ホーム心野動記視線入力時代

視線入力時代

2024年8月21日(水)

指が動かなくなったのが五年前、パソコンが使えなくなると絶望していたが、そのときに救世主となったのがエアマウスだった。首の力が健在だったので、パソコンの業務を滞りなくこなすことができた。大村にいた頃、視線入力を試す機会があったが、どう考えてもエアマウスのほうが速そうだったので導入には至らなかった。首の筋肉が衰え始めて、様々な不便と不具合が噴出することになる。エアマウス時代末期は文字が打てず、画面の右半分にポインターを移動できず、YouTubeの広告をスキップできず、自動再生される動画を視聴するだけの無益な時間を過ごすだけだった。本欄の更新も妻の代筆によるものである。それだけに今回の視線入力機器の導入は新たな希望を与えるものだった。おそらくエアマウスを使用することはないだろう。五年間、勤続し、救世主であり続けたエアマウスと紹介していただいた鈴木先生に感謝の意を伝えたい。

2024年8月22日(木)

「エアコン、つけておく、消す?」という妻の問い掛けにエアコンの部分が聞きとれず、無反応の状態になり、気まずくなった。コロナを発症してから左耳の聴力が落ちたことがその原因だ。「病院に行こう」と妻は言うが、何かの拍子で耳抜きが起こり、鼓膜の奥で「バリバリ」と音がして聴力が回復してしまうのだ。これでは苦労して病院に行っても異常なしと診断されるのがオチだろう。ところが、朝目覚めると、左耳の調子が悪いのだ。そんな毎日を繰り返している。

2024年8月23日(金)


お盆期間に、サイパン島での攻防戦、特攻隊、原爆関連のドキュメンタリーがNHKで放送された。「なぜ、もっと早くに降伏しなかったのかなあ。前途有望な若者達の命がいとも簡単に奪われたことに憤りを感じる」というのが例年の感想なのだが、今年は別のことを考えた。

現在の国体が保証されるとわかっていれば喜んで降伏しただろうが、その当時はそんな未来予測はお花畑と一蹴されたことだろう。むしろ、天皇家が解体され、日本各地の神社も取り潰しになり、公用語は英語になり、ローマ字表記で教科書が執筆され、武力の空白を突かれて北海道はソ連に占領されていたかもしれないし、支配層は外国人で占められ、日本人は労働者階級に固定され搾取され続ける。というのがよほど現実的だし、それまでの歴史に詳しい人なら、そうなる世界線も視野に入ったはずだ。

そんな状況で軍部の決定に異を唱えることは不可能に思えてきた、というわけだ。

2024年8月24日(土)

NHKの連続ドラマ「虎に翼」を批判してみた。

  1.  主人公の寅子の謝罪が条件反射的に頻発されるので、本当に謝りたい時でも安っぽく見えてしまう。法曹関係という職業柄、事態を吟味して納得してから謝罪するものではなかろうか。
  2.  戦後、日本国憲法が発布されたとき、法曹関係者は天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたはずだ。それまでの拠り所が崩壊し、全ての法律を再検討する羽目になったのだから。いつもは「はて」と疑問を抱く寅子だが、男女平等が謳われたという理由で現憲法を何の疑問もなく受け入れるのは不自然だ。
  3.  裁判の後に裁判官と出席者と会食する場面が複数回現れるが、「実際の法曹の世界は学閥による癒着と忖度が横行しているのでは」と勘繰ってしまう。

次回に続く。

2024年8月25日(日)

4. 寅子は裁判官なのに判決を下す場面が一度も出てこない。弁護士を主人公とするドラマが大半なので、裁判官の苦悩や葛藤が描かれるものと期待していただけに残念でならない。

5. 寅子は一人娘の前で「変わる」と宣言したのに新潟転勤後も相変わらず仕事優先の生活を続けている。見知らぬ土地で小学生の娘を鍵っ子にするとかありえんだろう。

6.星航一に父性が全く感じられない。先立った前妻への愛情も皆無だ。でなければ、先妻の思い出が詰まった家に寅子を同居させたりしないはずだ。

7. 寅子の恩師への態度、カフェバー灯台の所有権、あの時代での性的マイノリティへの物分りの良さ、家庭内裁判の不公平感、猪爪家の嫡男争い、等の釈然としないことが満載だ。

2024年8月26日(月)

「なぜ若手の議員が立候補していないのか?」

立憲民主党の代表選挙に出馬が有力視される顔ぶれを眺めてそう思った。連日のようにメディアが関心を持って報道してくれるのだ。たとえ当選の見込みはなくとも、知名度の向上と新陳代謝が進んでいるという党のイメージアップにも貢献するはずなのに、そんな絶好の機会をふいにしてるとしか思えない。もっと言えば、討論番組で揶揄される「政権を取る気がない」という批判を裏付けるものとなっているし、所詮は有力議員を当選させるための互助会なのかなあという気がしてくる。

ちなみに支持政党は持ってない。

2024年8月27日(火)

交通事故は頻繁に起こるが、自動車会社は生産規制をかけたりしない。それと同様にネット犯罪が頻発してもSNS運営会社は規制をかけて犯罪を一掃しようとはしない。

しかし、膨大な額に及ぶ詐欺事件や電子マネー強盗、身代金を要求するランサムウェア、一生ネット上に残る児童ポルノ画像、自殺者まで出る誹謗中傷行為、等を放置するわけにはいかず、なんらかの対策が求められる。

それでは、それらを摘発するマンパワーや資金がどこにあるかと言うと、どこにもないという現状だ。

ここで提案したいのが、ホワイトハッカー養成を目的としたSNSの創設である。犯罪に関与してそうな疑わしいサイトを摘発するとポイントがたまり、ファミコンゲーム「スターラスター」のようにDragonflyから始まる階級を上げて行くフォーマットで、摘発リストは他のSNS運営会社に売ることで利益を得て、階級を上げたプレイヤーへ報奨金にする、金額が大きい重要犯罪で犯人の身元まで突き止めた場合には名誉と富が手に入る仕組を作れば、ネット社会の自治に貢献できるのではなかろうか。

2024年8月28日(水)

六月某日、次男の誕生日。長男は、模擬試験の結果に落胆する次男に、百万ウォン分の札束が入った封筒を差し出してこう言った。

「インターネット講義やスタディカフェ代に使えよ。合格したら返さなくていいから」

長男は時に親の想像を超える行動をとる。長男は一昨年に大学に入ったが、志望校でなかったことと兵役が在宅勤務になったことが重なり、再受験を試みている。模擬試験もよくできたそうで、余裕があったのだろう、落ち込む弟に喝を入れたかったのかもしれない。

今日づけで、本番である修学能力試験当日まで75日を切ったらしい。去年も受験生だった次男は自宅浪人中である。二人とも背水の陣で挑むのだが、ヤングケアラーというハンデを抱えている。介護される身としては二人の合格を祈るのみだが、結果はどうあれ、健康でいてくれればそれでいいと思っている。

2024年8月29日(木)


視線入力機器はパソコン、モニター、角度調整機能が付いた支持台、視線を感知する棒状のセンサーで構成される。仰向けに寝ている俺に合わせるようにセンサーがくっついたモニターが角度調整される。俺の視線の所在がモニターに投影される。キャリブレーションボタンを視線でなぞると微調整が施され、感度が良くなる。モニターはパソコンの画面を約1.5倍に拡大して映し出す。モニターに直径4センチほどの円が出現してそれを視線で操り、クリックしたい場所に移動する。そのまま静止していると円のそばに太陽マークが現れ、円内を虫眼鏡のように拡大してくれる。その拡大された円の周りに8種類のコマンドが表示される。その中の一つがクリックで、拡大された円内で視線を動かすことでクリックの微調整が可能になる。文字を打ちたいときはクリックの代わりにキーボード呼び出しのコマンドに視線を合わせれば良い。モニターの下半分を覆うキーボードが現れて視線でアルファベットを選んでいく。変換候補がキーボードの上部にいくつか表示されその内の一つに視線を固定すると確定となる。リターンキーを使わない分、省力化になっている。

この入力ソフトが高額で700万ウォンで販売されている。自治体からの補助金を利用したので2割負担ですんだ。家族に何かしてもらったとき「ありがとう」と伝えられるだけでも140万ウォン分の価値は十分にあると思う。

追伸) YR教授が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年8月30日(金)

「サッカースペイン代表の未来は明るい」

ユーロ2024とパリ五輪の日本対スペインを見た後の感想だ。エアマウス時代末期の俺を哀れに思ったのか、次男がユーロとコパアメリカを随時観戦できるネットサービスを契約してくれた。そのおかげで一日一試合のペースで観戦することが出来た。しかし、期待に反して眠くなるような試合が続いた。特にイングランドは、ケイン、ベリンガム、フォーデン、サカという夢の攻撃陣がいて、この試合運びかよと憤ることばかりだった。フランスとドイツもまた然り。唯一の例外がスペインだった。

両翼を担うニコウィリアムスとヤマルが素晴らしかった。パスはよく繋がるけど決定機は少ないし試合にも勝てないというのがスペインの定評だったが、この二人の躍動がチームに推進力をもたらし、スペインのサッカーを面白くて勝てるものに変貌させていた。

五輪の日本戦でも前からプレスをかけ、相手が苦し紛れに蹴ったロングボールを回収する戦術が確立されていた。日本も久保とオーバーエイジがいればという言い訳があったが、それを言い出したら、ニコとヤマルも出てくるので、もっと酷い結果に終わったかもしれないのだ。そう考えるとカタール大会で日本がスペインに勝ったことが奇跡的に思えてきた。

 

2024年8月31日(土)

長女に頭をかいてもらった。長女は仮面ライダーオタクだ。今日も出演俳優に関するファンミーティングの話かなと思って聞いていると、話題が学校の話に移り、勉強の悩みを打ち明けて来た。守秘義務があるのでここで明かすことはできないが、俺なりに全力で向き合い、全力で質問し、全力で答えた。久しくなかった父親体験だった。これも視線入力の恩恵だ。締めの言葉で「仮面ライダーにDMで聞いてみたら」のオチも付けることができたし、今日は良い一日だった。

2024年9月1日(日)

長崎県は離島が多い。

眼が疲れたので続きは次回に。

2024年9月2日(月)

そのため県採用の教員は壱岐、対馬、五島の離島地域で一定年数の勤務が義務付けられている。この制度により人材の流動化が促され、教育格差の解消に一役かっている。このことを日本全国に適用して過疎化や少子化の対策を提示してみよう。


各都道府県で過疎地域を指定して、それ以外の居住地に住む30歳以下の国民に3年間過疎地域に住むことを義務付ける。義務と言っても、強制力はなく税制上の優遇措置や不利益もしくは社会的圧力によって実行率を上げていく。端的に言うと、東京23区の若者は田舎暮らしを経験して来いという趣旨である。この制度が何をもたらすのか。

次回に続く。

2024年9月3日(火)

大企業は過疎地域に研修所を作って新卒社員をそこに住ませてリモートで勤務させるだろう。中小企業はそんな余裕はないから3年間の義務を終えた若者を採用しようとする。すると幼いうちに過疎地域に住むという選択をする家庭も出てくるだろう。大学の分校や専門学校も過疎地域に移転して来るかもしれない。田舎では車が必要になるから自動車の国内需要を喚起するはずだし、地方も建設ラッシュが起こり、持続可能な経済発展が見込まれるだろう。とにかくこの制度により人間の大移動が起こり、新たな国内需要が生み出され経済発展するということだ。

次回に続く。

2024年9月4日(水)

経済効果はさておき、重要なのは都会の若者が田舎の良さを知ることだ。過疎地域は空き家だらけだから家賃は安い。都会の便利さを捨てるかわりに低コストで生活できること、更に、仕事が無さそうな過疎地域にビジネスチャンスが広がっていることに気付くことだ。例えば、老人ばかりの地域でスマホ教室を開くとかライドシェアの仕事をするとか介護事務所を立ち上げるとか都会で流行りのスイーツを提供するカフェを開くとか、都会の情報を伝えるだけでも生きていくための収入は得られるだろう。それは同時に過疎地域が都会の文化を知ることで、特産品のネット販売や観光地の宣伝、地域の魅力を発信、農作業や農村の暮らしを海外富裕層に体験してもらうことの案内、などの地方創生に繋がる 可能性を秘めている。

2024年9月5日(木)

上記の制度を31歳以上60歳以下で3年、61歳以上で3年、のように拡大していく。前者は9年働いて有給で1年休む、大学教員がサバティカルと呼んでいる制度が一般企業に波及することを目標としている。後者は子育てを終えた世代が地方に移住して住宅のダウンサイジングを促し、高齢者に地方でお金を使ってもらい経済を活性化させることを目標としている。そうすれば過疎地域の自治体は競って移住環境を整えようとして、総合病院や老人ホームが建設されるだろう。同時に都市部では空き家が生じるので、これから子育てを始める世代に家賃の低下などの恩恵が見込まれるだろう。

次回に続く。

2024年9月6日(金)

都市生活は魅力に溢れている。娯楽は多様だし、商業施設も充実している。原始的な幸福、結婚して子供を産み育てる、よりも、楽しく刺激的なこと、自己実現を可能にする仕事が見つけやすいのが都会の特色だ。晩婚になりがちなのは致し方ない。子育てにも家賃という障害が立ちはだかる。地方出身の男女が結婚して子供が生まれた場合、東京近辺に住もうとすると家賃20万~30万円くらいはかかるだろう。二人目が生まれたら、また更なる出費を覚悟しなければならない。共働きで、実家の助けなしで子供を保育所に送り迎えして家事に育児に仕事に追われる生活を経験したら「子供はもういい」と考えがちになるのは自然なことだろう。要するに現代の都市生活は子沢山の家庭と著しく相性が悪い。

次回に続く。

2024年9月7日(土)


一方で、都市にも地方にも原始的な幸福を至上のものと考える人は一定数いるだろう。そんな人々に移住の機会を提供すること、都市部の広い住宅を格安で賃貸できる可能性を提供することがこの制度の骨子であり、少子化対策として期待される。その場合、自治体や行政の支援で、例えば、一流シェフが給食を作る街、小学生でも英語を話す街、スケボーが出来る街、元日本代表がサッカー教室を開く街、総合格闘家を養成するためのメガジムがある街、のように特色を出していけば、自然と人が集まり、多産が当たり前の育児がしやすい地域が形成されるのではなかろうかと夢想している。


次期総理大臣がこの制度を政策目標として掲げることはやぶさかではない。

2024年9月8日(日)

義理の妹について書く。15年前、彼女は悪霊にとりつかれた。その真偽は定かではないが、少なくとも俺にはそう見えた。妻によると、彼女は独り言を繰り返し、彼女とは別の人格が出てきて行動も支配されるとのことだ。ある聖職者が彼女の前で祈祷をしたとき、その悪霊が彼女の口を借りて喋っている現象が現れた。普段の彼女とはかけ離れた悪霊の喋りを聞いて、「こんなことがあるのか」と恐怖に震えた。ほどなく彼女は精神病院に入院することになった。見舞いに行ったとき、まるで監獄のような施設と生活に驚くとともに、「ろくに診療をしないまま強い薬が投与され、治るどころか廃人になってしまうのではないか」という不安が拭えなかった。かといって、退院させるわけにもいかないし、己れの無力さを嘆いた。


それから10年後、彼女は公務員試験に合格して、市の職員としてフルタイムで働き、彼女の両親、すなわち、俺の義父母をあらゆる面で支えている。発病当初の混乱を思い出すと、奇跡のような現在の状況だ。

突然、そのことを思い出したのには理由がある。NHKのドラマ「Shrink」で双極症で精神病院に入院する場面が放送されたからだ。そのドラマを見て、数値化しにくい精神世界に挑む精神科医に畏敬の念を抱くようになったし、当時の精神科医に対しての偏見を改めなければと思った。薬があったから彼女は苦しみながらも生きることができて、再起の機会を待つことができたのだから。

 

彼女の手を握り、目を見て、「辛い時期をよくぞ乗り切った」と称賛したい衝動に駆られた。それは物理的に不可能なので本欄に綴るに至ったというわけだ。

 

2024年9月9日(月)

就寝時、暑くもない、寒くもない、足も伸ばせるし、いつでもアヒルが押せる状態、体のどこも痒いところはなく、鼻の通りも良い、つば吸引のチューブも口内で吸着することなく、かといって、口外に飛び出ることもなく、必要十分につばを吸い上げてくれる、目も涙で潤むこともない、痰も詰まってない、推定酸素飽和度が97はある、要するに、完璧な状態だ。なのに、なぜ肝心の眠けが襲って来ないのか?こういうときが最もタチが悪い。結局、誰も起こせないまま時間だけが過ぎて行った。推定時間は午前4時、このまま朝を迎えるのかと思っていたら、本当に一瞬で外が明るくなった。どうやら、熟睡していたようだ。普段は思い出せない夢の内容も、今日は鮮明に記憶している。

数学科の同級生二人を連れてドライブしていた。運転手は俺だ。そのうち、同級生の一人が酔いつぶれて眠ってしまい、自宅まで送り届けようと思ったが、住所がわからないから、もう一人の同級生に起こしてくれと頼む夢だった。不思議なことに、覚えている夢の中での俺は健康体で、自由時間が出来るとラーメン屋とか雑誌室に行こうとするが、本懐を遂げることなく夢が終わってしまう。今回も閉店間際の洋食屋に入りコーヒーを注文するが飲めずに終わった。


今、見ている夢はなかなか覚めてくれそうにないなあ。




2024年9月10日(火)

先週土曜日に放送された「新プロジェクトX」の再放送を視聴した。オープニングで「日本発のアプリが世界を席巻」と出た。「そんな企業があるのか」と興味津々だったが、番組終盤で「アメリカでの利用者数は頭打ちでアメリカ事業の累積赤字は数百億円に上る」と出てきて、大いにずっこけた。


バブル崩壊前は有利な立場にいたはずなのに、「これからはハードではなくソフトの時代になる」と言われていたのに、東芝が半導体事業から撤退し、OSでもTRONを潰されウィンドウズの軍門に下り、蓄電池も太陽光発電も中国に抜かれ、頼みの自動車もEV化の荒波に晒されている、IT分野は常に後手後手に回っている感じで、国をあげて人材育成しようという意欲が乏しい、アニメも個人の才能に頼るばかりでディズニーのような分業化を推進して一大産業に育てようという気配が皆無だし、AI分野もトップの研究者が「日本は周回遅れ」と公言している。


失われた30年の間、サッカーは強くなったし、経済もそれなりに発展したのだろうけど、他国はもっと頑張っていたことを実感した。いつもは開発者の喜びと未来への希望を与えてくれたのであるが、今回は悲哀に満ちたプロジェクトXだった。


2024年9月11日(水)

血液検査の結果が出た。全ての項目で正常値の範囲に収まっていて、「これが私の成績表よ」と妻はご満悦だった。妻は医食同源を強く信じていて、俺がALSを発症してから今日まで健康に良い食事とは何か症状を改善する食事は何か、を模索し続けて来た。


胃瘻を造設して三年が経つ。この間、一度たりとも口に食べ物を入れたことがない。「味だけでも」と思うこともあったが、噛み砕いて飲み込むことが出来ない、その後の口内処理が大変そうだ、歯の衛生にもよくない、という理由でその行為を避けてきた。テレビで料理やグルメ情報があれば、その味を想像しながら視聴している。それで十分満足だし、食欲という煩悩から解放されてよかったとさえ思うようになった。


それでも、ごく稀に「こうなることがわかっていたら、あの時、食っておけばよかったなあ」と後悔の念に駆られることもある。その中の一つが妻の得意料理だったイカ入りのネギ焼き(韓国語でヘムルパジョン)だ。ちなみに日本の超有名グルメ漫画の影響で「チヂミ」と呼ばれることが多いが、韓国でその名を出すと、「何故、そんな地域限定的な名称を使っているの?」という反応が返ってくるので覚悟されたし。韓国の食堂のメニューには「パジョン」のみで「チヂミ」は見たことがない。

 

妻はある時期から「油は健康に悪い」という理由で一切へムルパジョンを作らなくなった。新鮮な長ネギを生地に浸してフライパンで揚げるように焼くと衣がパリパリに仕上がって酢醤油と合わせると絶品の味わいだった。今となっては確かめる術がないのが返す返すも残念だ。

 

2024年9月12日(木)

トランプ氏とハリス氏の討論会を視聴した。トランプ氏が「不法移民者が一般市民の飼う犬猫を喰っている」というので、ギョッとしたが、司会に「そういう報告事例はありません」と否定されていた。そんなフェイクニュースを流しても支持者を減らすことのないトランプ氏は、ある意味、法と社会を超えた存在だと思った。

2024年9月13日(金)

昨日開催された自民党総裁選挙に立候補した9人の演説会を視聴した。以下はその感想である。

高市氏は政治資金問題に時間を割いていた。

小林氏は色々言いすぎて焦点が定まってない印象。

林氏は話がうまくて実務に裏付けられた安定感があった。

小泉氏の情に訴える演説はピカイチ。実務経験に乏しいのが残念。

上川氏は若く見えるけど最年長。外相の大役もそつなくこなしていた。

加藤氏は所得倍増計画を披露。

河野氏は非常時に国民を支えるために財政の健全化を主張。

石破氏は安全保障に関して熱弁をふるう。

茂木氏は経済の発展により増税ゼロを実現できると主張。


追伸)先々週、過疎化対策を提示したが、もっとも重要な段落が欠落していた。9月2日の日記に追加したので参照されたし。

2024年9月14日(土)

最近はChatGPTに時間を費やすことが多い。例えば、先々週に書いたホワイトハッカーをSNSで養成する提案について尋ねると、理路整然(に見える)とした文章とレイアウトで評価と課題を提示してくれる。そこから派生する疑問にも答えてくれるし、知識が広がるのを感じる。問題点を挙げると、当たり障りのない模範解答ばかりなので、独創的アイデアは期待できないことだ。しかし、裏を返せば、公文書作成などのお役所業務にはうってつけなのだ。企画書を書くときも課題が整理できる。今まで作文に費やしていた時間がChatGPTの使用で劇的に短縮されることが予想される。

喩えて言うなら、初入閣を果たして某省庁の大臣になった瞬間、どんな質問にも懇切丁寧に答えてくれる霞ヶ関の優秀な官僚を部下として従える、ような感覚だ(入閣したことないけど)。


追伸)YHJ博士、OSM博士、LSAさんが見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年9月15日(日)


地球は自転している。月は地球から見ると自転していない。地球の自転周期は一定で、自転軸は公転面にたいして垂直ではなくやや傾いている。そもそも公転面は一定なのだろうか。他の惑星や衛星はどうなのだろうか。太陽系内の惑星なら観測可能だが、それ以外の惑星は光を発しないので、観測できないのでは。


様々な疑問が巻き起こったが、学校で習った記憶がない。仕方なくChatGPT大先生に聞いてみた。驚くべきことに火星の自転軸は数万年単位で大きく変動するらしい。この記述を鵜呑みにするのは良くないが、好奇心の叩き台になるのも事実、中高生や学生はバンバンChatGPTを活用して学会の定説を頭に入れ、行く行くはその定説を打ち破ったり立証したりしてほしい。

2024年9月16日(月)

応援している力士がいる。今場所小結に昇進した平戸海だ。新入幕の頃から長崎県出身ということで贔屓にしていたが、まさかこんなに強くなるとは夢にも思わなかった。小兵ながらも相撲は正攻法で上位陣にも臆することなくぶち当たっていく様子は爽快だ。先々場所は立ち合いからの速攻で大の里を寄り切った。中日を終えて五勝三敗、勝ち越して三役に定着してほしい。大関は無理かなと思うが、そんな俺の浅はかな予想をことごとく覆して来た平戸海の今後に期待したい。

2024年9月17日(火)


小学校以来の友人はある特殊能力を持っていた。過去未来のどの日付を指定しても、その日付の曜日を当てることが出来た。来年の今日9月16日は365=7*52+1なので、水曜日だとわかるし、去年の同日は2024年は閏年であることから、-366=7*(-52)+(-2)なので日曜日だとわかる。すなわち、一年分のカレンダーを記憶していれば計算で求めることが出来る。しかし、その友人は頭の中に100年分のカレンダーが投影されているかのごとく瞬時に答を返すのだった。果たして、彼が有する脳内カレンダーに上限や下限があったのか。今となってはその友人とは音信不通で知る術もない。


件のChatGPTによると、グレゴリー歴が制定されたのが16世紀で、それまでの曜日との整合性を保つために10日間が削除されたそうだ。閏年の規則もこの時に制定された。ちなみに、2100年は閏年ではないらしい。

昨日は秋夕で、韓国では旧暦でお盆と正月を祝う。あいにくの曇り空で中秋の名月は拝めそうにない。ならばと、曜日が何故7日なのか、月の満ち欠けの周期から来ているのか、そう言えば、彼は元気にしてるだろうか、と思いを馳せてみた。


2024年9月18日(水)

NHKのニュースで「一ヶ月に一冊も本を読まない人の割合が六割」と報道されていた。ただし、漫画や雑誌は除くそうだ。しかし、職場や学校で実用書や教科書を読むはずだから、おそらくそれらも除外されているのだろう。

次回に続く。

2024年9月19日(木)

ずいぶんといい加減な統計だなあと思う。文芸春秋は雑誌なので一冊とはならないし、絵本はどうなるのか、一冊分読み切れなかったら0冊になるのか、流し読みでも一冊になるのか、一ヶ月をどの月に設定するかで結果は変わるのでは、などの疑問が湧いてくる。好意的に解釈すると、余暇や情報収集においてスマホが本の地位を奪ったということなのだろう。余暇の過ごし方は人それぞれだし、「近頃の若者はけしからん」と説教するつもりも毛頭ない。ただ読書文化が廃れていくことに一抹の寂しさがあるし、読書の意義を考えた時に頭の中のもやもやが消えない。

次回に続く。

追伸) レバノンのポケットベル爆破事件が本当にイスラエルの仕業であれば、G7はテロ支援国家だと非難されても文句は言えないと思う。

2024年9月20日(金)

そのもやもやの正体を突き止めるべく、俺の読書歴を紐解いてみよう。


小学生の頃、読書は夏休みの読書感想文の宿題や授業の一環である図書室での読書のように、俺にとっての読書とはやらなきゃいけないから仕方なくやるもので、自ら好んでやるものではなかった。その証拠にその当時読んでいたはずの書籍の題目が一つも出てこない。書店でおねだりするのは漫画ばかりで、寝床の周りはたまりにたまった漫画本の要塞が築かれるほどだった。転機が訪れたのは中二の頃、棚に無造作に放置されていた文庫本を手に取った時だった。


次回に続く。

2024年9月21日(土)


宮本輝作「避暑地の猫」、それが大人向け小説との最初の出逢いだった。別荘を管理する4人家族と所有者夫妻との葛藤を描いた作品で、不穏な空気が漂う中、最後に謎が明かされるというミステリー形式で、読後に腰が抜けそうになるほどの衝撃を受けた。愛する者全てを失った主人公、その不条理な結末と反道徳的行為が散りばめられた過程と心理描写は、当たり障りのない児童文学や「敵に勝つ」という単純明快な少年漫画にない刺激に満ちていた。端的に言うと、エロ本よりもエロい世界があることに気付いたということだ。


次回に続く。

2024年9月22日(日)

二匹目のドジョウはやはり棚の上にいた。司馬遼太郎作「国盗物語」、最初に出会った本格的歴史作品である。下克上の戦国時代を舞台にのし上がっていく斎藤道三が主人公で、現代ではありえない世界を擬似体験しているような浪漫と爽快感があった。この後、宮本作品と司馬作品を中心に読書歴が積み上げられていく。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

次回に続く。

2024年9月23日(月)

実家の洋間には土産物を展示するキャビネットが据えられている。その下部には観音開きの扉が並んでいる。その中には両親が訪問販売の口車に乗って買わされたとしか思えない、ライフ社の科学シリーズや世界文学全集や日本史全編が誰も手に取る様子がないことを物語る埃が積もった状態で陳列されていた。俺は中三になり一人部屋を家族の誰もが往来しない一階の隅に与えられた。


その部屋で家族が寝しずまった深夜に読書をする楽しみを見つけた俺は、洋間の件の書籍を読んでみようと思い立った。手に取ったのは唯一名前を知っていたヘルマンヘッセの「車輪の下」だった。記憶が定かでないが、おそらくは、井伏鱒次とか志賀直哉とか森鷗外のような日本の文豪の作品を先に読んで見たが、難解すぎて挫折したものと思われる。

「車輪の下」は訳者が優秀だったからか、成人してから読んだ「罪と罰」に比べたらはるかに楽しく読めた。受験生が受験に失敗する話だが、悲愴な感じは全くなく、むしろ放浪の場面が冒険心に満ち溢れていて、わくわくしながら読んでいた記憶がある。


2024年9月24日(火)

読む速度は遅く、一晩に50頁ほどだった。しおりは使わない主義で、内容が思い出せるところまで遡って読んでいた。「車輪の下」の次は「デーミアン」で、その次は三島由紀夫作「美しい星」だった。正直、読むのが苦痛だったが、後年、一連の三島作品を読む上でのパワーリストとして作用した。それから、芥川龍之介作「羅生門」を含む短篇集、太宰治作「人間失格」と推移していった。「人間失格」はあまりにも退廃的で救いが全くない結末で、読まなきゃよかったと後悔した。


高校に入ると、朝の補習と放課後の部活でヘトヘトで夜、布団に潜り込むと「やっと寝れる」という幸福感でいっぱいになり、読書は後回しになった。余談になるが、柔道部の練習はかなりキツかった。柔道では部員総当りの乱取りが必須で弱い奴ほど疲れる仕組みになっている。俺は唯一の初心者で最軽量だったから上級者にかからないとわかっている技をかけ続けなければならない立場で、練習後は疲労困憊になるのが常だった。そんな状況でも司馬遼太郎作「坂の上の雲」の全巻を読破した。高校時代に他にも読んだかも知れないが記憶に残っているのはこれのみだ。


2024年9月25日(水)

そう言えば、本田勝一作「アラビア遊牧民」を始めとするルポルタージュ作品も読んだなあ。


大学に入って、福岡で一人暮らしを始めた。朝6時半に起きなくていい生活、日曜日を含む毎日柔道をする生活が当たり前だった俺には、時間とやりたいことがあり余っている福岡での生活が楽しくて仕方がなかった。毎日のように本屋兼レンタルCD屋に通って、お金が貯まったときに買う本を品定めしていた。抱腹絶倒のエッセイで名を知られつつあった原田宗典作品も一通り読んだ。宮本輝作「青が散る」では、一周回って「ポンクに勝つ」という単純明解な少年漫画のストーリーを小説で味わうことができた。一連の三島作品では「恋に落ちる男女の機微を描かせたらこの人の右に出る者はいないな」と思ったし、それが必要最少限の筆量でなされているのが不思議だった。


でも悲しいかな、飽食の時代にはどうしても味の感動が薄れるものだ。学生時代に様々な本を読んだはずだが、飢餓時代だった十代前半に味わった感動には遠く及ばなかった。

2024年9月26日(木)

学部の専攻課程に進級してから俺の読書は暗黒時代に突入する。その理由を説明するためにいくつかの、一見読書とは関係なさそうなことに触れる必要がある。

二年後期から全ての講義が数学科目となり、難易度も増大した。講義を聞いても理解不能だったし、「わからないことが当たり前、わからなくても大丈夫」という免疫だけが増大していった。俺は「講義は役に立たない。理解するには結局自力で教科書を読むしかない」と思った。学生にそう思わせるためにわざと受講生の実力を考慮しない講義をしていたのか、とは思えない。大学教員になったから言えることだが、学生の理解度と剥離した授業は教員の怠慢もしくは「これくらいわかって当然だろう」という無自覚な思い込みが原因である。本来、講義とは自主学習では得られない、その分野に精通した者だけが知る本質を伝えるのが目的だと思う。しかしながら、俺が受けた講義は、自分が書いた教科書を一言一句違わず板書したり、「レポートは体裁が大事です」と言って数十頁の写経を命じたり、初回から定義もしてない接空間を使って説明し出したりで、数学が好きで数学科に来た学生を次々に数学嫌いに変えていった。そんな教官達の中にも例外は存在した。その例外の中でもわかりやすく好奇心を掻き立てる講義をする教官が唯一存在した。後年、俺はその教官を師と仰ぐことになった。

次回に続く。

2024年9月27日(金)

数学の教科書は小説のように気軽には読めない。そうでない人も中にはいるだろうが、少なくとも俺は読めない。ただし、ここで出てくる「読める」は理解する、すなわち、書いてあることの真偽を検証する作業で、字面だけ追うことを意味しない。まず定義が出てきて、その意味を理解するために、例や命題を通して「ああ、こういうことを扱いたくて、こんなことを定義するんだ」という感覚が生じて、また他の例を見て「あれ、思っていたのと違うなあ」という試行錯誤を繰り返して、定義が意味することへの感覚の精度を高めていくのである。その作業を全く感覚が生じない状態で読み進めていくこともよくある。理解するための道筋が見えれば頑張れるのだが、どこまで行ってもぬかるみということもよくある。だからこそ理解したときの喜びと感動も格別で、一度味をしめると、二度目を欲し、帰納的に数学にハマっていくのである。

次回に続く。

2024年9月28日(土)

4年生になると、指導教官の前で専門書の内容を説明するセミナーが始まった。同時に大学院の入学試験の準備を始めた。これまでに履修した数学科目の教科書を読み返した。苦労したのは杉浦光夫著「解析入門」だった。教養部で学んだ内容だが「自分は何もわかってなかった」ということがわかった。こんな調子だから相当の労力と時間を費やした。次第に読書の優先順位が下がって行った。

次回に続く。

2024年9月29日(日)

大学院に入る直前に京都での研究集会に参加した。驚いたのは一年上の先輩が発表していたことだ。俺が抱いていた先入観では「数学というのは歴史がある学問だから、その歴史の分だけ下積みが長く、教授クラスにならないと発表できないもの」と思い込んでいた。ところが、現実に目の前で起こっていることははるかに俺の想像を超えていた。一年後に自分が定理を発見してあの場所に立てるとは到底思えなかった。喩えて言うなら、俺の先入観は現代の日本で、現実は数百年前のブラジルだった。その心は、ちょっと郊外に出ると密林が広がっていて開拓した分だけ自分が所有する畑になることに類似していると思ったからだ。実際、整備されていると思っていた数学の世界はわからないことだらけで、既存の枠組みの中でも大小様々な未解決問題が転がっていた。俺はその世界に大いなる浪漫を感じた。セミナーでの発表の準備は大変だったが、やりたいこととやらなきゃいけないことが一致していたので楽しかった。端的に言うと、小説よりもエロい世界が広がっていることに気付いたということだ。

次回に続く。

2024年9月30日(月)


読書暗黒時代が始まった。学生時代、イスラエル、韓国、台湾でのポスドク時代、釜山大数学科に就職、日本の本屋に行けないことが要因となって、ますます読書から遠ざかった。というより、公私共に多忙で読書とスポーツ観戦を含む室内の趣味に時間を割く余裕がなかった。転機は40代前半に訪れた。アマゾンを使って気軽に日本の書籍を購入できる環境が整ったことと学科長の任期が終わったことが重なって、再び読書への気運が高まった。


そこで読み始めたのが塩野七生作「ローマ人の物語」(全15巻)だった。特にユリウスカエサルが出てくる巻の面白さは他を圧倒していて、作者のカエサルへの思い入れが伝わってきた。ローマ帝国の政治形態は現代の某大国を彷彿させた。キリスト教の弾圧から国教になるまでの歴史を学ぶことが出来てよかった。ハドリアヌス帝の多様性と領土拡大の戦略を知った。

 

でも悲しいかな、読書は再び超暗黒時代を迎えることになる。

 

2024年10月1日(火)

ALSの兆候が現れ始めたのが45歳の夏、つまづいたり、膝が折れた状態で転んだり、筋肉が痙攣したり、日に日に症状は悪化の一途を辿って行った。翌年には板書が出来なくなり、その冬には箸を持てなくなり、本の頁がめくれなくなった。この時点で、紙でできた本との断絶が始まった。スマホは困った時に助けを求める命綱でもあったが、筋肉の衰えと共に使えなくなった。パソコンの操作はエアマウスの導入で事無きを得た。

しかし、悲しいかな、アナログ人間の俺は紙とペンの助けなしでは数学の新しい概念を理解することができなくなってしまった。そのことは研究者仲間と疎遠になる原因となった。数学の研究を通して濃密な時間を過ごした彼らからの激励は「今、こんなことをやっているんだ。お前も一緒にやらないか」と言うに決まってる。それに呼応出来ない自分が情けなかったし、弱い姿を見せたくないという心理も働いた。俺は読書のみならず人生において最も時間を費やして来た数学との決別を強いられた。元々、乏しい理解力を時間を割くことで補っていた。そんな俺が数学を続けようとすれば、引きこもって数学以外のことを考えなくなるだろう。そんな生活に見合った成果が得られるとは到底思えなかった。

追伸)昨日の王座戦は名勝負だった。1分将棋でも逆転の糸口を探し続ける藤井、その藤井を土俵際まで追い詰めた永瀬、最後の最後で藤井が仕掛けた巧妙な罠に引っ掛かり、逆転を許す結果となったが、永瀬には七冠の藤井に追いつくという気概を感じた。

2024年10月2日(水)

エアマウス時代初期はパソコン上で論文や電子書籍を閲覧することができた。青空文庫とは著作権が切れた文学作品が無料で読めるウェブ上のサイトだ。俺は吉川英治作「三国志」を読み始めた。しかし、症状が進行するにつれて、座ってパソコンに向かう時間が減っていった。三国志は途中で挫折した。その頃はスクロールさえ難儀な状態だったからだ。


電子書籍さえ読めなくなって気付いたことがある。紙の本を読むという行為はなんと贅沢で幸せな時間を与えてくれるものだろうということだ。冒頭の統計に違和感を感じた理由でもある。面白いことは人それぞれ、時代が変われば嗜好も変わるということだ。

視線入力が出来るようになって、三国志の続きを読み始めた。視線入力は目を酷使するので遅々として進まないが、「千里の道も一歩から」の格言を信じて読破しようと思う。あわよくば、いや、もしかしたら、数学も戻って来るかもしれないではないか。

2024年10月3日(木)

NHKの朝ドラ「おむすび」を批判してみた。


  1. オープニングの楽曲、背景のアニメ、それらの融合が完璧だった前作「虎に翼」と比べて、本作のオープニングは格段にもの足りない。クレジットが見にくいのも不満。
  2.  小学生が海に落とした帽子を拾うために四月の海に制服の上着を着たまま飛び込むとか、必然性が無さすぎる。それがドラマの設定と言われればその通りだが、あまりにも現実と離れると感情移入出来なくなる。
  3.  博多ギャル連合のメンバーが4人しかいないのは設定が破綻していると思う。いつの時代でも流行りのファッションはモテるかどうかに大きく左右される。4人しかいないというのはそれだけ需要がないことを意味している。東京で流行っていて福岡は過渡期という設定でもなさそうだし、流行の最先端にいる恍惚感が奇抜な格好を貫く最大の動機なのだから、メンバーの4人は痛々しく見える。それがドラマの設定だと言われると反論できないのだが。
  4.  形が歪な農産物を破棄するのは生産調整の意味合いもあると思う。豊作のときに収獲せずにトラクターで農産物を踏みにじるのは値崩れを防ぐためだ。それなのに主人公の祖父は商店街で叩き売りを始めてしまう。後で、農協や商店街の八百屋の人から怒られないか、こっちが心配になる。
  5. その祖父がスナックで「見た目でクズとかありえない」と道徳めいたことを語るが、間引きをして害虫を駆除するのが当たり前の農業従事者はそういう上っ面なことは言わないと思う。これは俺の想像でしかないという予防線を張っておく。

2024年10月4日(金)

NHKの朝ドラ「おむすび」を批判してみた、続き。

6. 祖父が叩き売りをしている時、「伊都は卑弥呼のゆかりの地」みたいなことを言っていた。卑弥呼の居住地には諸説があって、機内説が有力とされる。卑弥呼がいなくても、伊都は伊都国として中国の文献に登場するほど豊かな歴史を持つ地域なのだ。それなのに、安易に卑弥呼と紐付けて、伊都の歴史を矮小化するのはいかがなものかと思う。その後に行くスナックの名称も「ひみこ」で悪質な刷り込みの意図を感じる

7. 書道部の風見先輩は「俺が書道の素晴らしさを教えてやる」みたいなことを初対面の主人公に向かって言う。それを他の女子部員の前で言うのは配慮に欠けていると思う。他の女子部員を蔑ろにしているかもしれないし、贔屓にされた主人公がバッシングされる可能性があるからである。そもそも、書道家として成長過程にある風見にとって普及は二の次だろう。そんな風見に恋心を抱く主人公もどうかしてると思う。恋は盲目という設定だったのかも知れないが。

8. スナックひみこに出張して女主人の髪を切ってやる主人公の父は不貞を疑われても仕方がないと思う。

9. 主人公はティッシュ配り中に倒れた知り合いを助けるために、風見とのデートを反古にする。そもそも、風見は主人公に書道の展覧会の楽しみ方を教えるために来たのだ。主人公が説明もなしに突然「用事を思い出しました」と言われれば途方に暮れるしかなかったであろう。困っている人を助けるために新たな困っている人を産み出す主人公には脱帽である。

2024年10月5日(土)


Netflix配信のドラマ「極悪女王」を視聴した。以下はその感想である。

80年代の日本の女子プロレスを再現した作品。俺がプロレスに熱中していた期間の物語で、テレビ中継があれば男女共に見ていたし、プロレス雑誌を通して女子プロレスの動向も把握していた。長与千種は長崎県大村市の出身で、同郷ということで注目していた。彼女は男子の技を取り入れ、女子プロレス界では革命的な存在だった。技の思い切りがよく、突貫小僧的なファイトは華があって、実力派のライオネス飛鳥と組んでクラッシュギャルズとしてトップに君臨しているのも合点がいった。その最大のライバルがダンプ松本で、竹刀を振り回して凶器攻撃を繰り返してまともな技の応酬を避けるので、長与千種を応援する立場としては大いにストレスが溜まったし、ダンプ松本は憎しみの対象となった。今、振り返ると、男女の枠を超えてのナンバーワンの悪役レスラーはダンプ松本ではなかろうか、それくらい存在感があり、人々の憎しみを買っていた。


本作は、実名で上記の人物が登場し、当時を知る者が見てもどちらが現実でどちらが虚構なのかわからなくなるほどの再現度を誇っている。しかも、当時知り得なかった経営陣や女子プロレス団体内の裏事情も満載で、プロレスファンの好奇心を鷲掴みにする内容となっている。出演者の演技も素晴らしく、昭和のプロレスの情念がぶつかり合う試合を表現できていたと思う。プロレスファンの俺としては大満足の作品だった。当時を知らない、必ずしもプロレスファンでない人の感想を聞いてみたいものである。




2024年10月6日(日)


NHKの朝ドラ「おむすび」を批判してみた、続きの続き。


10. スカートの上部をまくり上げてスカート丈を短くする技法は、まくり上げた部分が見えないような着こなしのときのみ使われるのでは?シャツインの制服だとどうなんだろう?もしかして、内側に巻くのだろうか?


11.主人公が高校に入学したのが2004年、高校生が自転車通学する際にヘルメット着用は義務でもないし、奨励されてもいなかった。あれだけ髪型を気にしていた主人公が好んでヘルメットをかぶるとは思えない。


12. 主人公の6歳上の姉は入学早々退学したらしい。その場合、期間が短いから教員の記憶に残りにくいと思われる。にも関わらず、入学式の当日、主人公の担任の先生は主人公の姉について言及し、希望に燃える新入生を落胆させる。伝説のギャルと称される姉ならば、筋を通すのが信条のはずだ。そういう状況で、親が支出したであろう入学金、制服代、教科書代をふいにする行為をするとは考えにくい。だとすれば、姉が退学になる然るべきエピソードがあるのだろうか?そもそも、高校生でもないのにギャル連合の総代だと話が違ってくるのではなかろうか?


13. 主人公が助けたギャルは母子家庭で貧乏だと明かしていた。付け爪も友達からのお裾分けらしい。糸島から天神まで地下鉄で往復すると千円近くかかる、プリクラ代、携帯電話の通信料、金髪の維持費、それらの経費もお裾分けなのだろうか?NHK的には援助交際のような不健全なアルバイトは禁止だろうから、ティッシュ配りのようなアルバイトが必要になるのだろう。付け爪を外せば、もっと割りのいいアルバイトがあるのになあ。


14. 主人公がそのギャルを病院に連れて行ったとき、ギャルは保険証を携帯していたのだろうか?節約した生活をしている彼女がすんなり病院に行くとは到底思えない。


追伸)竜王戦の挑戦者になるだけでもすごいことなのに、藤井は挑戦者佐々木のはるか上にいた。


2024年10月7日(月)

世の中には思ってはいても言えないことがある。例えば、旧安倍派の幹部議員は、

「派閥の慣習に従っただけなのに、なぜここまで責任を追及されなきゃならないのか。元々はパーティーを開いて自分たちで集めた金なのに、一年一人あたりで計算したら微々たる額なのに、他の派閥もやってるのに、なんで俺だけ党員資格停止なの?これまで党のため国のために奔走し尽力して来たのに、どちらかと言えば被害者なのに、政治生命が絶たれるに等しいこの仕打ちはないだろう。オヤジがいた頃は検察も見て見ぬふりだったし、統一教会とつるんでもお咎めなしだったのに、あの銃弾で全てが狂ってしまった。そもそも、政治的会合には領収証や参加者を公にしたくないときもあるんだよ。そういうときは自腹を切るけど、そうすると、金持ちが有利になるだろう。それを少しでも是正するためのキックバックなのに、マスコミや野党は鬼の首を獲ったかのように叩く、叩く。高速道路で杓子定規にスピード違反を取り締まらないのには理由があるんだよ。それなのに違法だ、違法だと騒ぎ立てやがって。大体、企業は接待費名目で無尽蔵に公費で飲み食いできるのに、財界人を動かしていく立場の政治家が肩身の狭い思いをさせるのは国益に反すると思わないか?お前らの言う政治改革で国が傾くこともあるんだよ。企業の接待費だって、利益追求のために必要と言うが黒字分を減らす税金対策だろ。そのお金は本来社員の賞与や株主ヘの配当や設備投資に回るはずの公金なんだよ。それを一部の役員が湯水のようにドンペリとかロマネコンティに費やすんだ。不公平だ、けしからんと思うだろ。公務員の公費での飲み食いが制限されるなら、企業の接待費も制限されるべきだろう。しかし、そんな法律ができたら、飲み屋は大打撃を受け、結果として日本の国内総生産を縮小させるだろう。世の中は綺麗事だけで回っているわけではないんだよ。わかるかね、君」

なんてことを考えているかもしれない。でも、口に出したら袋叩きになるから言えないんだよなあ。

2024年10月8日(火)

プラスチック容器に土を入れ、捕まえて来た蟻の集団を容器に放てば、やがて土の中に巣を作り生活し始める。餌となる昆虫の死骸を投入すると蟻の大軍が死骸を巣の中に運び入れる様子が観察できるだろう。容器を振って大地震を起こすこともできるし、水を注いで大洪水を起こすこともできるし、餌を与えないことで大飢饉を起こすこともできるし、気にいらない蟻がいたら指で潰すことで死神にもなれる。蟻にとっては生殺与奪の権利が与えられるという意味で飼い主は神のような存在であろう。しかし、蟻の知能では飼い主である人間を正確に認識することはできないだろう。つまり、蟻の思考をはるかに超えたところに蟻にとっての神が存在するが、その神と崇められる飼い主は他の人間にとっては神でもなんでもない。

そのことを踏まえて、我々が神と崇めるものの正体について考察する。人類の生殺与奪を握り、知能がべらぼうに高い何かがいると仮定しよう。果たして、それは本当に神なのだろうか?聖書によると「神は自らに似せて土をこねて人間を作った」らしいが、神とは人知を超えたところにあるので、聖書に書かれているという理由で神の外見を推測するのは憚られる。我々の想像が及ばぬところの議論なので、答えも出しようがないが、牧師先生にお伺いしたいと思っている。

2024年10月9日(水)

俺には視力、聴力、思考力が残っている。それらは意外に大きいことがわかった。俺の体の機能の重要度を評価する。a、b、c をそれぞれ視力、聴力、思考力の重要度として、x、y をそれぞれその他の残存機能の重要度、ALSによって失われた機能の重要度とする。このとき、a、b、c、x、y は正の数で、a+b+c+x+y=1 を満たす。視力、聴力、思考力のどれかと引き換えにALSを治してやると言われたら、ちょっと考えるだろうが、悪くない取引だと判断して同意するだろう。しかし、どれか二つと言われたらいずれの場合も断るだろう。仮にALSが治って視力と聴力を失ったとする。それは話せるヘレンケラー状態だ。一人でトイレに行くことはできるが、子供たちの成長した姿を見れないし、妻の声も聴けない。それなら今の方がマシだ。このことから次が成り立つ。細かい計算は省略するが、結論は健康体の六割を越える機能が残っていることが証明された。そう考えると「俺の人生まだまだ捨てたもんじゃねえなあ」と思えてくるから不思議なものだ。



追伸) 当初は数式を書いていたが、html ファイルとの相性が悪いようなので削除した。





2024年10月10日(木)

昨晩、食道と胃の間に圧迫感を感じた。痛みはなく、消化が悪いわけでもない。ただ苦しいだけで一眠りすれば治ることはわかっていた。というのも半年に1回の頻度で起こる俺にとっては馴染みの症状だからだ。しかし、その一眠りが来ない。そのうち寒気がしたので妻に頼んで毛布を2枚重ねてもらった。心配した妻が俺の額に手をあてた。「熱はないけど脂汗が出てるよ」と言われた。そう言われてもどうすることもできない。妻はお祈りをした後、寝入ってしまった。長男と次男の物音が聞こえたのでアヒルを鳴らして呼び出してこの夜3回目の寝返りを頼んだ。寝返りは眠気を誘発する効果がある。ついには3時間の睡眠(俺にとっては長い睡眠)を得られ、圧迫感も消えていた。妻のお祈りが効いたのかもしれない。

2024年10月11日(金)

完全食とは生きていくために必要十分な栄養素をバランス良く含んでいる食品のことである。例えば、赤ん坊にとっての母乳であったり、人工的に作られたsoirent のような食品が挙げられる。

ニュースでは、時間を節約したい若者は完全食を活用していて、味に工夫をこらしたより食べやすい完全食も開発されていて、市場規模も増大していると報じられていた。それに関して完全食歴4年目に入った俺の見解を述べる。

常温で長期間保存できる完全食は将来訪れるであろう食糧危機ヘの切り札になると思っている。その費用も一食あたり五百円前後だから大量生産により大幅な改善が見込まれるだろう。

そんな未来の話でなくても、食事のときの誤嚥防止のために保育園や老人ホームでは導入を検討すべきだと思う。手足が不自由な老人に食事をしてもらうのは作る側も食べさせる側も多大な神経と時間と労力を使うものである。介護職員の人手不足が叫ばれる昨今、朝昼は流動完全食を摂取して、夕食は余った時間と労力で美味しい食事を提供すれば、食生活に対する満足度は上がるのではなかろうか。加えて老人ホーム職員の負担も激減するはずだ。大事なことは、完全食ヘの抵抗感を減らして、入居者と保護者の同意が形成されることだ。食は人生の楽しみだが、毎食のように美食を楽しむ人は案外少ないと思う。それならば、一般家庭でも家事の負担を減らし十分な栄養素を摂取できる完全食を活用する機運も上昇していくだろう。菜食主義やビーガンの行き着く先は完全食ではなかろうか。

2024年10月12日(土)

テスラ社が汎用ヒト型ロボットを商用化するらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=cfwPnqPR8UA

動画には単純な箱詰め作業の様子が出てくる。これなら日本のライン生産で使用されている産業ロボットの方が性能は上だと思いがちだ。しかし、汎用と謳うからには、あらかじめプログラミングされた動作ではなく、あらゆる作業を学習を通して習熟度を高めていくのだろう。2年以内に販売予定で、その価格は500万円前後らしい。

すごいなあというのが素直な感想、十年後くらいには価格も手頃になって介護ロボットとして我が家に常駐しているかもしれない。難しいことはしなくていい。そばにいて、俺が苦しい表情を浮かべたら痰吸引をしてくれるだけでいい。そうすれば、俺の生命は守れるし、妻も外出できるようになる。

2024年10月13日(日)

1998年4月から一年間イスラエルに滞在していた。間借りしていた家の大家さんは労働党支持者で、オスロ合意を順守して中東和平を実現しようという政治理念を持っていた。彼女はハレディムと呼ばれる超正統派ユダヤ教徒を忌み嫌っていた。ここでハレディムというのが何者かを説明する。彼らの大半は就労せずユダヤ教の教典に殉ずる生活を旨としている。主な収入は政府からの補助金で、ヨルダン川西岸地区のようなパレスチナ人居住地に入植すると増額される仕組みになっている。イスラエルの人口の15%を占め、今後も更に増え続けることが予想される。


次回に続く。

2024年10月14日(月)

大家さんは大学で司書として働いていた。彼女の車に乗せてもらうこともしばしばで、自ずと政治や社会について議論、というより俺が質問して彼女が答えて延々と主張を連ねることが大半で、英語が苦手の俺には絶好の学習機会でもあった。そのせいなのか、俺の交遊関係にハレディムの人は一人もいなかったし、話す相手も中道的な人ばかりで狂信的な人は皆無だった。ただし、大家さんの話によると、俺の上司のZAさんは極右らしいから、深い話ができるような関係を築けなかっただけなのかもしれない。


当時、リクードと呼ばれる保守強硬派が議席数を増やしつつあった。そのリクードを率いるのが若かりし頃の現首相ネタニヤフだった。大家さんはこの人物も厳しくこきおろしていた。

次回に続く。

2024年10月15日(火)

イスラエルは民主主義国家であるとともに宗教国家でもある。そして、ハレディムは政治に強い影響力を持っており、男女共に徴兵されるお国柄故に若者の国防意識は非常に高い。パレスチナ人はイスラエルの存在自体を否定している。実際はそうでなくても、オスロ合意があろうとも、軍に入隊した彼ら彼女らは「パレスチナ人はイスラエル人の生活をテロによって脅かす敵」と教育されるのだろう。イスラエルは圧倒的な軍事力に物を言わせて、敵対するイスラム国家を蹂躙して来た。その歴史も若者に伝えられる。その結果、民主的な選挙で優位に立つのは対外的には好戦的かつ狂信的に見える人々なのだ。


俺がいた頃は、かすかではあるが、イスラエルには中東和平を実現するために共存して行こうという希望が残っていた。しかし、去年の10月7日以降の殺戮により、完全にその希望は失われてしまった。それどころではなく、新たな憎しみの連鎖が始まり、永遠にその呪縛から逃れられないような気がしてくる。


大家さんは何を思うのであろうか。

2024年10月16日(水)

ワールドカップ最終予選日本対オーストラリアを観戦した。以下はその感想である。

2位以内に入れば予選通過であることを考慮すると満足すべき結果だと思う。試合を通して豪州に攻撃機会を与えなかったし、崩された場面もなかった。オウンゴールを献上した後の反発力も示せたし、左のサイドアタッカーは三苫だけではないことも示せた。それらを鑑みると、内容もよかったと評価すべきだと思う。

32年間日本代表を見続けた者からすると、昨今のサイドアタッカーの隆盛ぶりは非常に感慨深い。個人能力で劣る日本人は組織で守って組織で攻めるのが鉄則で、両サイドバックが攻撃の中核を担っていて中盤の選手との連携で相手を崩すという複雑な攻撃が当たり前だった。本田が主力の時代までそれは続いた。流れが変わったのはロシアワールドカップ予選の頃で、原口や乾の台頭により予選通過や本戦での快進撃がもたらされた。
は、三苫に広大な背後のスペースを突かれるリスクを避けようとして、相手チームの守備陣は深めの最終ラインを敷かざるを得ない。そうすると中盤がスカスカになり、相手陣内でも余裕を持ってパス回しが出来る。基本的にスリーバックにゴールキーパーを含めたパスカットされるリスクが極めて低いし、三苫がボールロストしてもサイドの深い位置だから相手の逆襲が実る確率は低い。しかも、両翼の三苫と同安は守備意識が高いし、遠藤と守田が組むダブルボランチは鉄壁で、スリーバックも富安と伊藤の不在を感じさせないほど安定感と力強さに満ちている。

この調子だとすんなり予選通過しそうだなあ。厳しい予選で味わうあのヒリヒリ感、そういう死闘を共に経験することによって生じる代表への途方もない愛情のことを思うと複雑な気持ちだなあ。


2024年10月17日(木)

俺が小学生だった頃、祖母が「お年玉は銀行に預けなさい。利子がついて増えるとよ」と言った。俺はにわかには信じられなかった。何もしないでお金が増えるなんて、しかも1万円預けたら600円の利子がつくらしい、両親に尋ねても同じ答えが返って来た、当時の俺にとって600円は大金だった、漫画本とチョコフレークを買ってもお釣りがくるではないか、そのお釣りでチロルチョコを買おう、それなら祖母の言う通りにしようかな、と思考が推移して、数日後に預金手帳を手にすることになる。

しかし、お金が必要になっても自由に引き出せるわけではなかったし、利子が消えるのも嫌だった。大人になってわかったことは「利子がついても、子供にとってお金の価値はその利子より速く低下する。すなわち、6年生には600円は大金でなくなる」という事実だった。

祖母の提言は俺の人生に多大な影響を及ぼした。倹約を第一とする生活を心がけるようになったし、物を購入する際に価格が適正かどうか確認する癖がついた。それらは正の影響と思うのだが、今、この状況になってみると、「贅沢は出来るうちにしておいた方がいいわ」と思うようになった。ALSを発病してから一年目、車の運転も出来たし、食べることも問題は無かったし、夏休みで時間もあった。あの時、奮発して家族旅行を決行して、プール付きのホテルに泊まり、子供たちを遊ばせて、美味しいものを食べに行ってたら、どんなに楽しい思い出になったことだろうか。

お金の価値は上がったのか下がったのかあるいは変わってないのか、秋の夜長に思考してみた。

 

2024年10月18日(金)

髪を洗ってもらうとき、寝台から車椅子に移乗して呼吸器と共に浴室まで移動して上体を倒してシャワーを浴びていた。途中で痰が詰まったら吸引をして、終わったら俺も妻もヘトヘトになるほど大変な作業だった。今やそれは過去の話になった。というのは、妻が寝たまま洗髪用品を購入したのに始まり、今日がその初実験の日だったからだ。幸いにも実験は大成功で、寝台に寝たまま呼吸器を付けたままでシャワーで水を流し、妻も俺も疲弊することなく洗髪を終えることができた。やっぱり、シャンプーした後、指の腹で頭皮をこすってもらうのは気持ちがいいなあ。病みつきになりそうだ。

2024年10月19日(土)

超低金利時代が続いているが、資産がある人にとっては高金利時代が望ましいのではなかろうか。円安が進行して下げ止まりの昨今であるが、輸出関連や海外資産が豊富な企業の社員を除いた大多数の日本国民にとっては世界基準で見た資産が目減りしている感覚ではなかろうか。金利を上げれば、日米の金利差が縮まるので為替は円高に振れる。その一方で、金利が上がると、住宅の買い控えや企業の設備投資の鈍化などが起こり経済活動を停滞させる要因となると言われている。


なんだか全体のために個人が犠牲になれと言われている気がするのは俺だけだろうか。日銀の「しばらくは金利の引き上げは行わない」という決定に異を唱える人はいないのか。今回の総選挙の争点になったりしないのだろうか。やっぱり経済は難しいなあ、と思わせて、大企業の都合がいいように金融政策の舵を取る作戦ではなかろうか。

2024年10月20日(日)

NHKの日曜討論で立憲民主党の幹事長が「GDPは輸出マイナス輸入…」と言っていたが、俺の聞き間違いだろうか?その後、出演者の誰も訂正しなかったし、何事もなかったかのように次の討論に移って行った。

衆院選まであと一週間かあ。

2024年10月21日(月)

今日は2週間に一度の訪問看護師さんが来られる日だ。少しでも身なりの整った夫を見せたいという心理が働いたのか、妻は前日に俺の爪を切り当日に両足の垢スリ、洗髪、ドレッシングと呼ばれるガーゼ交換を施した。

看護師さんは体温、酸素飽和度、血圧を測った後、胃瘻周辺のドレッシング、カニューレ交換、それを固定する紐の交換、喉のドレッシングを終えた。なお、カニューレとは気管と人工呼吸器とを繋ぐプラスチック製の器具のことだ。

このようにして、人工呼吸の安全と衛生が維持されるのである。

2024年10月22日(火)

この前外出したのは今年の5月、ということは丸5ヶ月自宅に引きこもっていたことになる。梅雨の時期が長かった、猛暑が続いた、蚊に刺されそうだ、風が強い、という理由で、せっかくの妻からの外出の誘いをことごとく断り続けて、今日に至っている。外に出て、遠くを見て、風を肌で感じ、色々な刺激を受けたい、とは思うが、そこに至るまでの準備の大変さや道中に息苦しくなった記憶を鑑みると尻込みしてしまう。

今月の29日、三男の授業参観に出席することが当面の目標だが、決まった時間に準備して外出するのは困難なんだよなあ。

2024年10月23日(水)

一日の大半を寝台の上で過ごしている。しかし、一日の平均睡眠時間は4時間弱だ。最近は消灯11時で起床が7時半なので、4時間半くらいは布団の中で悶々としている。以前はこの時間が恐怖そのものだったが、今は呼吸器の警告音やアヒルの鳴き声や歯軋りによって誰かが助けに来てくれるという安心感がある。たまに寝返りのタイミングがうまくいって6時間眠れることもあるが、次の日は全く眠気が来ないので良かれ悪かれだ。

疲れて泥のように眠っていた昔はよかった。


追伸)YouTubeでダンプ松本引退試合を視聴した。ドラマ「極悪女王」でも同じ場面があったが、その再現度に驚くとともに本物の迫力と情念のぶつかり合いに感動した。

2024年10月24日(木)

外出して来た。天気がよかった。区役所敷地内の公園で過ごしていた。突然、息苦しくなった。酸素飽和度を測った。通常は97以上だが、今回は92だ。その場で痰吸引することになった。吸引器を持参して来たが、先端に付けるビニール製の管が見当たらない。それを聞いてますます苦しくなった。急いで家に帰ろうとした。妻が宅浪中の次男に電話して、その管を持ってくるように頼んだ。中間地点で合流して痰吸引を行った。幸いにも酸素飽和度は95まで回復した。今回はこれで打ち止めかと思っていたら、妻はせっかく準備したのだからアパートの敷地内で日光浴をしようと言った。俺は同意した。それから一時間くらい日光浴をして、家に帰った。息苦しくて終始仏頂面の俺だったが、心の中では妻と次男に感謝していた。

2024年10月25日(金)

次男の髪型が変わった。妻によると次男は近所の美容室に行ったとのことだ。実は俺も同じ美容室を利用していた。その店名はシンデレラ美容室、内装も外観も店名と同様に野暮ったく、主人兼美容師と助手1名、カット用の椅子は二台、予約なしで入っても30分以上待たされることがない、こじんまりとした美容室だ。

今のアパートに引っ越したのが17年前、それから11年通い続けた常連だが、初めて入店したときの印象は最悪だった。何しろ、美容師が散髪中に携帯電話で話し出すし、落としたハサミをそのまま使うし、それまで通った理髪店や美容室では起こらなかったことが起こった。ただし、仕上がりは良かった。過程より結果が重要、その価値観に従ったが故に通い続けることになった。

5月に外出したとき、偶然、その美容師と遭遇した。妻は俺の病気を説明して、その美容師は何か言ったが、俺には聞こえなかった。場所はアパート敷地の出入り口で緩やかな上り坂になっていた。彼女は車椅子の後ろに立ち、妻とともに車椅子を押し始めた。

懐かしいな、あの美容室でも椅子の後ろに立って髪を切ってもらったんだ、眼鏡を外して髪を切るので鏡越しに彼女の顔を見れないのも同じだ、と束の間のシンデレラ気分を味わった。

2024年10月26日(土)

毎年この時期になると慶州月光歩行大会を思い出す。慶州は新羅(紀元前57-975)の首都で、宮殿、寺院、古墳などの遺跡を有する韓国を代表する観光地である。

大会は夕方に出発、市内の名所を巡る全長66kmのコースが舞台で、終着点の締め切り時間が翌朝の正午、月光を浴びながら野山を歩き続ける、ロマンチックであり、苛酷な催しである。


次回に続く。

2024年10月27日(日)

大会の参加者の集合場所は市内の陸上競技場だった。そのトラックを埋め尽くしている人々の人数は五千を超えそうだ。参加者を表すワッペンを渡され、出発の合図が鳴り、人の波が動き出した。

川沿いの歩道を夕陽を眺めながら歩くと気分が高揚して来る。「一時間で4kmのペースで行けば時間内に完走できそうだ」と余裕しゃくしゃくだった。普門リゾートに入ったあたりで疲れを感じ始める、時刻は午後11時、出発地からの距離は20kmである。

舗装されながらかな山道が続いた。街灯も民家もない、月明かりを頼りに歩いていると、この大会の意図と意義が視覚化された気分になる。前日に2時間サッカーしていたことが祟って、足の筋肉のあちこちが痛み始める。時刻は午前4時、出発地からの距離は35kmである。

次回に続く。

2024年10月28日(月)

一人で参加していたわけではない。山登りの類の行事よりサッカーに全力投球したい、山登りは嫌いじゃない、しかし突然の便意に備えとなるトイレが確保されてないと不安だ、という心理が働いて自ら山登りを企画することはない。今回はCJS博士の熱心な誘いがあったが故に参加したのだ。CJS博士の背後には、数学科の先輩教授で環論と登山の専門家で、CJS博士の指導教授であるHC教授がいた。数学科に同期赴任したJIH教授と俺はHC教授、CJS博士に誘われるまま、断れぬまま山行歴を重ねていった。
CJS博士は自分の体力に見合った20kmコースでのエントリーなので35km地点以降には上記の3名が残っている。山道が終わり、明るくなり始めた午前6時、44km地点に休憩所が設けられ、朝食が提供されていた。俺は貪るように飯を頬張り汁物を胃袋にかきこんだ。すると睡魔に襲われ体が鉛のように重くなった。HC教授は「もう行かなきゃいけない」と腰を上げた。俺はとどめを刺されたような気分になった。立ち去るHC教授を追いかける気力は残っておらず、おそらくは同じ気持ちを共有していたであろうJIH教授と目が合うと「もう無理だ。ここで棄権する」という言葉が飛び出した。そこからJIH教授の車が停めてある出発地までバスの送迎サービスがあることも作用したのかもしれない。JIH教授も棄権することになった。

完走は出来なかったが、この大会の以前と以後で山登りを通して苦楽を共にした4人の歴史として積み重なる良い思い出となっている。もしかしたら、それこそがHC教授とCJSが熱心に若手教員を山登りに誘っていた理由で、山登りの魅力の一つなのかもしれない。

2024年10月29日(火)

三男の通う小学校の授業参観に行ってきた。俺が通っていた小学校とは時代も場所も違うことはわかっている。そのことを踏まえて色々な違いを書き留めておく。車椅子用のスロープが設置されている、保護者は土足で校内に入れる、エレベーターが設置されている、教室の正面上に国旗が掲揚されている、大型電子スクリーンが設置されている、学級の児童数は25名くらい。

参観したのは歴史の授業で児童たちは班ごとに分かれて発表していた。児童たちは総じて緊張した面持ちで発表していたのに三男はニコニコというかヘラヘラというか終始笑いながら発表していた。恥ずかしかったのだろうか、父兄が来て嬉しかったのだろうか、帰って来たら聞いてみよう。

2024年10月30日(水)

ALSを発症したばかりの頃、ネット検索を繰り返し自分の将来を憂いていた。なにしろ5年以内に寝たきりになって呼吸器を付けて延命か死を選ぶか、なんてことが書いてあるのだ。自分はリハビリを懸命にやってその時を遅らせてやる、病気の進行は個人差が激しいと書いてあるじゃないか、まだ手足は十分に動く、俺だけは例外だ、と思っていた。その願望も虚しく発病から四年後に胃瘻を付け、その半年後には呼吸器を付けて延命していた。それまでは、先人のツイッター(当時はXではなかった)やブログをよく見ていたが、呼吸器装着を境に先人たちの書き物と距離を置くようになった。自分のことで精一杯だったし、自分の未来を覗き見るようで気が滅入るし、他の患者から頼りにされたとき返信できなくなる危惧、が主な理由だ。

次回に続く。

2024年10月31日(木)

現在、患者として峠を越えた状態の俺は視線入力という強力な援軍を得て、上記の理由が全て解消されるに至った。そこで、「ALS ブログ」で検索してみたところ、ヒットしたのは写真で日々の様子を綴ったものと更新頻度が低いものばかりで、以前活躍していた有名人のブログにはたどり着けなかった。

探し方が悪かったのだろうか。今はSNSが中心でブログとかは流行っていないのだろうか。もしかしたら、俺がエアマウス時代末期に陥ったように発信するのに疲れ果てたのか。

俺は先人たちから情報を得ていたし、負けないように発信していかなければという気概を持っていた。返信が出来るようになった今、これまで避けていたALS患者との交流を再開したいと思った。

2024年11月1日(金)

視線入力中に突然焦点がふらついて固定できなくなる状態に陥ることがよくある。理由は不明だが、首の向きを微調整すると正常に戻る。問題は独力では解決できないことだ。

思えば、視線入力のお試し体験のときも同じ現象が起きた。妻に代わってもらうと妻は俺が苦労してもできなかった作業をいとも簡単にやってしまった。俺は視線入力の適性がない、もう諦めようと思った。しかし、それは思い違いだった。

全国のALS患者で視線入力を導入してない方に言いたい。視線入力は俺でもできる、他の意思伝達装置より永く使えるし有利な点が多い、試してみる価値は十分にある、と。

2024年11月2日(土)

我が故郷である大村市に私営バス会社を作る計画を立ててみた。

  1.   世界に先駆けて自動運転バスの商業運行を目指す。法整備も含めて2030年までの設立を目標とする。やはり世界初というのは夢があるし、資本金も集まりやすい。人口が中規模で運転マナーが良いとされる大村は実験するのに適している。
  2.  国道34号線を基本路線として、松原と医療センター間の往復で黒字化を実現する。従来のバスは便数も少ないし、大村駅近くのバスセンターを経由するのでそれを跨いだ目的地に行くとき時間がかかるという問題があった。
  3.  顔認証技術で料金を回収。キャッシュレスを実現すると共に乗降時の時間短縮に繋げる。電子決済に疎い方々には後日請求書を送って回収。
  4.  停留所は人が集まりやすい商業施設や病院の近くに配置する。例えば、八幡丸、郡中、かとりストア、ドンキホーテ、パールレーン、農協、大波止、市役所、大村高校、医療センター。
  5.  携帯電話と停留所の電子掲示板で運行状況や目的地までの到着予定時間がわかるようにする。
  6. 30分に一台運行として、一往復の乗客数が200人、平均300円の料金、午前6時から午後9時までの営業で計算すると、1日の売上げが180万円、一ヶ月の売上げは5400万円、広告費も見込めるので、月6000万円の売上げで、運行費用が2000万かかるとして、残りは4000万円。ということは平均給与40万円で100人が雇える。

2024年11月3日(日)

103万円の壁を巡って世間が騒がしい。物価も上がったのだから壁を引き上げてほしいという声が高まる一方で、そうすると税収減を招き社会保障費を賄いきれなくなるらしい。103万円を越えた額に比例して所得税を連続的に課税すれば働く意欲を損なわず税収もそこまで減らないと思うのだが、それは素人の思い付きなのだろうか。調べてみると、扶養控除や社会保険料の関係で様々な額の壁があるらしい。おそらく、財務省で働いている優秀な官僚は対案や新しい税制を提示できるはずなんだよね(知らんけど)。でも、それが国会で通ると、税収は減るし、仕事は増えるはで、一つもいいことが無さそうだ。政局にも繋がるこの問題がどのように解決されるのか興味深い。

2024年11月4日(月)

日曜日の朝、耳が聞こえなくなった。正確に言うと、つば吸引の音が口と耳の中で響き渡り外部の音が聞こえにくくなった。妻から話しかけられても内容がわからないので返答に窮した。外部の出来事が自分の意思とは無関係に流れていく、そんな感覚、母方の祖母と義母が耳が遠かったのを思い出し、その心情を擬似体験しているかのようでもあった。

寝たきり生活を続けていると耳に通ずる器官に水がたまり難聴気味になりやすいと聞いていた。いつものように座れば治るという読みもあった。しかし、朝食を入れてオンライン礼拝が終わる正午まで待つ必要があった。

目論見通り、座って一時間が経った頃、耳の中でバリバリという音がして正常な状態に戻った。

寝たきりで変化に乏しい生活だと自分でも思うが、心の動きは存在している。

2024年11月5日(火)


「年の離れた姉妹、というより叔母さんと姪に見える」通りがかりで朝ドラを目にした妻が口にしたつぶやきだ。ドラマの中での姉妹の年齢は24と15、役者の実年齢は35と25だから、的確な指摘ではある。

妻は優しい顔立ちだが、それとは裏腹に芸能人に対してのコメントは厳しい。

2024年11月6日(水)

NHKのドラマ「宙わたる教室」を批判してみた。

1) 定時制高校の科学部が学会の高校生コンペで優秀賞を受賞した事実を元にした小説をドラマ化したものらしい。

2) 第1話の視聴率は2%台らしい。

3) 小林虎ノ介の演技が良い。キャラがブレないのがいい。

4) 回を重ねるごとに人間関係が広がっていく楽しみがある。

5) 脚本がしっかりしていると役者も生きるし感情移入しやすいことがわかった。

2024年11月7日(木)


闇バイトによる強盗事件が相次いでいる。当初は「強盗したら捕まるだろう。何故、そんなに割りに合わないことをするかなあ」と思っていた。しかし、逮捕されるのは実行犯ばかりで首謀者はおろか指示役さえも特定できない状況だ。しかも、実行犯の仕事は細分化されていて、指示役に個人情報を握られて脅されて犯行に及んでいる。

このことは反社会的勢力でない一般市民でも自らの痕跡を残すことなく闇バイトを雇って大金を得ることができるということを意味する。例えば、高校生が金欲しさに闇バイトの募集を企てたりできるということだし、暴力団が闇バイト犯罪集団を組織化することもできるということだ。

闇バイトの募集は俺でもアクセスできるような公共の場に掲示されているらしい。おとり捜査とかいたずらメールを送って募集活動を妨害するとか、警察や警察に協力するNPO団体を組織して対策を模索するべきではなかろうか。

2024年11月8日(金)

長女の誕生日にLINEでメッセージを送った。長女からの返事は「感動した。…」だった。

2024年11月9日(土)

本欄でも度々登場する酸素飽和度、今回はその計測器(パルスオキシメーター)に関して綴ってみよう。

コロナ禍で大々的に報道されたので御存知の方も多いだろう。ホッチキスのような形状で指を挟むだけで脈拍と血中の酸素濃度を測れる器機だ。ChatGPTによると、血液中のへモグラビンが酸素と結びつく割合が酸素飽和度で、赤外線の照射によって体を傷つけることなしに測定出来るそうだ。これは医療界では革新的な発明らしい。

俺も痰が詰まるたび、息苦しくなるたびに使用している、安全確保に不可欠なアイテムと化している。正常であれば95~99の酸素飽和度が90未満になると危険水域であり、何らかの対処が求められる。

そういえば、気管切開前の三年前、あの時も計測器に命を救われたのだった。

次回に続く。

2024年11月10日(日)

2021年12月某日、その日の午後は大学に退職願を提出、BSJ教授の訪問の予定があった。午前中、パソコンを操作するためにソファに座っていた。「いつもと違う。頭がぼーっとするし、そこはかとなく息苦しい」と心の中でつぶやいた。その不安の原因が喉の奥で蠢いていた。痰である。その痰を巻き上げるだけの筋力は残ってなかった。そのまま待っていても事態は好転しない。どころか、痰の量が増え、その分だけ呼吸ができない。慌てて妻を呼んだ。外出の準備で忙しいと言う妻を「そばに居て」と呼び止めた。不審に思った妻は酸素飽和度を測り始めた。計測器の液晶画面はオレンジ色に光り、89の文字が点灯している。それまで決して現れなかった数字に狼狽したのだろう。妻は「救急車を呼ぼう」と言い出した。俺は呼吸苦に打ち勝つ自信がなく、涙目で妻に同意した。


次回に続く。

2024年11月11日(月)

救急隊がやって来た。なすがままにストレッチャーに載せられ、エレベーター内では垂直に近い角度に立てられ、救急車内部に入るときにはストレッチャーの脚が折れ曲がり、滑車に連結されるようになっている。苦しみながらも「よくできているなあ」と思った。付き添うのは妻だ。病院に行く間、酸素注入と吸引がなされ、呼吸苦から解放された。病院に着くと、コロナ検査を受けるように指示され、別室で検査結果を待って、俺も妻も陰性だったので、晴れて病院内の救命室に入ることができた。

次回に続く。

追伸) NHKのドラマ「団地のふたり」最終回で出てきた二人紅白歌合戦がキレキレだった。もう見れないのが残念でならない。

2024年11月12日(火)

治療も何もないまま時間だけが過ぎた。しばらくして現れたのは医師で、彼女は気管切開手術を受けるように勧めてきた。後日、妻は声を失った俺を憐れんで「何故、あの時手術を受けたのか。他の選択肢はなかったのか」と後悔していたが、結果的に医師の「このまま退院させては次の呼吸困難が起こったときに生命の危険がある」という判断は極めて適切だった。大村の医療センターの医師なら、マニュアル通り「気管切開して延命するかどうかをご家族と相談した上で決めてください」と言っただろう。マニュアルを越えた人道的進言が俺の命を救ったと言っても過言ではない。


次回に続く。


追伸)CJK、LUM夫妻が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年11月13日(水)

麻酔の後、目覚めたら手術は終わっていた。多くの医師、看護師、患者が往来する部屋の寝台に寝かされていた。どうやら、喉に穴が空いているようだ。声は失われた。息をするときは鼻を経由しないので、臭いが嗅げない。不思議だったのは呼吸器なしでも自家呼吸できることだった。困ったことは助けを呼べないことだった。病院の寝台は硬い。寝台に接する部位が痛んだ。足の位置を変えれば解消するのになあと思えど、誰かがやって来るわけでもなく、通りすぎるだけだ。俺は精一杯の悲しい顔を作り、往来する人々にアピールしたが、視線を合わせてくれる人は居なかった。


そうやってどれほど時間が経ったのだろうか。心配そうな表情で現れた妻は正に救世主だった。


次回に続く。

2024年11月14日(木)

入院生活が始まった。気管切開後、人工呼吸器を装着した。医師によると、苦しくなければ呼吸器は外しているのが望ましいとのことで、いささか拍子抜けした。妻が吸引と喉周辺の衛生管理についての講義を受けた。気管切開の最大の利点は痰吸引しやすくなることだ。口から気道まで吸引チューブを入れる作業には専門性が必要になる。一方で、気管切開された状態だと、気管にチューブを差し入れるだけなので、容易であり、痰吸引できる人員の確保に苦労することはない。一方で、その代償として、声を失うことと24時間体制の介護が必要となる。

次回に続く。

2024年11月15日(金)

24時間体制の介護と言われると、介護する側が患者を凝視し続け異変を見逃さないようにしていると思いがちだが、実際は、というか俺の場合は異なる。誰かが自宅にいて、俺だけが自宅にいる状態を作らないという意味では24時間体制なのだが、介護者は別室で好きなことが出来るし、夜寝るときも全員眠りについている。ただし、痰吸引等の用事があるときには俺がアヒルのおもちゃを鳴らして家族の誰かが駆けつけるようになっている。


退院するときも救急車で自宅に帰った。それから、家族と声を失った俺との擦り合わせ作業が始まり現在に至っている。

2024年11月16日(土)

サッカーワールドカップ最終予選の日本対インドネシアを観戦した。

インドネシア現地の盛り上がりに驚いた。五輪予選でも準決勝で韓国を破っているし、今回の最終予選でもサウジアラビアとオーストラリアに引き分けている。やはり代表チームの奮闘はその国のサッカー環境を激変させる力を秘めている。日本がこれまで辿ってきた道でもある。30年後にインドネシアがワールドカップ常連国になることも十分あり得る。

試合序盤はインドネシアの守備の頑張りが目立った。雨、アウェイの雰囲気、守備の綻び、インドネシアが番狂わせを起こす気配が漂っていたが、次第に日本のパスが繋がり始め、インドネシアの前線からの守備意欲を削ぐように守備ラインと三苫との安全なパス交換がなされた。ずいぶんと中央がゆるくなっているな、こんなにボランチが余裕を持ってボールを受ける試合は珍しいなあ、と思っていたら先制点が入った。

最終スコアは4対0、日本の予選突破はほぼ確実となった。守田と鎌田が良かった。

2024年11月17日(日)

NHKの「のど自慢」を見て閃いた。のど自慢では45分間に20組の出演者の歌とインタビュー、2組のゲスト歌手のフルコーラスの歌という構成になっている。これは驚異的だ。カラオケボックスで大人数の宴会を行うとき、一時間で10曲くらいが限界だろう。しかし、のど自慢では鐘という強制終了装置によって上記の構成を実現している。もし宴会で特定の個人が鐘の権限を握り、鐘一つの強制終了を繰り返したら、宴会の雰囲気はよくないだろう。そこで提案したいのがAIによる鐘とインタビューである。のど自慢のフォーマットは全国津々浦々に知られているので、鐘一つでも笑顔でインタビューに応じ「おじいちゃん、長生きしてね」というコメントで締め括れば場の雰囲気も盛り上がるに違いない。

歌が短すぎるという指摘には設定を変えて1分以上とかサビの部分が過ぎてから終了というようにすれば解決されるだろう。スナックでは大勢の客がさばけるし、一体感も生まれるし、大助かりだと思うのだが、いかがなものであろうか。

2024年11月18日(月)

兵庫県知事選挙で現職の斎藤元彦氏が当選した。2ヶ月前、NHKのニュースやヤフーの引用記事ではパワハラ疑惑の極悪人として報道されていたし、県会議員の全員が解任要求に賛成して、斎藤氏の支持母体であった日本維新の会からも辞任を求められ、正に四面楚歌の状況で迎えた知事選だった。

当選後、ネットニュースを見ると、「オールドメディアが敗北した歴史的な選挙」みたいな感じで、パワハラなどなかったかのように斎藤氏の改革と有権者の意識の高さが称賛されている。

俺は「口、ポカーン」という感じで、何が正しくて何が間違っているのかの判断に自信が持てなくなった。メディアが人々を操るのは造作もないことだ、かと言って、ネット情報が正しいとはいえない、客観的事実のみを抽出して自らの判断を下す、というのも容易ではなさそうだ。

2024年11月19日(火)

103万円の壁に関する与党案提出のために自民、公明両党による協議が開かれるらしい。

ここで財務省の「税収減を最小限にとどめたい」という圧力に屈し、国民民主党案の「壁を178万円に引き上げる」を下回る案を提出すれば、国民民主党は納得しないし、与党の支持率は回復しないだろう。かと言って、178万円で提出すると国民民主党の手柄になり、これまた支持率上昇には繋らないだろう。

だとすれば、答えは一つ、「178万円を越える額、例えば200万円に壁を引き上げる」案を提出するのである。

「それはちょっとやりすぎだろう。税収減を補う財源があるのか」という批判が野党とマスコミから押し寄せるのは織り込み済みで、すかさずダチョウ倶楽部の定番ギャグのように手の平を返して、主導権を委ねれば壁の額は落ち着くべきところに落ち着くのではなかろうか。

2024年11月20日(水)

NHKのクローズアップ現代で医療事故が同じ医師によって繰り返されることを問題視して、その原因の一つが地方における医師の人手不足があるという話だった。

以前にも書いたが、日本医師会はオンライン診療の普及を推進するべきだと思う。患者側は病院に行く費用、時間、手間を省略できるし、医師側は診療所経営のリスクを軽減できる。何より離島などの僻地に住む人々に多大な恩恵をもたらすはずだ。それでは採血などの検査ができない、重病が見逃されるかもしれない、という批判が出てくるだろう。しかし、それはオンライン診療を利用する側が判断すればいいこと、風邪をひいて処方箋だけもらいたいとき、経過観察で問診だけで終わりそうなとき、はオンライン診療で済ませ、重病が疑われるときは病院に行って検査を受ければいい。

そうすると、診療所の需要が減るだろうから、その分の人材を外科などの手術を生業とする職種に誘導して、労働時間の削減を図り、給与面でも優遇して更なるシフトを促せばいい。

実は韓国も同じ問題を抱えていて、ユン大統領が二千人の増員を医学部に命じた所、医学部教授の反発とストライキに遭い、国会議員選挙で与党が敗北したことを受け、増員計画は頓挫してしまった。

日本ではデジタルトランスフォーメーションが叫ばれているが、既得権益の崩壊に繋がりかねないオンライン診療は俎上にも乗っていない状況だ。

日韓両国とも医師側は強大な力を有しているようだ。




2024年11月21日(木)


11月某日、或る男の誕生日。

アイスケーキにロウソクがともされ「センイル、チュカハムニダ」と韓国語でのハッピーバースデーの大合唱が始まった。すかさず、或る男の妻が「日本語で歌おう」と言い出し、歌い直すと、長男が「英語じゃないか」と突っ込みを入れた。

そう言われたら、改良が得意で洋楽を「あちち、あちち」と魔改造したこともある日本人が何も手を加えなかったという事例は稀有ではないかと思った。

2024年11月22日(金)

サッカーにおいてオフサイドの判定は時に勝敗を左右するほど重要だ。近年、テクノロジーの導入によって、ミリ単位でオフサイドの位置にいるかどうかが解析できるようになった。足が一歩だけ出ていたとか、胸がほんの少しだけ守備選手の後ろに出ていた、という解析結果の映像を見た人も多いだろう。それを見るたびに思うのが、「数年前ならオフサイドじゃなかったよなあ。むしろオフサイドだったら物議を醸すよなあ。そもそも肉眼でミリ単位の判定が出来るわけない。数年前までは主審の主観に委ねられていたということか」である。

テクノロジーの導入によって公平性が担保されたことは喜ばしい。しかし、肉眼で判定できないというのはサッカーのスポーツとしての欠陥性を示していると思う。

次回に続く。

2024年11月23日(土)

草サッカーならば、オフサイド無しかあからさまな場合以外はオンサイドにするのが一般的だ。あからさまの定義が問題になることもあるが、そこはサッカー経験者もしくはその集団で政治力がある者の判断に委ねられる。

オフサイドを廃止したらどうなるかをChatGPTに聞いてみた。ラインディフェンスやゾーンプレスのようなオフサイドルールを前提とした戦術は使えなくなる。ゴール前に人が密集する展開になりがちで、その分、中盤がスカスカになり、見る側の好みが分かれる試合展開になるそうだ。

個人的にはオフサイドルールは廃止してもいいと思う。というか、オフサイド無しのワールドカップを見てみたいぞ。その場合、専門技能に特化した選手を揃えられる国が有利だろうから、フランスとイングランドかとも思うが、ドリブルで突進してフリーキック奪取という戦術もあるからブラジルとアルゼンチンかな、攻め急がないでひたすらパスを繋ぎまくるスペインか。結局、現行のルールでの強豪国が勝ち上がりそうな気がするなあ。

2024年11月24日(日)

実家に帰省するたびに会っていた友人の訃報が入ったのが一昨日の夜、昨日はお通夜、今日は葬儀、ただただ悲しい。

2024年11月25日(月)

俺の母校は富の原小学校だが、心の母校は五年生まで通った竹松小学校だ。雨の日も風の日も雪の日も1.5kmの通学路を歩いて登下校して来た。

夏の暑い日の下校時、児童たちは涼を求めて通学路途中に位置する竹松住民センターに立ち寄った。そこはキンキンに冷房が効いていて、冷水器があり、児童向けの図書室がある、正に砂漠の中のオアシスだった。

俺が四年生の時、将棋に興味を持ち始めた頃、住民センターの図書室には、「将棋入門」と「次の一手」が置いてあった。それらを借りに列に並ぶのは俺だけではなかった。貸出カードを見ると、どうやら俺以外に二人の将棋愛好家がいるようだ。そのうちの一人がKYだった。

次回に続く。

2024年11月26日(火)

KYの顔の輪郭は下ぶくれというか、なす型というか、良く言えばムーミン、悪く言えばカバに似ていた。そのため、KYの仇名は「カバ」で愛称は「カバちゃん」だった。本人も不満な様子はなく、その呼び方を受け入れていた。ちなみに俺はKYの名字を呼び捨てにして、KYは俺の名前を呼び捨てにした。

五年生になるとKYと同じクラスになった。お互いの家に遊びに行き将棋を指す仲になった。ただし、女子の親友にありがちなどこに行っても何をするのも一緒という関係ではなかった。俺もKYも自分の領域があったし、全方位的にクラスの男子と付き合っていた。全部がそうとは言えないが、野郎の付き合いは大体そんなものだ。

次回に続く。

2024年11月27日(水)

KYは農家の末っ子だ。大家族で育つ過程で鍛えられたのだろうか、大人と対等に対峙してユーモアを交えて会話する術を身につけていた。無口な長男だった俺にはKYの話術が驚異的な特殊能力に見えた。

KYの性格は何事にも動じないというか、かなりマイペースな所があった。家に遊びに来た時、KYが俺の漫画本を読みふけって止まらなくなったのは一度二度ではなかった。俺の「せっかく遊びに来たのにそれはないだろう」という心の叫びが虚しく響いた。さすがに、度が過ぎるときは注意するようになったが、知り合って間もない時期には大いに戸惑った。

次回に続く。

2024年11月28日(木)

中学に入るとKYと将棋を指すことはなくなった。俺が強くなりすぎたからだ。お互い部活で忙しかったが、たまに会うときはバドミントン等の運動に興じた。ちなみに運動音痴を努力で補っていた俺に対し、KYは天性の俊敏性と運動神経を有していた。

高校に入ると、俺は柔道部、KYは山岳部に入った。部室が隣だったのと柔道部の同級生の一人が山岳部のユルい雰囲気に憧れていたために、部同士の交流もしばしばあって、ロードワークの日には合同で同じコースを走って競い合った。そんなある日、ロードワーク終了後、大村公園に行こうとなった。山岳部の連中は石垣をロープなどの安全装置無しで登り出す、灯油を霧吹きして火を吹く、という大道芸を繰り出し、マウントを取ってきた。柔道部も負けてはならないと提案されたのが部対抗のひまわり合戦だった。誰がどう見ても柔道部の有利は明らかだった。なにしろ平均体重に大きな差があり、普段から押したり引いたりの動作を練習しているのだ。しかし、開戦の火蓋が切られると、その予想は音を立てて崩れていった。その立役者がKYだった。持ち前のスピードを生かしてひまわりの花びら部分の陣地を進め、時にはひまわりの種の部分で待ち構える柔道部の重量級の猛者共に体当たりを喰らわせその反動を利用して陣地を進める、という離れ技を演じた。
その日以来、KYは事あるたびに語り継がれる伝説となった。

次回に続く。

2024年11月29日(金)

大学に入ると、車の運転免許を取得し た。お盆と正月は実家に帰省して、同級生との旧交を温めるのが常だ。金がない大学生が夜遅くまで遊ぼうとすると必然的に車でのドライブになる。KYに電話すると、やはりKYはドライブを提案して来た。KYは知り合いから譲ってもらったという廃車寸前の車を駆っていた。その車で迎えに来てもらい夜のドライブが始まった。

ちょっとそこまでのつもりが気がついたら遠方に着いて帰宅時間が深夜になることは往々にして起こり得る。この日もその例に漏れず、長時間のドライブ後、深夜3時頃にやっと見慣れた国道が現れた。ふと車が4車線の左中央に寄り始めた。俺は「飛行機の滑走路みたいだな。トップガンみたいでテンション上がるなあ」と歓声を上げた。間もなく、車は2車線の中央線に寄り始めた。俺は「深夜で他の車は見当たらない。とはいえ、中央線越えはさすがに危険だろう」と考え、肘で運転席のKYを小突いた。するとKYは「ごめん、寝とった(寝てたの方言)」と言った。

この出来事は事あるごとに、KYをからかうネタとして使うことになる。


次回に続く。

2024年11月30日(土)

KYは山岳部だけあって自然現象に詳しかった。夏のある夜、KYに勧められるまま五ヶ原岳の展望台に実家の車を走らせた。KYが言うには「今日は流星群が大量に飛来する日なんだ」らしいのだ。俺はそれまで流星群などは見たことも聞いたこともなかったので、「どうせ流れ星が数回観測されるだけだろう」と思っていたが、その予想は見事に覆された。東西だか南北だかわからないけど、空の両端と中空を結ぶ軌道に流星が時に複数個が連なって流れて行き、その壮大な天体ショーは飽きて帰路につくまで途切れることがなかった。度肝を抜かれた俺は数学科の同級生を連れて五ヶ原岳に案内したが、星は一個も流れず、流星群が希少な自然現象であることを身を持って知った。

俺は大学に入る前までスキーをやったことがなかったし、興味もなかった。教養部キャンパスで乱立するテニスサークルと同様に男女交際を目的としたチャラいスポーツの代表格に位置するのがスキーという認識だった。しかし、半ば強引に富山でスキーをさせられてからはその認識が大いに変わった。先ずリフトで山の上に行けるのがいい。次に雲の上を浮遊しているような爽快感はスキーならではだ。そのことに気付いたのは数学科の卒業旅行で二回目のスキー体験でボーゲンを卒業してからだ。俺はスキー未経験のKYを車中泊二泊の弾丸スキーツアーに誘った。驚くべきことにKYは初日でボーゲンを卒業して、パラレルとはいかないまでも、ターンを自由自在にこなしていた。バランス系の競技にKYは滅法強かった。


次回に続く。

2024年12月1日(日)

俺は1998年4月から一年間イスラエルに仕事で滞在していた。その年の年末、KYから「遊びに来るからよろしく」というメールが来た。KYは長崎大学経済学部を卒業後大村市役所に就職していた。確か一年目か二年目だったはず、それなのに師走の忙しい時期によく休みが取れるなあと思った記憶がある。

俺の心配をよそにKYは小学校からの同級生のTと共にエルサレム空港に降り立った。ちょうど同じ時期に大学院の後輩のSもイスラエルに遊びに来ていた。確か、KY、T、Sも初めての海外旅行だったはずだ。いくら俺という知り合いがいるとは言え、ハードル高すぎるんじゃないのと思った記憶がある。イスラエルに入国するとき半端ない時間の入国審査が課せられる。

俺の場合もホスト教授からの招待状を見せても納得してもらえず、スーツケースを開けるように命じられ、下着まで確認されてやっと通過できた。

英語ができない彼らの行く末を案じていたが、案の定彼らは到着予定時間よりはるかに遅い時間に入国ゲートに現れ、その顔は憔悴しきっていた。その表情が俺を見つけた瞬間、安堵を伴った笑顔に変わるのもかつての俺と同じだった。俺は長時間空港で待たされたことは忘れ、久しく話してなかった日本語を話せる喜びに溢れた表情を浮かべていたはずだ。


次回に続く。

2024年12月2日(月)

俺の下宿先をベースキャンプにしてのイスラエル観光が始まった。俺が普段往来しているRanaana の目抜き通りでさえ、彼らにとっては観光地だった。俺が半年前に経験した感動を彼らが時間差で受けている様子だった。「銃を抱えた女性がやたら多いなあ。白亜の家が並ぶ地域は高級住宅街かな。柔らかな日差しのもとでオープンテラスでくつろぐ時間は最高だ。スーパーに入るときでも金属探知機をくぐらなきゃいけないのか。グレープフルーツとかトマトとかパンパンに張っていて見るからに美味そうだ」みたいな感想もかつての俺が感じたことだった。

下宿の周辺を案内した翌日、日本人同学年四人組は北部に位置するガラリア湖に向かった。湖畔の野外レストランでワインを飲みながら名物のセントピーターフィッシュを四人で食した。座はかなり盛り上がって、店員さんとの写真撮影とかの観光地あるあるを観光客気分丸出しで楽しんだ。

次回に続く。


追伸)CYJ教授が御夫人と息子さんを連れて見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

2024年12月3日(火)

一行はエルサレムに向かった。旧市街を歩き回った翌日、俺は仕事があったので、残り三人の自由行動の日とした。日付は12月24日、キリスト教圏では祝日だが、ユダヤ教を国教とするイスラエルでは平日だった。不在だったので詳細は定かではないが、彼らはキリスト生誕の地であるべツレヘムに赴き、キリスト教のミサを見学して来たそうだ。べツレヘムはパレスチナ自治区で、俺も足を踏み入れたことがない領域だ。ガイドブックに載っている観光地とはいえ、英語が心許ない海外旅行初心者の彼らには荷が重いはず、どんな思考回路で行こうと思ったか尋ねると「KYの言う通りにしたらとんでもないことになった」という声がTとSから上がった。当のKYは涼しい顔で中東風の布を頭に被り、葉巻を燻らせていた。

その翌日、一行はエルサレムからバスで3時間かかる死海に向かった。中東とは言え、12月は冬であり、肌寒い。ところがKYは死海に飛び込み、お約束の死海に浮かびながら新聞を読むポーズでの写真を撮影させた。

死海からの帰りのバスの時間が合わず、非正規の乗り合いバスで狭谷と砂漠を眺めながら帰路についた。その翌日、TとKYは日本に帰り、俺とSはシナイ半島に向かって南下した。


次回に続く。

2024年12月4日(水)

2001年6月、俺は婚約者(もちろん現在の妻)を連れて大村を訪れた。その目的は実家の家族に彼女を紹介して結婚式の日取りを決めることだった。その当時、彼女は日本語を話せなかったし、今回が初めての海外旅行だった。俺の家族との対面を果たした翌日、俺はおにぎりやアボカドサンドを作ってピクニックに行く計画を立てた。KYに電話すると、即座に話がまとまり、KYの交際相手のY(現在のKYの妻ではない)を呼ぶことになった。俺もKYも交際相手を紹介するのはその日が初めてだった。俺ら4人は一台の車に乗り込み目的地である「いこいの森」に向かった。驚いたのはKYとYのコミュニケーション能力だった。共通言語がないのにも関わらず彼女をキョンキョンと呼ぶなどして融和を図っていた。後日、妻はその日を回想して「初めてできた日本人の友達だったからね。有り難かったし、とても楽しかった」と語っている。

ピクニックの後、KYの提案で蛍を見に行くことになった。それまで俺は蛍の実物を見たことがなかった。テレビで見る蛍は清流の向こう岸に数匹が光を放ちながら移動して暗闇に消えていく類のものだった。せっかく足を運んでも一匹も現れず徒労に終わることも十分起こり得る。俺はさしたる期待もせず案内されるまま駐車場から水辺までの道を駆け上がった。そこにはすでに大勢の人が待機していて、日没寸前の夕日を眺めていた。辺りが闇に沈むと、ムックリと何かが光りながら飛び交い始めた。光りの正体はもちろん蛍だ。問題はその個体数である。数匹レベルではなかった、大量発生という言葉が相応しいほどあちこちで群舞していた。感動していたのは俺だけではなかったはずだ。喩えて言うなら、サッカーなど見たことがないと言うカップルがワールドカップカタール大会決勝アルゼンチン対フランスを現地会場で生観戦するようなものだ。

蛍たちに祝福されて俺と婚約者はその翌月結婚式を挙げる。ちなみにKYの結婚式はその十年後である。


次回に続く。


追伸)昨晩、非常戒厳が宣言され、兵役中の長男は招集された。もし釜山で市民デモが起こり、軍と市民が衝突ということになれば、暴動を鎮圧するために上官の命令に従い長男は発砲したかもしれない。何事も起こらなくて本当によかった。



2024年12月5日(木)

俺はお盆と正月に妻子を連れて帰省していた。猛暑と極寒で幼子を連れての外出には不向きな時期だ。そのためKYと会うときは専ら実家の洋間で菓子パーティーか実家の庭で七輪バーベキューだった。

2011年、KYが10歳年下の女性Fさんと結婚した。その約10年後、待望のKY夫妻の第一子が産まれた。この時俺はALSの症状が進み、釜山にいた。KY夫妻の慶事に心踊ると共に「よかったなあ、KY」という思いが湧いてきた。その2年後、KY夫妻の第二子が誕生した。KYのデレデレした顔が浮かんだ。この時俺はエアマウス時代末期でメッセージを送れる状態ではなかった。俺の母にKYの子供たちを紹介している写真を見て、「幸せいっぱいだなあ、KY」と信じて疑わなかった。

KYの訃報が共通の友人YRからのLINEメッセージで送られてきた。YRの話では「2番目が産まれた頃から鬱病にかかり、休職を繰り返していたらしい。水曜日に車で出かけ、戻って来なかった」そうだ。KYに何が起こったのか、どんな最後だったのか、謎のままだ。視線入力を導入してから何度も連絡する機会はあったのに全て後回しにしたことが悔やまれる。KYに

「遺されたFさんとお前の子供はどうすればいいのか」

「たまには友人を頼ってくれよ」

「生きてさえいれば、いくらでも這い上がれるのに」

「お前は大馬鹿野郎だ。そう言われて悔しかったら言い返してみろ」

と伝えたい。しかし、どこからも返事は返って来ない。



2024年12月6日(金)

ユン大統領が非常戒厳を宣言したとき、軍のトップが「大統領、それはさすがにまずいんじゃないでしょうか?」と意見を言うのは越権で、粛々と命令に従うのがあるべき姿なのだろう。そうでなければ文民統制は維持できないし、軍のトップが最高権力の座に就く余地を与えてしまう。

如何に民主主義を標榜しても民主主義を国是とする教育を受けていても、軍隊だけは民主主義とは対極に位置する上官の命令は絶対という主義で動いている、なる事実を確認した三日間だった。


追伸)緒形直人と言えばドラマ「予備校ブギ」の浜辺で海に向かって先生役の田中美佐子に告白するシーンが印象的すぎて、俺の頭に刷り込まれていたが、朝ドラマ「おむすび」では緒形拳を彷彿させる渋いおじさんを演じていて、その対比に驚いた。

2024年12月7日(土)

明日のUFC310のフライ級タイトルマッチが楽しみだ。

2024年12月8日(日)

負けた。ショックが大きすぎる。

2024年12月9日(月)

俺の生活は様々な工夫で成り立っている。

以前は股間の痒みが頻発し、手が動かない俺は我慢して痒みに耐えるか、抗ヒスタミン薬を処方してもらう、の二択だった。しかし、円筒形の枕を脚に挟むという工夫によって股間の痒みは激減した。おそらく、風通しが良くなり、蒸れなくなったのが理由だろう。


次回に続く。

2024年12月10日(火)

つば吸引チューブは生活必需品だ。これが何かのはずみ、例えば、欠伸で外れると、唾液が垂れ流しになり、枕を濡らすことになる。夜、家族が寝静まったときにこれが起きると、「たかがつばくらいで起こすのも何だしな」という心理が働いて、かと言って、溢れ出るつばを止める術もない。

転機は新型コロナにかかり病院に搬送されたときに訪れた。入院を覚悟して、つば吸引器を持参して救急車に乗ったのだが、軽症であったため廊下で隔離されて明け方に救急車で自宅に戻ることになった。その間、マスクを着用していたのだが一度もつば吸引チューブが外れることはなかった。気付いたのはそのときだ、就寝時にマスクを着用すれば前述の問題が解決するのでは、ということに。幸いに、気管切開後人工呼吸器を付けているので、マスク着用時に息苦しさを感じることもない。

これが奏功し、以前よりもはるかに安眠する時間が長くなった。


次回に続く。

2024年12月11日(水)

以前、本欄にて「右の耳が聞こえにくい」と書いた。それから治ってまた聞こえにくくなる生活だったが、最近はよく聞こえる毎日を送っている。その工夫が何かと言うと妻が事あるごとに鼻吸引をしてくれることに他ならない。おそらく、耳と鼻は繋がっていて鼻水が滞留すると耳に影響を及ぼすものと思われる。


次回に続く。

2024年12月12日(木)

気管切開前は仰向けに寝ると息苦しくなった。そのため就寝時は常に横向きになっていた。その名残りで丈の高いふわふわの枕を使用していた。気管切開後、仰向けに寝れるようになった。逆に横向きに寝るのがしんどくなった。ある日の健康番組で「高い枕は頚椎を圧迫し不眠の原因になる」と言っていた。「そう言われてみれば確かに首が苦しくなる」と思っているのを見透かされたかのように妻が「今日は枕を変えてみる?」と聞いてきた。何事にも変化を好まない俺だったが、その日ばかりは魔法がかかったかのように妻の提案を受け入れた。

偶然かもしれないが、その日はよく眠れた。以降、就寝時にはバスタオルを折り畳んだ丈の低い枕を使用している。


追伸)竜王戦第六局を藤井が制し、竜王戦四連覇を達成した。敗れた佐々木の健闘も称えたい。

追追伸)ユン大統領の今日の演説は非常戒厳を宣言するときに語るべき内容だった。

2024年12月13日(金)

政治改革関連のニュースを見て、ある疑問が湧いてきた。それは「日本の政治家がインスタライブで投げ銭を受け取るのは合法なのか?」ということだ。インスタライブが政治活動ならば、寄付である投げ銭は政治資金と見なされるだろう。そうなると収支報告書が必要になり、一定金額以上の投げ銭には記名が必要になるはずだ、知らんけど。

条件を満たせば合法となれば、政治家はパーティーなんか開かずとも十分な額の政治資金をSNSを利用したライブ活動で集めることができるのではなかろうか?たとえ知名度がない政治家でも選挙区に根ざした陳情を熱心に聞いてあげるあるいは聞いたふりをすればおのずと資金は集まるものだ。ライブ方式にも工夫を凝らして、メッセージボードを逐次印刷して紙に書いた文章として残せば陳情のしがいも出てくるだろう。

有能な秘書やブレーンを雇うにはそれなりの資金が必要になるものだ。政治資金を規制することばかりを考えるのではなく、集まった潤沢な資金を有効に使ってくれと思うのは俺だけであろうか。


2024年12月14日(土)

1984年はポップス史における特別な年らしい。俺が中学生になった年でもある。誰もが背伸びして自分を大きく見せたがろうとする年代だ。小学校時代のスクールカーストがリセットされる絶好の機会だ。そこで尊敬を得る手段は腕力でも知力でもなくセンスだった。制服姿で会う日常なので、私服でファッションセンスを競うのは割に合わない。髪型や変形学生服で競うのも校則リスクや上級生から睨まれるリスクを伴う。そうなると「どんな音楽を聴いているか」は重要な指標となるのは想像に難くない。


次回に続く。