体調が回復するまで妻は寝ずの番をしてくれた。誰か助けを呼べる誰かがいるというのは安心をもたらす、時刻は3時を回っていた。


いつものことながら妻の献身的な介護に感謝したい。

2024年12月27日(金)

除隊した長男、受験が終わって暇そうな次男、仕事もせず寝てばっかりの俺とでNetflix配信ドラマ「イカゲーム2」の1話から3話までを視聴した。イカゲームは漫画「カイジ」に似たサバイバルゲームで、関門ごとに参加者たちの人間模様が浮き彫りになるのがこのドラマの魅力だ。前作の「イカゲーム」では途中退場した場合の分け前はゼロだったが、今回はそのルールが変更になって、脱落者の総数✖1億ウォンを残りの参加者で山分けすることになった。これは重要なルール変更で、命をかけて次のステージに進む合理性と射幸心がどのように描かれるのか興味深い。


次回に続く。

2024年12月28日(土)

同じメンバーで同作品の4話から6話までを視聴した。生き残った者たちの投票(誰が賛成したのか公開される)で全員棄権で賞金山分けか次のゲームに進むかが決まるのだが、棄権派と進出派の分断や抗争が描かれていて、米国の政治情勢をデフォルメしているかのように見えた。


次回に続く。

2024年12月29日(日)

同じメンバーで同作品の7話を視聴した。とにかく人が沢山殺される救いのない終わり方だった。しかも続きは来年の春に配信されるらしい。長男と次男はそのことを嘆いていたが、俺は成人した息子たちと共有する時間が終わったことを嘆いていた。昔は川沿いを走ったりモノポリーをしたり映画を観に行ったりして遊んでいたが、ALSに罹患したことと息子たちの大学受験が重なって三人一緒に何かする機会はなかったんだよなあ。


追伸)NHKスペシャル「量子のもつれ」が面白かった。こういうのを見ると理論物理学者はすごいなと思うし、実験器具作成のための苦労が忍ばれる。

2024年12月30日(月)


韓国では不正選挙疑惑を巡って保守派と進歩派が対立している。一方は「北朝鮮によってサーバーがハッキングされた」と主張し、他方は「それは陰謀論だ」と非難する。両者の議論は噛み合わず、双方が「あいつらは自分が見たい世界しか見えてない」という印象を持ち、ますます分断が深まるという構図だ。


北朝鮮のハッキング技術は世界でもトップクラスと言われる。しかし、選挙日にピンポイントで選挙全体を管理するサーバーに侵入して選挙結果を書き変えることができるのだろうか、そんなことができるのなら韓国のありとあらゆるネットワークが乗っ取られることになるぞ、それは考えにくいからやはり最初の仮定は無理がある、というのが陰謀論だと断罪する根拠だ。


その一方で「陰謀論だ」と断罪することもある種の陰謀論なのである。歴史を紐解くと、各種の公害問題、拉致事件等の「当初は陰謀論と思われていたものが事実だった」事例は枚挙に暇がない。それらは地道な調査と客観的な根拠の積み重ねの上に達成されたことを念頭に置くべきだろう。


そのことを踏まえて、次を提案する。選挙区ごとに出口調査結果を照合して選挙結果と比較する。出口調査は政府機関ではなくマスコミなどの民間企業が担っている。期日前投票の影響等もあり、出口調査が選挙結果と完全に一致する訳ではないが、一致率は90%前後らしい。その気になれば過去の韓国での一致率を算出できるだろう。もし不一致の選挙区が一定数を越えたら不正を疑うべきだと思う。

2024年12月31日(火)

山形で食ったざるそばが非常に美味しかった。それまでは「うどんかそば」と書いてあれば迷うことなくうどんを選んでいたが、それからは地域を考慮するようになった。すなわち、現在地が西日本ならうどん、東日本ならそばという具合だ。なんだか無性に年越しそばを食べたくなったぞ。

2025年1月1日(水)

先月、ブログ運営会社から月額料金を値上げするという通知が来た。6年間書き溜めてきた当ブログの膨大な書き込みを捨てるには忍びない。かと言って、他の無料ブログにそれらを移動する根気も技術もない。結局、運営会社の言いなりになるしかないのだ。それはあまりにも悔しいので次の防衛策を考えてみた: グーグルのブロガー機能でミラーブログを作成していつでも移行できる準備をしておく。


平坂塾の活動を停止してから四年が経つ。平坂塾を宣伝して塾生を集め収益を上げるという事業計画はとうの昔に崩れ去っている。書き続けている理由は自己満足と知り合いに近況を伝えるために他ならない。そういった状況では課金し続ける意義が全く感じられない。現行の方式では日付を直接入力しなきゃならないし、テーマ別の振り分けができないし、記事ごとのURL指定ができないし、それ故に外部に拡散してほしい記事のリンクが貼りにくい。更に俺が突然死した場合、無料ブログなら記事は残るが、現行方式ではクレジットカードの期限が過ぎて課金されなくなるとURL自体が消滅してしまう。これだけ不便なのに課金してまでやる必要があるのかという憤りだ。


昨年、「今年の目標は視線入力」と公言していたら実現した。それにあやかって「今年の目標は無料ブログに移行してアクセス数を十倍にする」ことを宣言しておく。


例えば、先月の30日付けの記事は広く知られてほしい記事だ。その記事の韓国語に訳したものとURLを誰かが(例えば、妻が)有名な掲示板に貼り付ける。それがどこかのインフルエンサーの目に止まり、リポストを繰り返し拡散されていく、なんてことが起こるといいなあ。



追伸)昨日、長男がスポンジからイチゴの生クリームケーキを作った。見事な出来映えで「才能あるんじゃない?」と言うと「レシピ通り作っただけだよ」と謙遜していた。

2025年1月2日(木)

70代の男性が餅を喉に詰まらせて死亡したというニュースが報道されていた。昔の俺は「餅が喉に詰まるなんてどこのギャグ漫画だよ」と「バナナの皮に滑って転ぶ」ほど実生活ではありえない話だと思っていた。しかし、今の俺は凶器と呼んでいいほどの餅の危険性を実感できる。飲み込む力が弱くなった老人の気道にあんなに粘り気があって飲み込みにくく吐き出しにくいものが絡みついている様子を想像すると、身の毛がよだつし、餅を食べるという行為が自殺行為にしか見えない。


その一方で、七輪で丁寧に満遍なく焼いてパンパンに膨れ上がった餅を海苔で巻いて醤油に浸して食べる美味しさは格別だからなあ。その誘惑に抗えない気持ちもわかる。


追伸)めったに芸能人を褒めない(というか、貶してばかりの)妻が紅白歌合戦での橋本環奈の司会の上手さに感心していた。

2025年1月3日(金)

トランプ氏は関税を引き上げると宣言している。選挙期間中には製造業で働く労働者の保護を訴えていた。それを聞いたとき「おかしいな。小さな政府と自由市場経済を推進する共和党の代表とは思えない発言だぞ」というモヤモヤが消えなかった。その疑問が昨晩に放送されたNHKスペシャルを視聴したあとに氷解した。


インタビューで出てきたのが、「トランプ氏は関税引き上げをチラつかせてより自由な貿易を実現しようとしている」らしいのだ。更にイーロンマスク氏が「政府機関の無駄を大幅に削減する」と言い、IT関連会社の経営者たちが「バイデン政権時代の規制は経済発展の足枷になっている」と言い、「中国に対抗するには世界中から優秀なIT技術者を集める」必要がある」を受けて「アメリカの大学を卒業したら永住権を付与する」計画を明かされる、という具合に超共和党と言うべき振り切り方なのだ。


要するに、民主党支持層が多い先端産業従事者をリストラしてIT業界の再編と競争を促し、彼らを馬車馬のように働いてもらい、共和党支持層の多いオールドエコノミー従事者を支えるという構図なのだ。民主党政権下だったら薔薇色の余生を送れたはずなのに、そんなことを考えると分断が進むのもさもありなんだ。


超大国の米国の花形産業でも安住は許されず競争を強いられる。その事実に驚くとともに「日本は逆立ちしても追いつけないな。公務員のリストラも移民の受け入れも自動運転実現のための法整備のような規制緩和も不可能に近いもんなあ」と思った。

2025年1月4日(土)

夜中に目が覚めた。今年は西暦2025年、ふと素因数分解したい誘惑に駆られた。

2025=5*405=5*5*81=5*5*3*3*3*3=45*45

なんと2025は平方数なのだ。俺は感動にうち震えた。その前は44*44=1936年、その次は46*46=2116年、ということは、俺の人生で訪れる唯一の平方数年である可能性が極めて高いのだ。この世紀の発見を皆と分かちあいたい、なんちゃって。


追伸)昨日の21時に放送された新春特番はWさんの作品だろうか?

2025年1月5日(日)

本欄は最新の投稿が最下部に表示される。これは本欄に初めて訪れた人が時系列順に読んでもらうことを狙っての設定だった。しかし、毎日訪れる人にとっては最新の投稿を読むために長くスクロールしなければならないという欠点があった。これを解消すべく、現在準備中のミラーブログでは最新の投稿が最上部に現れるように設定している。尚、本欄の設定はそのままである。

そのミラーブログのURLは以下の通りだ。

https://hirasakajuku.blogspot.com/

変わった点は読者からのコメント欄が追加されたことだ。読者の皆様からの忌憚なき感想や批評をお待ちしております。日本語でも韓国語でも英語でも構いません。いただいたコメントは誠心誠意をもって拝読します。ただし、原則としていただいたコメントにコメント欄で返信することはありません。これは一本の投稿をタイピングするのに手一杯という事情から来るものです。一日、3本以下のコメントならばコメントごとに返信可能ですが、それより増えて、例えば十本くらいになると対応できないし、一部のコメントのみに返信するのも葛藤を抱えそうです。このような理由でコメント欄は「放置」が基本で、公序良俗に反すると思われるコメント以外は削除しません。

2025年1月6日(月)

九州は男尊女卑が根強く残っているらしい。日本の他地域に住んだことがないので比較できないし、時代と共に変化するものなので 一概には言えないが、俺の体験に限って言えば、確かにその傾向はあるように思われる。


例えば、俺にとって正月はおせち料理をたらふく食べて、炬燵に寝そべりテレビを見て過ごすのが定番だった。その間、母と祖母は料理の準備、配膳、片付け、皿洗いに追われていたはずだ。ところが、俺、弟、父は何の感謝もなく当たり前のようにその待遇を享受していた。小学生のときは、フォークダンスで女子の手を握るのが嫌で小指同士で手を繋いでいたし、女子に邪険な態度を取るのがかっこいいという謎の文化があった。これを真に受けた俺は「お前ん家、鏡ないだろ。お前のブス顔が映ったら鏡が割れるからな」みたいなことを同級生の女子に言っていた。思春期になってからは別世界の住人という感じで、男尊女卑という概念は消え去った。


よく言われることだが、九州の女は他人の前では夫を立てて慎ましく振る舞うが、家庭の実権を握っているのは嫁だそうだ。これも個人差がある話だし、一概には言えないが、個人的体験に限って言えば当たっているような気がする。おそらく、幼い頃は父の真似をして男尊女卑に傾くものの分別がつく年齢になると権力の在処に気付き是正されるのではなかろうか。


我が家はどうなのという疑問が聞こえてきそうだが、その件に関してはノーコメントを貫くことにする。

2025年1月7日(火)

今から35年前、俺は受験生だった。受験で思い出すのは原秀則作の漫画「冬物語」だ。主人公の森川光は滑り止めの八千代商科大学にも落ちて浪人した後に合格したのが同大学のみという現実に直面する。


それは漫画だけの話ではなかった。団塊の世代ジュニアと呼ばれる俺の年代は常に競争に晒されてきた。受験はその際たるもので、光のように浪人しても志望校が遠のくことはよくあった。だからこそ光に自分の姿を重ね合わせて共感を呼んだのだろう。光は片想いもすれば恋もする。その葛藤で勉強に身が入ったり入らなかったりする。俺が冬物語を読んだのは大学に入ってからだが、光の心理描写は心に刺さった。


話の展開として、俺の受験での苦労話が出てきそうなのだが、年を重ねたこともあり、むしろ楽しい思い出として記憶されている。冬物語の舞台は東京の予備校だったが、俺は地方の進学校の高校三年生だった。受験という同じ目標に向かって収束するも受験が終わったらそれぞれの進路に発散していき、もう二度と戻ることはない刹那的な空間を同級生たちと共有したことは忘れ難い思い出となっている。


何が言いたいのか自分でもわからなくなった。冬物語を読み返して、俺がどう感じるか試したいと思う反面、そっとしておいた方がいいような気もする。


追伸)講演開始時間の午前と午後を間違えた。

2025年1月8日(水)

ヤフーニュースで家族性ALSに罹患した人が紹介されていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1b6ed185c013b90d5ff4b6fd8d01f252b8647948?page=1

この記事によると二分の一の確率で遺伝するらしい。俺の親族にはALSのような運動神経病にかかった人は居ない。だから俺のALSは孤発性だと思っていた。しかし、それは「家族性でない」ことの証明にはならない。遺伝子検査を受ければすっきりするのだが、万が一でも家族性という結果が出たときのことを考えると怖くてできない。何故ならウチの子供たちが心理的影響を受け、彼らの人生を萎縮させてしまうのではないかと恐れるからだ。


上記の記事の人は28歳で発病し、それから6年経った今でも歩行が可能で教員の仕事もフルタイムでこなしているそうだ。いけないことだとわかってはいてもついつい自分と比較してしまう。俺は診断から一年で歩けなくなり話せなくなった。その一方で俺が発病したのは46歳で4人の子供が産まれた後だった。家族性ALSということでの人生における葛藤は凄まじいものだろうと想像する。現在は合唱部の顧問で生きがいに満ちた生活だろうけど、その生きがいがなくなる日が確実にやって来る。それどころか、食事、排便、呼吸という生きるために必要不可欠な動作が損なわれ、一人では何もできない生活が待っている。


俺も含めALSの先人たちはそんな右肩下がりの人生を経て今を生きている。俺がこの人に伝えたいことは「生きてさえいればなんとかなる。胃瘻と人工呼吸器を付けても、まだ六割の残存機能がある。視線入力で人生が変わる」ということだ。


追伸)ミラーブログにコメントが来た。ありがたいなあ。

2025年1月9日(木)

中学まで国語は得意科目だったが、高校から苦手科目になった。その理由は単純で、勉強してなかったのと国語の授業を昼寝の時間に当てていたからだ。他人のせいにしたくはないのだが、いや正直に他人のせいにしたいのだが、高校の国語の先生は人格者だったが授業が面白くなかった。中一の時の国語の先生は最高だった。文学作品の見逃してしまいそうな一言が解釈の幅の大小を与えることを学んだ。次点は中三の時の先生、「小諸なる古城の畔」と音読することで情感が高まり詩を深く理解できることを学んだ。高校の授業は受験に特化しているわけでもなく、文学作品の楽しみ方や感動を伝えるものでもなく、ただ退屈だった。


国語が苦手だったから言うのではないのだが、いや正直苦手だから言うのだが、200点満点の国語の試験でその半分を古文漢文が占めるのはいかがなものだろうか。何十年も続いていることなので皆当たり前のように思ってしまいがちだが、受験科目やセンター試験は大学で講義を聴いて理解できる能力の有無を問う試験のはずだ。古文漢文は教養であり音楽やスポーツのように大学での専攻にしようとする人が学べばいいのであって、それを全員に課すというのは狂気の沙汰だと思う。この批判は数学を始めとする理系科目には当てはまらない。何故ならそれらは全世界で学ばれる学問の共通語だからだ。


百歩譲っても古文漢文の点数配分を四分の一以下に縮小すべきだと思う。そうすれば帰国子女や留学生の進路が広がるし、何より受験生の負担の軽減に繋がり、余力を他の科目に向けることができる。


現代文の設問にも文句があるが、まだ考えがまとまっておらずまたの機会に持ち越すことにする。

2025年1月10日(金)

高校では世界史を選択した。覚えることが多すぎて受験科目としての負担は大きかった。しかし、その選択に一片の後悔はない。その理由の一つが世界史担当のH先生の名講義だ。「虞や、虞や」の名調子で始まる虞美人草の逸話、フランス革命の話で高々と歌い上げられる「ラマルセイユエーズ」のように長年に渡って繰り返されたであろう伝家の宝刀が炸裂する様を授業ごとに目にすることができた。H先生が自慢気に語っていた「お前らの一年上のMは授業ごとにテープレコーダーで録音して私の授業を繰り返し聴いていたんだよ」の話も納得の豊富な知識量に裏打ちされた圧巻の授業内容だった。


もうひとつの理由は間接的に「歴史は史料という証拠をもって形成される。その史料を管理できる側、すなわち勝者が歴史を作る。なぜ全世界的に西暦を使っているのか?経度の基点はどこなのか?学問の世界で英語が共通語である理由」を知ることができたことだ。ローマ人が水道橋を建設し公衆浴場で風呂に入っていた時、日本は弥生時代で縦穴式住居に住んでいた。卑屈になっているのではなく、客観的に世界と日本の歴史を比較することができた。


ただ歴史を学ぶのは楽しいけれど、香港、ミャンマー、チベット、ウイグル、アフガニスタン、ウクライナ、パレスチナ、スーダンで起こっていることに絶望的に無力だ。それは世界史に限ったことではないけれど。


H先生は現代をどのように捉え批評されるのだろうか。録音したテープがあったら聞いてみたいものだ。

2025年1月11日(土)

無料ブログヘの移行は着々と進んでいる。現在使用中の有料ブログの編集機能は非常に不便であることがわかった。日付が自動で表示されないし、数式を含んでいると正しく表示されないし、編集画面が一定時間を過ぎると消失してしまうし、記事ごとのURLの選別がされないし、「本当に有料?」と疑いたくなるほど使い勝手が悪い。


今回は初の試みとしてミラーブログにのみ新しい記事を投稿する。それは日本ALS協会長崎県支部の会報誌に寄稿した文章で、昨年本欄に投稿した内容を加筆修正している。以下のリンクをご参照ください。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_11.html

2025年1月12日(日)

医療用AIの開発に政府が着手するらしい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4da20253a8ad28740a0eaf7252059dfb95a68260


見出しだけを見て、「ついにこの日が来たか」と思ったが、本文を読んでがっかりした。先ず、予算が200億円というのは少なすぎる。GAFAM級の大企業なら普通に二兆円くらいは積んで来そうな案件なのに、膨れ上がった医療費を大幅に削減できるかもしれない国家事業の予算がたったの200億円とは、怒りを通り越して悲しくなる水準だ。


しかも、実用化されるのは数年後らしい。この案件が実用化されれば日本国内だけでなく全世界的な需要を有する。雛形を作って一早く公開すれば、流通する過程で改良が進み標準規格になるかもしれないのに、数年後とは。せめて「一年以内の実用化を目指して」と言うだけ言って本気の度合いを示してほしかった。


結局、既得権を守りたい某国の医師で構成される組織は本腰を入れないだろうし、彼らの意に背く政策は頓挫するようにできているのかなと勘繰りたくなる。200億円が医師の診断をサポートする指南役に代わるだけで、オンライン診療とAI診療による医療費削減や需要のある医療分野ヘの人材の移動は起きないのだろうな。


近い将来、各個人の診療履歴や薬の服用履歴や各種の検査結果や遺伝情報などが厳重なセキュリティの下でデータベース化され、症状に応じて検査が決まり検査結果の提出後、AIが処方箋を出したり、大病院での再検査の指示を出したりする日が来るかもしれない。でも、そうなったらそうなったで「昔の方がよかった」と思うかもしれない。

2025年1月13日(月)

ミラーブログに俺の顔写真をアップロードしている。あれでも妻に「最近の写真で一番よく撮れているものを送って」と頼んだ選りすぐりの一枚なのだ。以前であれば、あのような呼吸器を付けていかにもALS患者然りの写真を公開したいとは思わなかった。その辺りの心境の変化を分析していこう。


ALSに罹患してから「弱っていく自分の姿を晒して同情を買う」ようなことはしたくなかった。ブログでは正直な気持ちを綴っていたが、お涙頂戴一辺倒の展開になるのを避けてきたし、今でもそれは心掛けている。その一方で、減衰していく体の機能と増大していく妻の介護負担と「家族を養っていかなければ」という責任感と減っていくだけの貯金と思うようにいかない現実との狭間にいた俺は、「呼吸器装着して延命するより、この世からいなくなることが家族のためになるのではなかろうか」と本気で考えるようになった。


転機が訪れたのは胃瘻と人工呼吸器を付けるようになってからだ。体の機能の衰えは緩やかになり、介護負担も家族で分担することと対処の工夫を共有して積み上げることで慣れが生じるようになった。年金も日韓両国から入るようになり、月々食べていけるほどの経済状況になった。そうなると、生きることが家族を養うことになり、生きる理由になった。


自己肯定感の高まりと共にパソコンの操作は不便になった。その間、言いたいことが言えないストレスが溜まり続けていたが、視線入力の導入はそれらを解き放った。だからこその「視線入力時代」であり、より多くのALS患者にこの変化を伝えたいと思い、ミラーブログの拡散を目指すことにしたというわけだ。


追伸)豊昇龍が強くなっている。

2025年1月14日(火)

毎日、まとまった内容をブログに書くのはしんどい。ミラーブログを始める前は小分けにして余裕を確保したり、一行で済ませたり、と気ままに書くことができたが、記事ごとにURLが生成されるミラーブログの特性もあって、それはやりにくくなった。


それで考えたのが、過去の投稿で反響が大きかったものをミラーブログでシングルカットすることだ。今日は塩日記の次の投稿を公開することにする。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_14.html



追伸)二十歳未満の喫煙と飲酒は違法だが、罰則はない。大学生の喫煙や飲酒は容認されている一方で、影響力のある芸能人やスポーツ選手は所属団体から厳罰に処せられる。現状に合うように法律を改正しようとする動きはないのだろうか。

2025年1月15日(火)

朝、まだ目覚め切っておらず虚ろな視線が中空を彷徨っていたそのとき、妻が何やら叫ぶやいなやテレビをつけた。画面には韓国大統領の公邸へ繋がる道路に多数の警察官が押し寄せている様子が映されている。妻によると、「ユン大統領を拘束しに来た⚪❌▲※♯(聞きとれず)」だそうだ。しばらく中継を見ていたが、わからないことだらけだ。後に妻か長男が解説してくれることを期待して以下に書き記す。

1)警察庁のトップの人事権は行政の長である大統領側にあったはず。それなのに何故拘束しようとするのか?

2)野党の共に民主党は国会では優位なのは理解できるが、行政に影響を及ぼすことができる理由がわからない。

3)大統領の支持率の変化にはどのような心理が働いているのだろうか?

4)公邸の近くにVOLVOの建物があるのは何故だろうか?


ミラーブログ(もはやミラーと呼ぶのが憚られるが)では昨年の韓国政治に関する投稿をシングルカットしている。


追伸)「カムカムエブリバディ」の安子は娘を捨てて米国に旅立つのだが、その理由が「Ihate you」というのは納得がいかない。何十年も音信不通というのも不自然。親友を通して様子を伺うとか手段はあったはず。

2025年1月16日(木)

今まで気付かなかったけど、ふるさと納税って地方創生に一役も二役もかっている素晴らしい制度だと思う。通常は住民票がある自治体Aに住民税を納めるが、ふるさと納税は自己負担金二千円で応援したい自治体Bヘの納税を可能にし、自治体Aヘの住民税は控除される。この制度が世界的に見てもユニークな点は自治体Bが返礼品を贈ることである。


2008年に立法化されたこの制度は現在では返礼品目当ての納税が幅を利かせるようになり、ひいては自治体間の競争を生み返礼品市場を活性化させている。その結果、地方の特産品が全国にアピールされ、地方経済と地域行政が活性化されている。地方自治体の職員は工夫次第で莫大な税収を得ることができることを学び、住民サービスを向上させる意欲に満ち溢れているはずだ。


こんなにうまくいく制度を発案した人は誰だろうか?検索すると、発案者は当時の福井県知事の西川誠一氏で、創設者は当時の総務大臣の菅義偉氏と出てきた。


他の国、例えば韓国も導入してみてはどうだろうか。

追伸)大関3人が全敗、横綱は不戦敗。なんか興醒めなんだよなあ。

2025年1月17日(金)

1月19日から6週間の停戦合意がイスラエルとハマスによって結ばれた。この期間に人質とイスラエルに収監されているパレスチナ人の解放が段階的に行われるそうだ。釈然としない何かが心の中で渦巻いている。


先ず、ハマスはガザ地区を実効支配しているが、パレスチナ人の民意を代表しているわけではないということだ。2006年に選挙で躍進して政権を取ったハマスだが、その後民意を問う総選挙は実施されてないそうだ。つまり、イスラエルに先制攻撃を仕掛けたハマスに対する報復がパレスチナ人全員に向けられているのだ。


次に、あれだけ空爆と地上侵攻を繰り返しても未だに人質の収容場所が特定できないことに疑問を感じる。諜報員とか捕虜に自白させるとかモサドならお手のものだと思うのだが。


最後に200人の人質は戻って来るかもしれないが、殺された四万六千人は永久に戻って来ないということだ。ガザ地区に住むパレスチナ人は二重の意味で人質になっている。命の価値は同じはずなのに、現実にはこれだけの開きがあるのだ。


追伸)CJR教授が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2025年1月18日(土)

父は母子家庭で育った。父の父親が戦死したからだ。父の母親(俺の祖母)は農家に生まれるも畑仕事を嫌っていた。乳飲み子を抱えた祖母は一念発起して教員免許を取得し、長崎県教委に採用され、内地勤務の後に対馬に赴任した。その間に祖母の再婚話もちらほらあったらしいが、父が猛反対したために祖母は未亡人を貫くことになる。異動が少なく給料も高いという理由で祖母は聾学校に異動を申し出た。その結果、思春期を対馬で過ごした父は大村高校に転校してきた。父は中央大学に進学した。東京の私立大学に一人息子を送ることは財産を持たない祖母にとって経済面での負担は軽くはなかったであろう。父は大学卒業後どういうわけか大村に戻り祖母と一緒に暮らす選択をする。高度経済成長の真っ只中、東京にも長崎にも待遇の良い会社は多数存在したはずなのに父は祖母が斡旋した長崎県福祉協議会という職場に就職した。祖母は聾学校の同僚だった母を気に入り父と見合いさせた。見合いは成功し、結婚後、俺が産まれた。祖母はローンを組んで土地を購入し一軒家を建てた。


自立を重んじる母に甘えられなかった俺は父にじゃれついた。チビで腕力もなく運動音痴の幼少期の俺にとって長身で町内のバレーボールやソフトボール大会で主力として活躍する父はヒーローそのものだった。その潮目が変わったのは俺が小四だった頃だ。将棋で父に連戦連勝するようになった。後でわかったことだが、父は生活費を家庭に入れてなかった。つまり、母は自分の給料で光熱費、食費、養育費を賄い、父の安月給は飲み食いとパチンコに消えていったということだ。父の名誉のために付け加えると、俺と弟の大学での学費と生活費は父が積み立てた。父は食卓でも寝床でも煙草を吹かすヘビースモーカーだった。母方の親戚の集まりに行けば空気の読めない息子自慢と「この子は世間知らず」の決めセリフで、祖母、父、母の三つ巴の権力構造がわかる年齢になってからは、文字通り父は煙たい存在に変わっていった。


俺は大学卒業後好きなように進路選択して、結婚して大学教員になった。この頃に父は肺の難病に罹患して定年を待たずに職を辞した。長男と次男が産まれ、「孫を見せるのが最大の親孝行」とばかりに盆と正月ごとに家族全員で帰省した。父の病状は悪化の一途を辿り、酸素ボンベを携帯して生活していた。そのうち、日常生活に支障が出始め、母の介護を受けるようになった。父は痩せ衰えていったが、相変わらずの上から目線で接してくれた。自宅での闘病生活を送っていた父はそれまで空気のように思っていた母からの愛情を意外と捉えながらも再認識しているように見えた。


父の危篤を知らせる電話が釜山の自宅に入った。病院の集中治療室で見た父は数本のチューブで繋がれ、息をしているだけの存在だった。その翌日、俺だけが主治医に呼ばれ説明を聞いた。俺は父の命を絶つ決断をした。俺は主治医に「父の命を救うために最善を尽くしていただきありがとうございました」と言っている途中に嗚咽に襲われ号泣した。父は最後まで祖母に優しい言葉をかけることはなかったらしい。父は親離れできずにこの世を去った。俺には意外なほど喪失感がなかったし、弟も同じことを言っていた。それは俺たち兄弟が父を越えたということだろうとつい最近まで思っていた。俺は自分の力で自由に生きた、全て祖母任せで生きてきた親父とは違う、と。改めて振り返ると、俺には両親がいて、地方の国立大学に進学し、卒業後も好きなことを続け、好きなことで就職し、恋愛結婚をして、マンションを購入するという父とは真逆の人生を歩んできた。それは、すなわち、父がやりたかったことを息子である俺を通して実現しようとした結果なのかもしれないと思い直すようになった。


追伸)二つ目のコメントが来た。嬉しいものだなあ。

2025年1月19日(日)

昨晩10時から放送された「NHKスペシャル、岐路に立つ東京大学」を視聴した。失われた30年を挽回するために大学教育を根本から見直した結果、イノベーションを起こし得る人材の育成に梶をきりつつあるという内容で、AI研究の第一人者と目される松尾豊教授と彼の研究室や講座での活動を通して羽ばたいていった起業家たちが紹介されていた。


一口にイノベーションと言っても実現するのは難しいと思う。何故なら偏差値という単線的な指標で選抜されてきた学生も学問の追求に半生を捧げてきた教員も起業家に必要な「リスクを恐れず計画し実行する」特性が備わっているとは到底思えないからだ。自分の身に当てはめてみても、起業経験はおろか企業で働いた経験もない俺がどうやって学生に「起業してみないか」と言えるのか、という話である。


しかし、松尾教授がロールモデルとするスタンフォード大学ではラリーペイジを筆頭に有名な起業家が名を連ねる。本郷キャンパス周辺には400あまりの東大出身の起業家が会社を経営していて、そのうち二つは上場企業らしい。番組中でも松尾教授は起業を夢見る学生に投資家を紹介していたし、高専出身の起業家に社員確保の助言を伝えたり、ドロップアウトした中卒の青年を研究室に招き入れたり、「この人に日本の未来がかかっているかも」と思わせる働きぶりだった。


失われた30年を本気で取り戻そうとするなら、松尾教授の役割をこなせる教員が全国の各大学で必要だし、俺のようなオールドタイプが意識改革して新しい取り組みに対する理解を深め、少なくとも起業しようとする人とニュータイプを邪魔しないことが大事だと思った。

2025年1月20日(月)

過去の記事を読むのは楽しい。その当時の状況や感じたことが蘇ってくるからだ。今回は餓狼宴を読み返してみた。ちなみに餓狼宴とは文字通り「飢餓に陥った狼のうたげ」のことで、俺が食したものヘの感動を綴るページの表題にしている。ちなみのちなみにそれは夢枕獏の代表作の一つである「餓狼伝」にインスパイアされた名称だ。


韓国でも刺身はよく食べられる。活魚をその場で捌いてピチピチの食感を楽しむのが一般的で、熟成したものは好まれないのが韓国の特色だ。韓国の刺身屋に行って驚くのが付け出しのお皿の数だ。鉢盛りを注文すると「この値段でこんなにたくさんの小鉢が付いてくるの?どう考えても採算合わないだろう」というほどテーブルいっぱいに小鉢が並べられる。


今回、ミラーブログでシングルカットされるのは餓狼宴に収録された「韓国刺身」という記事だ。時は2018年11月、まだ杖をついて歩いていたし、独力で飲み食いできていた頃の話だ。その日は釜山大教授蹴球会の対外試合があって、俺は家族を連れて応援に駆けつけた。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_20.html



宴会中に挨拶することになって、「この集まりは俺の葬式だ。せっかくなら楽しい葬式にしたい」と恩師の最終講義でのスピーチをオマージュして言ったら、ひんしゅくを買ってしまった。今となってはほろ苦い思い出だ。



追伸)昨晩、眠りかける寸前で、妻が立ち上がり俺の布団を剥いだ。妻は俺が暑がって苦しいと思ってそうしたのだろう。その後、妻はいびきをかいて寝入ってしまった。俺は寒さに震えながら歯ぎしりを繰り返し妻の目覚めを待ち続けた。

2025年1月21日(火)

妻は完璧主義者だ。俺の両足をタオルでふく作業を始めた時、嫌な予感がしたんだ。「パソコンをする時間だ」と思ったのも束の間、妻は「頭を洗おう」と言い出した。昨日もそんなやりとりがあったが、俺が「明日にしよう」と後回しにしたんだった。俺が迷って返事をせずにいると、妻はビニール製のタライを枕下に据え付けて寝たままで頭を洗う準備を始めた。頭にかける水の温度にもこだわりがあるらしく、蛇口と寝台を行ったり来たりして温度の調節に余念がなかった。髪を洗った後は耳掃除とドライヤーをかけるのが定番だ。


「やっとパソコンが出来る」と思ったのも束の間、妻の目には完璧主義の炎が宿っていて、妻は「上の服も着替えよう」と言い出した。もちろん、着替えるだけでは終わらない。右の袖を脱がせて右上半身の垢スリが始まった。妻の垢スリはかなり本格的で、専用の垢スリ手袋を片手に虎視眈々と垢が出そうな場所を狙っている。「強くこすると痛い」と言おうと思い歯ぎしりを繰り返したが、垢スリに夢中でイヤホンで何か聴いている妻の耳に入るはずがない。作業は左上半身に移り、「相撲中継が始まる時間なんだけどなあ」の心の声も虚しく、妻はテレビを消してYouTubeを一緒に聞くことを強要した。


それだけでは終わらない。妻は寝たままの姿勢では困難とされる背中の洗浄を試みた。実際、呼吸器が邪魔になって半身になるのは難しいし、それを支えつつ、背中をこするのは至難の技だ。腱鞘炎に悩んでいる妻なら尚更だ。しかし、完璧にこだわる妻は疲労困憊になりながらもこのミッションを完遂した。


服を着替えパソコンの設定が終わったのは午後四時半、妻の善意でやっている無償の行為にはひれ伏すしかない。満足そうな妻の表情を見れば尚更だ。お蔭様でさっぱりしたし、今晩はよく眠れそうだ。それから耳の後ろの垢スリは昇天するほど気持ち良かったので次回もやってほしい。


2025年1月22日(水)

棋士編入試験第五局を視聴している。西山朋佳が勝てば初の女性棋士の誕生となる。

只今、中盤戦、AIの評価は西山の40%で、俺が見ても指しにくそうな形勢だ。

応援虚しく、西山の敗戦。花を持たすことをしなかった試験官の柵木四段に米長邦雄の美学を感じた。


ミラーブログでのシングルカットは2019年8月に大村の実家で起こったテロ事件を題材としている。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_22.html

2025年1月23日(木)

久しぶりに夢を覚えていた。夢の中で俺は教壇に立ち大勢の学生の前で講義をしていた。黒板に大きな吹き出しを二つ描いて、それぞれに韓国語でリンゴとバナナと書こうとするが、何度も間違ってしまい学生たちから失笑が漏れる。動揺した俺は話すべき内容を忘れてしまう。取り繕うために別のことを説明し出す。「時間がないから続きは次回に」と講義を打ち切ったが、時計を見ると終了時刻の5分前で、「早く終わってよかった」という意味の歓声が湧き上がった。

この夢をどのように解析するべきかを夢判断が専門の心理学者に教えてほしい。実際の俺がどんな授業をしていたかについてはこれから説明していく。


初めて学部二年の線形代数を任された時、心に期するものがあった。それは俺が同科目を受講したときに受けた衝撃を追体験してもらうことだった。「失敗は許されない」と思った俺は入念に事前準備を重ねた。それまでの教育経験から「釜山大の学生は試験と名の付くものに対して類い稀な集中力を発揮する」という予備知識があったので、週2回の講義ごとに十分間の小テストを課すことにした。その問題は5問からなる真偽判定問題で学生たちはそのうち3問を選択して真偽判定の結果とその証明を書き込んでいく。満点は4点で3問の証明が正しいときに与えられる。真偽のみ書いて提出してもよいのだが、間違いの数によってマイナス点が加算される。自分で言うのもなんだけど、この小テストのユニークな点は「自信がなければ提出しなくていい」というところだ。ただし、小テスト終了時に提出しなかったら次の講義開始時に5問中2問を証明付きでレポート提出することにしていて、それが出席の証拠となる。そうすると出席を誤魔化したり、他人のレポートの丸写しで提出することができる。その予防策として小テストの時間に名前を呼んで出席を取り、「誰かに教えてもらったらその人の名前と謝辞をレポートに書いて提出すること」というお触れを出した。


「証明とは何か」を教えたくて始めたことだが、極一部の学生はファンになってくれたが、大部分の学生からは「難しい。答えを教えてくれ。定期試験に初見の問題しか出ないので勉強しても意味がない」という声が相次いだ。講義中は冗談も言わずに「視線を逸らした人に当てて質問するぞ」なんて言いながら授業ごとに10人以上に当てていたから眠る学生は居なかったが、学生にとっては嫌がられる存在だったろうなと想像する。


先日、釜山大数学科の卒業生から「就職した」というメールが来た。

俺と数学相撲でぶつかり合った卒業生諸君、もしこのブログを読んでいるのなら近況を知らせてほしい。俺にとっては最高の特効薬となるであろう。


2025年1月24日(金)

大相撲は終盤戦の佳境に入った。2敗の金峰山を3敗の四力士が追う展開。


ミラーブログでのシングルカットはセルジオ越後について。
https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_24.html

2025年1月25日(土)

井上尚弥対キムイェジュンの試合の録画をYouTubeで観戦した。井上の戦績が物語るように世界のボクシング史に刻まれるスーパースターの一人だ。しかし、パッキャオやメイウェザーと肩を並べる存在とは言えないと思う。彼らはスーパースター同士の対戦が組まれる過程で知名度を上げてきた。井上には「どっちが勝つかな?」と勝負論が出てくるライバルがいない。それは二階級で四団体統一王座についた今だからこそ言える話で、数年前「モンスター」と称されながらも評価が定まっていなかった頃はそうではなかった。特にWBSS決勝の対ドネア戦は試合前からわくわくしたし、試合も初回からバチバチに打ち合う展開で最後までどちらが勝つかわからない名勝負だった。

ミラーブログのシングルカットはその当時の感想が記されている。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_25.html


井上はまだ限界を見せていない。上記のドネア戦以降、圧倒的な力量差を見せつけKO勝ちの山を築いている。これはとんでもない偉業であるが、国民的熱狂と言うまで盛り上がっていないのも気になるところだ。願わくば、ドネアのような強敵が現れ死闘を繰り広げレジェンドの仲間入りしてほしい。

2025年1月26日(日)

学生時代に大学の健康相談室を訪ねたことがある。俺が白衣を着た職員の方に

「不眠症ではないかと心配になってきました」

「どのくらいの頻度で眠れないのですか?」

「昨晩、寝床に入っても目が冴えて朝まで眠れなかったんですよ。こんなこと初めてで怖くなっちゃったんです」

「……は、初めて。ということは昨日だけ?」

俺にとっては切実な悩みだったのだが、今考えるとその職員は大いに呆れていたことだろう。何事も初めての時は不安になるものだ。


時を経て、ALSに罹患して体が動かなくなって夜が怖くなった。周りが寝静まっているのに自分だけ覚醒している。寝返りもできないし、トイレにも行けない。横の寝台でいびきをかいて熟睡している妻を起こすのも気が引ける。「夜が明けるまで何時間待たなきゃいけないのだろうか?」と思い始めると余計に不安が募った。


慣れとは恐ろしいもので、眠れないのが当たり前になったら夜が怖くなくなった。仰向けの姿勢で寝られるようになったのも大きな変化だ。耳の痛みで目覚めることがなくなったし、寝返りの必要もなくなった。たまに痰が詰まって息苦しくなることもあるが、歯ぎしりとアヒルの二重奏で誰かが助けに来てくれるという安心感が心の余裕をもたらしている。


現在の境地に至ったのは夜中に何度も起こすことがあっても愚痴一つ言わずに助けてくれる家族、特に妻のおかげだ。眠れない夜にそんなことを考えた。


追伸)豊昇龍の勝負強さに恐れ入った。叔父さんの朝青龍に似てきたなあ。


追追伸)検察出身のユン大統領が起訴された。「溺れた犬は棒で突つけ」ということなのだろうか。誰か解説してほしい。

2025年1月27日(月)

「自分が患っている病気はもしかしたら難病中の難病と言われるALSかも」と思い始めた時、俺はインターネットを通してALSのことを調べまくった。そこで目に止まったのが恩田聖敬さんのブログだ。恩田さんはALS患者で、人工呼吸器を装着している写真を自身のブログで公開していた。俺は自分の未来を覗き見るような気持ちで彼のブログを読んだ。


彼は完全他人介護を主張していた。

http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/43464828.html

彼はスイッチを咥えiPadを操作し文章を書いていた。

http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/36443843.html

覗き見た未来とは異なり、俺は24時間家族介護を受け、視線入力を使用している。個人差があるのは百も承知だが、他人が自宅に入ってきて24時間監視されるのはしんどいと思う。自由にテレビやパソコンに時間を費やす方が幸せだと思うのだが恩田さんの本音はどうなんだろう?恩田さんの超人的集中力があってこそのスイッチ操作だと思うが、視線入力の方が楽だし速くタイピングできると思う。誰か助言してくれないかしら。


胃瘻と人工呼吸器という点では共通しているが死生観や障害に対する考え方は全く異なる。

http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/41919800.html


http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/38434597.html

彼の主張は多くのALS患者の声を代弁しているのだろう。だからこそ、現在、彼は日本ALS協会の会長である。俺もちょっとは有名になっている未来を想像していたんだけどなあ。


追伸)豊昇龍が横綱に昇進。更に強くなりそう。

2025年1月28日(火)

闘病記(大村編)を読み返してみた。自分で言うのもなんだけど、面白い。文章は遊び心に溢れているし、オチもついている。「あんな瑞々しい文章を書いていたのか」と自分でも驚くほどだ。しかも、闘病記と銘打っていながら悲壮感は微塵もない、どちらかというと、希望すら感じられる。


あれから五年半が経った今、病気の進行が安定期に入ると共に筆力も老衰しているような気がする。無理もない。あの頃は毎日外出していたし、刺激も多かったからなあ。闘病記に意図的に登場させなかったお客さんも多かったし、塾生や介護チームとも定期的に会っていたもんなあ。子供たちも新しい学校で新学期を迎え、まるで自分が学校に通うみたいに不安と希望が入り交じっていたからなあ。


読んでみて思い出したことがもうひとつある。環境の急激な変化に対する防衛策だったのか、長男と次男は日本にいた時はギターとスマホゲームばかりで勉強していなかった。彼らは釜山に再移住してからは人が変わったかのように勉強し始め、通常より二年遅れて大学に進学した。


彼らは俺のわがままの犠牲者だ。しかし、俺は話せるうちに日本の親戚や友人に会っておきたかったんだ。そう考えると闘病記の瑞々しさにも合点がいく。老衰した今彼らに「これからはお前たちの番だから自由に生きなさい」と言いたい。

2025年1月29日(水)

今日は旧暦の元旦だ。長男、次男、三男は妻の実家がある浦項に向かった。長女に「お前は行かないの?」と尋ねると「お母さん一人だと外出できないから残ることにした。それに来年受験生だからね」という答えが返って来た。


大村に移住する前は毎年のように家族全員で妻の実家を訪れ、義父母が準備する料理に舌鼓を打ち、妻の姉妹家族と楽しい時間を過ごしていた。その料理は主に海産物で、食卓には刺身の大皿と白身魚の天ぷらとカセットコンロの上で煮立っている海鮮鍋が並ぶのが定番だった。「あの頃は幸せだったな」と思う。義母はガンを患い去年の3月に天国に旅立った。義父は交通事故による骨折は全快したが心臓の持病を抱え健康とは言えない状態だ。本来であれば、俺が率先して妻子を連れて馳せ参じ義父を元気にする役割を担っていたはずなのに、何もできない自分がもどかしい、いまさらだけど。


子供たちに「動画を撮って送ってくれ」と頼んだ。送られてきた動画に映っていたのは三男が従姉妹と遊ばずにiPadでゲームに興じる様子だった。激怒した俺は三男にゲーム禁止のお触れを出し、長男と次男に「おじいさんを元気付けることやおじいさんの思い出になることをしなさい」というメッセージを送った。


まだ彼らから返事は来ない。父の威厳が試されることになったが、後悔はしてない。

2025年1月30日(木)

埼玉の道路陥没事故で落下したトラックの運転手が未だに救出されていない。雪山や海上でヘリコプターから救命隊員が降りてくる難易度と比べるとたかが10m下にいる人を引き上げるのは容易だと思うのだが、NHKのニュースでは「救助が難航している」というばかりでその納得できる理由は一向に報道されない。トラックの荷台部分だけクレーンで引き上げたのも疑問だ。「意味ねーじゃん」と思ったのは俺だけであろうか?

事故発生当時は呼びかけに応答していた運転手、今は安否の確認ができないという。「助かった」と思って、救助を待っていたのに、いつまで待っても救助が来ないのは地獄の苦しみだろうな。携帯電話かトランシーバーを渡しておくことはできなかったのだろうか?

運転手が所属する会社や姓名が公表されないのはプライバシー保護のためだろうか?

下水道って漏水センサーとかついてないのだろうか?

2025年1月31日(金)

今から五年半前、俺は月面着陸にも劣らない冒険旅行に挑んだ。かろうじて起立することができる筋力が残っていて、電動車椅子ユーザーだった俺が、である。

今から55年前、人類は月に降り立った。当時の最新のコンピュータはわずか64Kbのメモリーしかなかった。繰り返すが、メガバイトでなくキロバイトだ。それなのに、探査船は月の周回軌道を回る親機と分離し月面着陸に成功し任務終了後月面からロケット発射で離陸し親機とのランデブーを決め地球の大気圏に突入しパラシュートで帰還する、という神技を実現させている。

今回のシングルカットは月面着陸になぞらえた真夜中の冒険を描いている。

https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/01/blog-post_31.html

2025年2月1日(土)

日本の英語力が落ち続けているらしい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7a1c41400875bc5b5f3ea900ef27df8dbfb495fb?page=1

「そりゃあそうだろうな」というのが率直な感想だ。中学高校の6年でそれなりに時間を費やして勉強してきたけど、イスラエル、韓国、台湾に居住し、世界各地の研究集会に参加して、多少なりとも英語を使いこなせるようになって思うことは「もしやり直せるなら中高での英語の勉強法を改めたい」だからだ。


漢文の意味はわかるのに中国語は話せないのと同様の問題が日本の英語教育に横たわっていると思う。英語学習も漢文学習の影響を受けていたのかどうか定かではないが、両方とも和訳の比重が高いことは共通している。結局、英語を英語として理解するのではなく、英語を日本語の体系に取り込んで理解するから、和訳の問題が出てこない英語だけで記述された国際的な英語検定では点数が出ないのである。


日本で暮らしていると英語学習の必要性を感じにくい。外国の書物は日本語訳されているし、翻訳ソフトの進歩である程度の意思疎通が可能になっている。英語の読み書きが必須と思われていた学問の世界でも生成AIの登場で言語の壁が低くなる兆しが見えつつある。そうであるならば、英語検定の順位とか気にしないでよさそうだが、俺の意見は異なる。


たとえ大学受験のみが目的だったとしても俺が受けてきた英語教育は非効率的だし、もっと深く英語を学びたい者の発展性を阻害していると思う。もし俺が現役の中高生だったら、スマホを片手に英語ネイティブの話す内容を聞きまくっていただろう。あんまり言うと「今からやれよ」という声が聞こえてきそうなので、今日はこれくらいにしておいたほうがよさそうだ。

2025年2月2日(日)

三男が2歳の誕生日を迎えた時、長女は7歳、次男は11歳、長男は13歳、俺は43歳、妻は42歳だ。惜しいなあ。もうちょっとで家族全員の年齢が素数になったのに。

昨晩、夜中に目が覚めたので、そのことについて考えた。すると、次男が41歳の誕生日を迎える時、家族全員の年齢が素数になることがわかった。このことを一般化してみよう。次男の誕生日の三男の年齢をp歳とすると、三男、長女、次男、長男、妻、俺の年齢はそれぞれ、

p, p+6, p+10, p+12, p+40, p+42 となる。

これら全てが素数になるとき家族素数と呼ぶ。さて、p=31 の場合は唯一の家族素数であろうか?さにあらず、p=61 の場合も家族素数である。ここで調子に乗って、「家族素数は無限に存在する」という予想を立てておく。数十年後、何百人の数学者がこの予想に挑むがことごとく失敗に終わり、やがては、数学者の人生を狂わせる悪魔として平坂予想という名称が定着した。


念のために書いておくが、上記はパロディであり、本気で言ってるわけじゃない。ただ、最初の家族素数が現れる期間まで生きていられたら家族全員が集まって盛大に祝うつもりだ。


最後に双子素数について言及する。p, p+2 が共に素数であるときにそれらは双子素数と呼ばれる。双子素数が無限個存在するかどうかは有名な未解決問題である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E5%AD%90%E7%B4%A0%E6%95%B0


追伸)ミラーブログにコメントが来た。励みになるなあ。

2025年2月3日(月)

「か ゆ い。あ し」文字盤でそう伝えると、次男はどっちの足、膝の上か下、の順番で尋ね、痒いところを特定していく。答えはふくらはぎなんだが、文字盤で伝えると時間がかかるし、次男がその単語を知らない可能性もある。理系的な思考の次男は俺がまばたきするだけで事が進む方法を心得ている。


その次男が一昨日旅行に出掛けた。一人の船旅で福岡に上陸し福岡在住の従兄弟と昼食を食べてバスで大村に向かうらしい。釜山の友人三人と合流するのは明日だそうだ。「初めてのお使い」のように心配する気持ちは全く湧いてこないが、次男に連絡したい衝動に駆られる。こんな時に役に立つのがインターネットだ。俺は次男に「お父さんは旅行できないけど、お前を通して旅行気分を味わうことができる。船内の様子や食べ物を動画に撮って送ってくれ」というメッセージを送った。


そのメッセージは未読のまま24時間放置され、昨日思い出したかのように数本の動画が送られてきた。それらは人物が映ってない風景の動画で、案内の音声もなかった。「面倒くさいからやりたくないけど、頼まれたから仕方なく送った」という心象風景が読み取れた。


芸術家気質の長男と異なり、思考回路が似ている次男の心理は読みやすい。めげない俺は次男に「料理の写真も送ってくれ」というメッセージを送った。何時間後にどういう反応が返ってくるのか楽しみで仕方ない。


追伸)藤井七冠の年間賞金総額は約1億7千万円らしい。一回のゲーム大会の賞金やゴルフの賞金と比べると低すぎると思うのだが。将棋連盟は経営を外部に委ねるべきでは?

2025年2月4日(火)

「女性の年金は月10万円程度で、東京に住める金額ではない」と朝の情報番組でやっていた。そんなときこそ移住の勧めである。ミラーブログのシングルカットではそのことを長文で主張している。
https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/02/blog-post_4.html

追伸)NMRさんが取材に来てくれた。ありがたいことである。

2025年2月5日(水)

史上最強と謳われ、圧倒的な強さを誇る藤井聡太七冠の年間賞金総額はわずか1億7千5百万円だそうだ。これはあまりにも低い数字だ。彼以外の棋士は更に低い。棋士全体の平均年収は八百万円前後らしい。一年で4人という狭き門を通過したエリート集団の年収が羽振りのいいサラリーマン並みとは。にわかには信じがたい現実がそこにある。これは運営団体である日本将棋連盟の互助会的体質を起因とする怠慢に他ならない。藤井聡太というスーパースターの誕生は将棋界に測りしれない好影響をもたらしたはずだ。その千載一遇のチャンスを営業面において全く活かせてないのが将棋連盟の現状である。そのことを踏まえて次の改革案を提示する。

1)従来のスポンサーとのしがらみのない経営のプロを理事に招き入れ、大鉈を振るってもらう。具体的には斜陽産業である新聞社と決別し、IT業界で新規スポンサーを探す。スポンサー料が従来のものと同額ならば引き手数多だろう。
2)野球やサッカーなどのプロスポーツに比べ将棋は試合時間が長いし集客力も少ない。各棋戦のほとんど全ての対局は衆目に触れず、従ってなんの利益も産み出さない。ビデオゲーム大会が高額な賞金を準備できるのは莫大な視聴者がいるからこそである。将棋界もそれを目指して変わるべきだろう。具体的には週末ごとに2時間の生放送番組を制作する。それは将棋の早指し対局をショーアップしたもので、煽り動画を用いた告知の徹底、対局者の入場を演出、大盤解説の司会に芸能人を起用してAI評価値を開示する権限を与える、前座には芸能人同士の対局、ディナーショーのように円卓に着飾った男女に一流シェフによるディナーを提供してグルメ番組的要素も追加、とにかくエンタメ要素てんこ盛りで一局の将棋の価値を上げていく。そうすると、マスコミが注目して棋士の知名度も上がり利益を産み出すようになるだろう。

3)ゴルフのツアーのように地方のスポンサーを募ってアマもプロも参加できるオープン将棋大会を週ごとに開催する。異なる場所での同時開催を避け注目を集中させる。年度始めに八大棋戦の予選を行い、予選通過者の人数を30人前後に絞り込み、各棋戦の対局料費用を削減。その予選で脱落した棋士たちが地方ツアーに参加する。プロと公式戦で対局したいと思うアマの腕自慢や指導対局気分で参加する人も多いだろう。つまり、プロが参加するというだけでアマ側に高額な参加料を課すことができて、その分だけ賞金も増大する。この制度は実力も人気もない棋士には地獄だろうけど、それがプロとしてあるべき姿だと思う。

4)前述したようにプロ棋士として公認される四段の称号を得るのは年間4人である。しかも26歳以下という年齢制限もあるので、夢破れて将棋しかできないのに将棋から離れて社会に放り出される若者が多数存在する。これもプロの世界の厳しさだが、人材活用という点において勿体無いと思う。そこで提案したいのが奨励会アカデミーの創設だ。奨励会に所属する成人にプログラミングなどの職業訓練やIT企業へのインターンを義務付ける。そうすれば、棋士になるよりも高収入で幸せな人生を送れるかもしれない。何より将棋連盟に恩義を感じ、将棋界のためになんとかしたいという精神が生まれるだろう。入社先で出世して、その会社が新たなスポンサーになるかもしれない。

5)将来有望そうな若年層から選抜して生活費を支給するかわりにYouTubeに出演するという条件で合宿生活をしてもらい、将棋の英才教育を施し、成長の過程を追うドキュメンタリーとしてYouTubeで発信していく。ボクシングの亀田兄弟のように人気を博すかもしれないし、未来のスターを育てるための投資と思えば安いものである。

2025年2月6日(木)

映画「Mommy」を鑑賞した。この映画は和歌山カレー事件を扱ったドキュメンタリーだ。この事件が起きたのは1998年7月だ。その頃、俺はドイツかイスラエルにいた。日本のニュースはインターネットで閲覧することができたので、事件名は記憶しているがその詳細を気に留めることはなかった。以下はその感想である(ネタバレ注意)。

1)海の青と空の青との対比、地面に置かれた花束、道路を真上から撮影したときの意外性、被害者の遺族が手を合わせ祈っているときにシャッター音を響かせるマスコミの無神経さ、序盤から観客を惹きつける映像美とカメラアングルが秀逸だった。

2)林容疑者の手紙の朗読者はまさか本人ではないだろうが、本人の雰囲気を醸し出していた。本作には引用映像と役者が演じている部分が混在していて、境界線を意識することを促す構成になっている。

3)夫の林健治氏が主役だった。「こんなこと話していいのか」というくらい保険金のことを語っていた。長男の方は「結婚は諦めているし、子供も作るつもりはない」と言っていた。長女の方は事件を隠して家庭を持つが娘と心中してしまった。そのことを冷静に客観視する長男は吹っ切れているのかなと思う一方で映画には現れない心の闇があるかもしれないと思った。

4)学者の鑑定は当てにならないと思った。カレー鍋に残っていたヒ素と容疑者の自宅にあったものの成分が一致するかどうかで二人の学者の見解が分かれた。どっちが正しいのか一般人には判別できないだろうな。

5)映画の中で度々監督が登場する。アポ無し玄関突撃取材や道行く人にインタビューする場面があったが、被取材者はあからさまに嫌そうな顔をしていて、大変な作業だと思った。インタビューするだけではなく映画の出演交渉もしなきゃいけない。

6)真相はわからない。判断材料を提供して結論を強要しないのがこの映画の良さだと思う。

2025年2月7日(金)

日米首脳会談が今日の夜から始まるらしい。これまでのトランプ大統領の発言からプロレスまがいの煽りとも本気とも取れる要求を突きつけられることは十分あり得る。そんなとき国会答弁のような当たり障りのない腰の引けた返事を繰り返していては、石破首相の政治家としての器を小さく見積もられかねないし、首脳同士の個人的友情も築けないだろう。やはり、煽りには煽り返して超一流のプロレスを見せてほしい。そうすれば低迷している支持率も跳ね上がるのではなかろうか。以下は想定される煽りに対する模範解答である。

1)「日本製品に20%の関税を掛ける」には安生洋二がヒクソングレイシーの道場に乗り込む前に言った「200%勝てる」にちなんで「アメリカ製品に200%の報復関税を掛ける」、ちなみに日本の首相には関税を変更する権限はないらしい。

2)「日本はアメリカの52番目の州になる」には「そうなれば俺が次の大統領になって国名を日本に変更する」

3)「沖縄は米国に返還させる」には「朝令暮改って諺、ご存知ですか?ついでに江戸の仇を長崎でっていうのもあります」


追伸)三男の使用済み靴下が長女の机に放置されていた。帰宅した長女は激怒。家庭裁判では三男の故意性と責任能力の有無が争点となっている。

2025年2月8日(土)

NHKのドラマ「True Colors」の主人公は世界的な写真家として活躍していたが、錐ジストロフィーという目の病気にかかり、それまでの仕事を放棄せざるを得ない状況に陥った。その主人公は生まれつき色弱なのだが、かく言う俺も色弱だ。


小学生だった時、小さなマルの模様の色弱テストを受けた記憶が蘇った。先生が「なんて書いてあるの?」と聞くのだが、俺はその質問の意味がわからず沈黙するだけだった。親からも「あんたは普通と違うけん服ば選ぶときは注意せんば」と言われていた。敢えて方言を使ったのには理由がある。傷心の主人公は故郷の天草に帰省するのだが、毎熊克哉が演じる主人公の幼馴染の話す九州弁があまりにも自然で驚くほどだったからだ。彼は広島出身なのだが、「努力だけであれだけ長い会話を違和感なく話せるのか。やっぱり俳優ってすごいなあ」と思った。


色弱であることは俺の人生に微妙な影響をもたらした。適性検査で「顕微鏡や望遠鏡を使う仕事は避けた方が良い」というコメントが返ってきたし、「それなら自然科学分野では数学しかないな。数学、好きだし、志望学科にしようかな」という結論に至った。俺の場合はたまたま色弱と数学が結びついたが、声を大にして言いたいことは「色弱であっても顕微鏡や望遠鏡を見る仕事はできるし諦める必要は1ミリもない」ということだ。


このドラマの結末は知らないが、色弱者の応援歌として最終回まで見届けるつもりだ。



追伸)昨晩は非常に寒かった。布団を重ね床暖房を最高にして就寝した。夜中に暑すぎるということで、布団は一枚にして床暖房を中レベルに落とした。今度は寒さで目が覚めた。なんと寝室の窓が開いていて冷気が入り込んでいた。窓際で寝ていた三男は容疑を否認している。

2025年2月9日(日)

数年前に「結婚したくない」と言っていた長女も最近は「仮面ライダーの俳優みたいなイケメンと恋愛したい」と言うようになった。数年前に「流行りの歌は好きじゃない」と言ってレッドツェペリやクイーンに傾倒していた長男も最近は宗旨替えしてKーポップアイドルの曲を聴くようになった。妻の話だと長男だけでなく次男と三男もユジンスに夢中らしい。そんな人いたかなとしばらく疑問だったが、実は「ユジンスはNew Jeansの聞き間違いだ」ということがわかった。ちなみにNew Jeansは女性アイドルグループで、次男が「嫌いな人は居ない」と言うほどの美貌と人気を誇っているそうだ。


「外見を気にするようではまだまだだな」とは思えない。何故なら俺も十代の頃は芸能人並みの美貌を異性に求めていたからだ。その考えが圧倒的多数の集団の中にいると、俺のような、背も低く顔も不細工で服装のセンスもなく気の利いたことも言えない奴は異性から相手にされなくなる。その状態を脱するには時間が経つのを待つことと考えを改めることである。俺の場合は、見た目重視の世界に背を向け、自分の外見を客観視して「世の中のほとんど全ての女性は俺を異性として見ていない。俺に好意を寄せる女性が現れることは奇跡的なことなので、機会を逃してはいけない」と改心した。


その改心はイスラエルでの海外経験を経て確信に変わる。イスラエルは地理的にヨーロッパと中東が交わる場所にあり、実際、各国に散らばったユダヤ人が安住の地を求めて移住して建国された。そこは人種の坩堝で、美醜のスペクトラムの範囲が広い。従って、八頭身の美男美女は珍しくなく、街中を歩けば日本の芸能界ではお目にかかることのない美女とすれ違うことができた。俺は異性に全く相手にされず、というか、交流を持つ機会さえなく、おかげで数学に集中することができた。


マズい。この話の流れだと、「見た目を一切考慮せず結婚した」と思われてしまうではないか。そうなったら激怒する人が約一名いそうなので、「改心して確信した結果、世界一の美女と結婚できた」という結びで締める。

2025年2月10日(月)

ALSという検索語でYouTube動画を探してみた。数本の動画を視聴したが、そこに出てくるALS患者の病状は千差万別で色々と考えさせられた。


「家族のために呼吸器は付けない」と言っていた人がいた。その人の妻はその選択に異議を唱えることもなく、むしろ、「仕方のないことだ」と容認しているような雰囲気だった。20代に発症して一人暮らしで生き続ける人もいた。その人は40代なのに呼吸器を付けてなかった。


自分が20代に発病していたら、自分の存在意義を世の中に問うこともできず、仕事にも就けず結婚もできず、失意のまま死を迎えていただろう。

俺も「呼吸器を付けて延命したくない」と思っていた時期があった。しかし、家族が希望を与えてくれたことに年金の受給が家計を支えることがわかったことが重なり、生きる意味を見出すことができるようになった。


自分は恵まれている。上記のALS患者と比べて言っているのではなく、不慮の事故や余命宣告された人は国内だけでも大勢いるはずだ。ALS患者だけが特別じゃない、みんなが抱えている問題だと思う。

2025年2月11日(火)

九州大学数理学研究科博士課程に在籍していた時、博士号を取得して就職活動中の先輩から漏れてくる話は

「助手の公募に何十人もの応募者が殺到するのが常態化している」「年相応の経歴がないと落伍者と思われる」「応募先の学科の教員の誰とも面識がない応募者は採用されない」「大学院の定員拡充の波が来るから状況は悪化する一方だ」「完全な公募では東大京大卒の化け物クラスの研究者と競うことになる」などの暗い話ばかりだった。


その当時は講座制の名残りが残っていたので、欠員補充の人事権は講座のボスである教授に一任される公募が多かった。いわゆるコネだ。「そういうのは潔くない」と言えるのは極一部のエリートのみで、残りの大多数は生き残りを賭けてあらゆる手段を講じ、この過酷な椅子取りゲームに挑むのだった。

自分の身に照らし合わせてみると、4人の兄弟子が就職活動中で運良く1年に一人のペースで就職したとして俺の順番が回ってくるのは5年後、そのとき俺は30歳、定職に就く保証はなく、新規の博士と競うことになる。冷静に考えて、難易度が高そうだ。その頃俺は「シェリー、いつになれば俺はたどりつけるだろう。シェリー、どこに行けば俺は這い上がれるだろう」とカラオケで歌い、号泣しているかもしれないのである。


そんなモヤモヤを抱えながら俺は博士号を取得してイスラエルに旅立った。そこは日本からの情報が入りにくく、日本では気にしていた序列とは無関係の世界だった。海外で生活してよかったことの最たるものは「英語で講義ができて、論文実績を上げ続けることができれば世界のどこかに職はある」という健全な競争の存在に気付いたことだ。


モヤモヤが消え去っても研究の定職に就くのは簡単ではない。俺は奥ゆかしさと決別して研究集会に参加するたびに人と話せる場があるたびに「俺は研究職を探しているんだ。仕事を紹介してくれないか?」となりふり構わず言い続けた。人はどこでどのように繋がっているかわからないものだ。しかし、人の繋がりは確実に存在する。それを信じてもがき続けるのが就職活動だと知った。

俺は運良く就職できた。30歳の時だった。


追伸)量子エンジンが気になる。

2025年2月12日(水)

俺が初めて購入した車はトヨタのノアだ。8人乗りで助手席が回転しながら下まで降りてくる機能が付いた福祉車両だ。中古だったので、160万円前後の価格だった。納車の時期は2019年4月末、注文してから一ヶ月後にやってきた。その当時、俺は歩けなくなっていたし、腕の力も衰えていた。にも関わらず、納車されたその日に運転席に座り、妻を助手席に乗せ、試運転に出掛けた。


日に日に進行する病、それを片時でも忘れさせてくれる運転は至福の時間だ。ノアは車高が高く前面が薄い。そのため見晴らしが良く運転しやすい。車は国道を走り、三浦半島に進路を変えた。日光が降り注ぎ、それを反射して琴の海と化す大村湾の美しさは今日も健在だ。傍らにはやや興奮気味の妻がいる。上々の滑り出しだ。


至福の時間は一週間足らずだった。俺が運転中意図せぬ山道に入ってしまい、蛇行を繰り返す下り坂に両腕の悲鳴と身の危険を感じとった俺は妻に運転の交代を申し出た。その瞬間から俺はハンドルを握ることはなくなった。俺の指定席は助手席に変わり、妻がノアの運転手になった。妻はメキメキと運転の腕前を上げ、野岳や彼杵に通じるグリーンロードが定番のドライブコースとなった。母も併せて7人で遠出したことは数知れず、そのどれもが家族の思い出として鮮明に焼きついている。


昨日、次男が大村旅行から帰ってきた。ノアについて尋ねると「なかった」という返事だ。俺は実家に住む母にメッセージを送った。その返事は「勝手に処分してスミマセン」だった。漫画を断りなしに捨てられた記憶が蘇る。「相変わらずだなあ。許可を求めて却下されて処分できなくなることを恐れて先手を打ったということか。でも今回は謝りの言葉があったなあ」という思いが駆け巡った。母の名誉のために書き足すと、釜山に再移住したのが2020年12月、それから約4年間ノアは追憶のためだけに実家の駐車場に放置されていた。その間、自動車税も発生している。

今、俺は思い出製造装置だったノアにこの上ない感謝と「迎えに行けずに、雨風に晒されっぱなしにしてごめんな」と伝えたい。


追伸)最近、よく眠れるようになった。